新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

危険なチョコレート

 よくこの時期になると「血や唾液を混ぜた」手作りチョコレートにまつわる怖い話が流れて参ります。果たして本当にそのようなことをする人が居るのでしょうか。マトモな(独断と偏見)衛生観念を持った人間なら「カップ麺の汁は流しが詰まるので大便器に捨ててください」という張り紙にすら言葉にしづらい嫌悪感を抱くというのに。とはいえ、先日のエントリから分かるように、少々雑菌の多い食べ物を食べたとて、大半の菌どもは胃酸で溶けてなくなり、しぶといやつらも腸内フローラの乳酸菌どもにボコボコにされて大した影響はないのです。したがって、「血や唾液やそれに準ずる如何ともしがたい体液類」が入ったチョコレートを齧ったところで直ちに問題はないと思われます。でもやるなよ。

 

 そもそも、バレンタインデーのチョコレートというのは過剰なまでの包装がなされており、渡した相手が食べてくれるシーンを現認することがあまりないように思うのですがいかがでしょうか。うるせえぞ、既に同居していて一緒に食べるような幸せ者はバイパス走行中にエンジンブローするとか突然車両火災起こすとかすればいいんだ。……とにかく、「何かしらの体液」を混ぜたチョコレートを「食べているところ」を見ないと混ぜた側としても感想やらなんやらをその場で頂戴することができずに要求が満たされないような感じがしますが如何でしょうか。

 

 そこでオススメなのがバイアグラ入りチョコです。薬事法違反待ったなし。バイアグラ入りチョコのお返しは排卵誘発剤入りクッキーかなにかでしょう。目には目を。歯には歯を。薬事法違反には薬事法違反を。仲良く裁判所でオフ会でもしていろ。まだバイアグラとかだったらば良いけれど、飲んだら生命保険に入れなくなるタイプのやつが一服盛られていたらのちのち問題になりそうだ。ウェヒヒヒヒ。ヤのつく自由業の方々が美人を使ってご禁制品のおクスリを混ぜて顧客開拓を図ったりしてねえだろうなと考えていくと手料理全般が食べられなくなりそうだ。信用できるのは自分だけになってしまう。

 

 とはいえ加工食品なら安全か、と言われると、わけの分からないレベルの人間が冷凍食品に農薬をぶちまけてみていたり、わけの分からないパン工場で汗だくになりながら出荷したりしていますので、これまた食べるのは「知らぬが仏」という感じの結論になってまいりました。

 

 ところでクリスマスとかこういうような恋愛絡みの比重が重めの日になると「今日はあなたが一年間で誰かに愛されたかの通知表を渡される日です」みたいな言説が罷り通ってまいります。義理ですらチョコレートを貰えない人間は女性とまるで縁がないと見倣せるわけですから大変罪深い。製菓業界の販促である、なぜならば灼熱でチョコレートの持ち運びに向かない8月と丁度半年ズレているからだ、と分かっていても辛くなる。あの「チョコエッグに名前もシェアも奪われてしまった感じの卵型玩具入りチョコ菓子」も、暖かくなってくると自らの輪郭を保てなくなるため、売り場に「暑いからじゃあのwwww」というメッセージカードを残して消えていたのを思い出す。春は出会いと別れの季節、別れ間際にお返しまでもらえる2/14→3/14という絶妙な日付設定は日本全国津々浦々で数々のドラマを産んだことだろう。ドラマが勢い余って子供までデキちゃったりしてそれはそれで自己責任であって製菓業界に責はない。

 

 ガタガタぬかしましたけど板チョコ噛み砕いて口移ししてもらってそのまま膣内射精セックスするような奴らも居るんだろうなって思うと格差社会だなって思いませんか。

 

 チョコも人間も賞味期限内においしく頂きましょう。

蓋然性で語れ

 蓋然性、という言葉を日常的に使うだろうか。この単語自体を知らずとも、我々はおおよそ一般的に蓋然性をある程度意識して行動しているはずだ。例えば天気予報。「降水確率は50%だけどこの晴れ方なら雨は降らないだろう」というのも、無意識のうちにそれまでの人生経験から導き出した勘のようななにかによって、降水確率の数字と現況の天候を視認した上で「傘は不要」と結論づけているのだ。このように、ある事柄が起こる確実性や、ある事柄が真実として認められる確実性の度合いを蓋然性と言う。数値化すると確率となるが、「肌感覚」や「勘」といった定性的な言葉で語られることも多い。
 
 「肌感覚」や「勘」とかいうと、大変文学的表現であって、理数系の人々に嫌われるかと勘ぐってしまうが、けしてそんなことはない。そりゃあ、理屈から説明しろと言われたら、専門でもない限りは即答しかねるが、たとえば「太陽が西から昇るか」という問に対して「ありえない」と答えるのは簡単だろう。「なぜ」まで言われると、私の場合は専門外であるから、「いま現在地球は自転しており、それは地球儀を回しているのと同じで、運動エネルギーを持っているから、仮に明日から太陽の昇る方角を逆にしようと自転にブレーキをかけて逆方向へ回すというのは、核かなにかを使っても無理な話であるから、少なくとも我々人類が生きているむこう100年くらいは太陽が西から昇ることはなさそう(適当)」と答えるしかないが、とはいえその程度には「太陽が西から昇らない100の理由」を挙げることはできる。同様にして、「30分後に美少女が突然我が家に訪ねてきてエロゲ的展開にならない100の理由」だとか、「明日中出しセックスできない100の理由」だとかいくらでも理由をつけて論じることができよう。

 

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 そこでこれらの本を紹介することになる。1冊目は日本評論社の「高校で教わりたかった化学」だ。高校の化学が暗記モノ扱いされ、電気分解で大嘘をつき、というところから始まり、「リットル」をイタリック体で書くなバカチン、物理量と単位の間に一文字分スペースを開けろ、電子軌道を教えろ、分子模型の豆細工をやめろ……などなど、高校化学のあれこれに(主に東京)大学の立場からツッコミを入れていく本である。演習問題も少々あるので紙と鉛筆を用意してから開くとスムーズだ。
 もう1冊も同じく日本評論社から、「高校で教わりたかった物理」だ。こちらは化学よりも苦手とする人が多そうな科目であるぶん、広く科学一般にまつわる事項から入り、物理学のセンスを解き明かしていく本である。「高校で教わりたかった化学」よりもっと数式が少なく、科学の読み物としてもおすすめできる。こちらは紙と鉛筆を用意せずとも読み進められる(当然、用意しても構わない)

 この2冊を読むと確かに科学一般の素養は広まったように思う。事実、「化学」の方は高校化学オリンピックの予選である化学グランプリに向けての教科書として広く使われているようだ。

 お勉強した内容というのは気楽な財産である。鍵をかけておかなくても盗めないからだ。こうして適当にジャンル問わず本から吸収した知識と広げた見聞で人は豊かに生きることになる。たとえば、胃酸の話だ。胃酸は主成分が塩酸であって、それもかなり強い。場合によっては「胃が荒れる」こともあるほどだ。しかして、その胃酸の強さが人を雑菌から守っているのである。塩酸の電離した”酸”の部分、高校化学だとH+と書かれたり水素イオンと言われたりするが、実際水溶液中ではオキソニウムイオンH3O+として存在する、こいつがあらゆる物体の構造をぷちぷちと切断して無害化する。とはいえ胃酸でも駄目なものは駄目で、例えばO-157、こいつは酸に強いので胃酸を素通りして腸へ到達して悪さをはたらく。菌ではないがノロウイルスも酸に強く、こいつも手洗いうがいで喉粘膜から洗い流したとしても、感染源となる物体が胃に落ちていると時すでに遅し、あとは発症を待つばかりとなる。……というように胃酸でも駄目なやつらは例外として、例えばHIV、こいつの構造は非常に弱いため、胃酸でバラバラになるから、口に精液を出された場合はとっとと飲み込んで水なり酒なりで口と喉を洗い流してしまえば感染の可能性は格段に低くなる。同様に、性風俗店で洗っていないペニスを口で奉仕する行為、いわゆる即尺においても、「洗っていない」のレベルはさておき、最後に精液を飲もうが捨ててうがいしようが、胃酸でどうせ雑菌類はバラバラになるのだから気を揉むことはない。逆に我々男がシャワーを浴びる前におまんこにむしゃぶりつこうがアナルをなめようが、頭上から「そんなところ汚いからやめなさい」と叱られてもどうせ胃酸で大したことはないのだからそれぐらいでやめる道理はない。当然、ひととおり舐めて気が済んだら何か飲み物を飲むかうがいをするのもお忘れなく。逆パターンされたらヤでしょ、即尺口内射精ゴックンされたその足で(口だが)キスされたい?分かったら洗面台へ行ってらっしゃい。なお蛇足ながら、当然「最近生ワクチンの摂取を受けたばかりだからポリオにかかるよ」などという具体的な理由でアナルにむしゃぶりつくことを禁じられたら従ったほうがよろしい。予防接種を受けた人間からの二次感染でポリオを発症すると、早晩保健所に報告されて、夕方のNHKニュースで大きく報じられることとなる。


 千葉大*1ですらおまんこを舐める時は上記のような自分なりの理屈を立てて「命にかかわらない」と判断してやっているわけで、当然東大出とか京大出だったらばもっと難しい理屈をたててクンニリングスに臨むわけであろうから、高学歴とのセックスはおまんこがキュンキュンしちゃう♡というヨタ話も、あながち100%嘘と断言できないなあ……と思う今日この頃。公衆の面前で服を脱いだりしないわけですから、服を脱いでからベッドインするのか、脱いだ服は畳むのか、そもそもセックスは風呂の後なのか、シャワーしてセックスして風呂入るのか……といった、「描かれるセックスで描かれない領域」こそが愛おしいわけで、そうすると高学歴で膣キュンというのもけしてこれまで描かれなかった話だと感心する限りである。

 

 なお、このように手の内(頭の内?)を綺麗さっぱり開示していくと今日明日はセックスにありつけないまま死んでいくのだろうとたいへん悲しくなってきたのでそろそろ筆を置く。

 単に経験人数がどうこうというつまらない領域に留まらず、描かれない部分の集計が楽しくてナンパしたりワンナイトで持ち帰られたりするような人と仲良くなれる気がする。気がするだけ。

 

 

 リア充はディープキスしながらクリトリス攻めて突如すごく申し訳なさそうな顔で「ごめん……豆……取れちゃった……」と節分の豆を見せてかわいい彼女の機嫌を損ねろ。

*1:まるで千葉大卒が全員こんな雑理論で生活していると判断されては主に後輩から怒られてしまうのでそういうわけじゃないよと弁明しておく。

「後に引けない状態を作る」?

 まずこれを読んだ。とはいえ中身は深刻ではなかったのでタイトルだけでさておいて(大変失礼極まりない)。

pakila.hatenablog.com

 

 後に引けない状態、というのは自ら作り出せるのだろうか。私はそうは思わない。単に、私が選択肢を広く持つことを好むから、かもしれないが。後に引けない状態、つまり、一本道を前に進むしか無い状態というのは、選択肢を喪失している大変不利な状況である、というのが私の意見だ。常に選択肢は増やしたほうが良い。

 

 例えて言えば「青春18きっぷ」のバラ売り。読者諸賢ならご存知のように、青春18きっぷというのは1枚のきっぷに5つハンコを捺す部分がある。つまり、1枚の紙がきっぷ5枚と同じ効力を有する。

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 各回(人)とも当日限り有効、とある。したがってこの5回というのは、「1人で5日間」でもいいし、「5人で1日間」でも良い。もっと細かく、「最初は1人、次は2人、最後の2回も2人」でも良い。ところが、だ。一人で青春18きっぷを買い、方向性が同じ旅友人を捕まえ、消費したところで、5回分が使い切れないことがある。逆に、1回分だけ、2回分だけ欲しいこともあるだろう。そういうときに、知り合いで都合が付けば適当な価格で譲ってらったり、ダメなら金券ショップに売却する/金券ショップで購入する、ということがある。以前はいまほどSNSが発達しておらず、田舎に暮らしていると、金券ショップすらなかったりして、このような青春18きっぷの"切れ端"を融通したりするのは困難であった。

 

 ゆえに当時は青春18きっぷ交換掲示板という文化があり、毎シーズン盛況であった。昨今はご覧の通りSNSが全盛となり、「身内」でなんとか融通が効くケースが増えたためか、トラブル防止の為、掲示板が開設されるwebサイトも少なくなったようだが、10年ほど前はよく利用した。

 

 前座が長くなったが、「青春18きっぷ」の切れ端を融通することのどこが「選択肢を増やす」ことなのか。答えは簡単で、「たとえ1回や2回欲しくとも、先に自分で5回分を買って、掲示板で捌くほうが有利」ということだ。

 

 どういうことだか分からない人も多そうなので解説しよう。前述の「青春18きっぷ交換掲示板」では、価格について「暴利でないこと」とあったが、けして定価でしか取引できないわけではない。では、どのような人からなら青春18きっぷの端数を買いたいだろうか。値段、送付方法(定形郵便、簡易書留、特定記録メール便……)、送金方法(切手OK、銀行振込、大手銀行、地方銀行、ゆうちょ銀行……)等いろいろあるだろうけれど、同じ条件なら安いほうがいいわけだ。

 

 そこで、とっとと1回使って残りが4回となった青春18きっぷは「値下げ」して掲示板に掲載するのだ。1枚は11,850円だから、1回分は11,850 円/5 回=2,370 円/回となる。従って4回分だと9,480円だから、これに送料を追加して代金とするのが一般的だ。で、だいたいの場合は「普通郵便なら無料、書留なら追加で○円」などとしている人が多かったが、そこへ「9,500円送料込み、簡易書留で送ります」とディスカウントする。もう1回分で9,000円分ほど乗車しているから少々損をしてでも元は取れるのだ。

 

 やはり4回分と言えど、「安売り」すると早々に買い手が付くのであった。こちらとしては先行して「在庫を抱え」るリスクを背負っているわけで、いち早く、身内でない市場で現金化しようと思えば有効な手段である。待てど暮らせど「1回分お売りします」という投稿が出ない可能性すらあるのだから、とっとと1回使って売ったほうが、たとえ4回分が売れなくとも、投稿を取り下げてもう1回使い、「3回分お売りします」として再度投稿することもできるし、値下げすることもできるわけだから、リスクを背負ってでも選択肢が増えたほうが気が楽だ。

 

 

 どうせ生ハメしてるんだったら膣外射精っていう選択肢はないですよね、という観点から生まれたのが「だいしゅきホールド」というやつである。私の膣内に熱い精液をどくどく注いでいろいろと選択肢を失いなさい、という意味合いがあるわけだから恐ろしい。エロゲだったら最後の最後で「膣内に出す」「膣外に出す」と選択肢が現れるかもしれないが、現実はだいしゅきホールドされるまでもなく生ハメした時点で妊娠してもおかしくないわけだからおっかねえ。選択肢を増やすという観点からオススメなのがコンドームの携帯です。目の前の女を抱くのも抱かないのも選べるし、妊娠する可能性を孕むか孕まないかも選べるし、いい事ずくめではありませんか。現実問題、コンドームを携帯しないことで年間○万人が生ハメで選択肢を失っています。「失って初めて分かる、ありがたさ 親と健康と選択肢」大阪女体指令の標語です。

 

 明日の授業に出席するのも、サボるのも、体育倉庫で生セックスするのも選択肢のひとつとして選べるようなやつはちんこもげろ。

 

 それでもやっぱり中出ししたい。

資本主義ゲーム

 皆様は「人生ゲーム」をご存知でしょうか。ご自宅になくとも、児童館、友人宅等で遊ぶ機会はあったのではないでしょうか。人生は自らの意思で切り拓ける部分がほんの僅かであって、ルーレットの指す目に翻弄され、自らの選択肢はイエス・ノーの2択でしかない、という痛烈な皮肉のこもったゲームです。子供すらも何人抱えるかは運次第という、たいへん動物的な、本能的な暗喩も含んだビターな遊びだと気づいた頃には既にアラサー、綺麗事だけでは済まされなくなってしまいました。ところが時間は巻き戻りません。さあ、今手元にあるカードを用いて、任意の"奴ら"に、目にものを見せてやりましょう。

 

 とはいえ小泉改革以降の強烈な新自由主義*1の流れで、昨今はより一層資本主義ゲームの様相を呈しているのが皆様もプレイ中のクソゲー、タイトルは「現実」というやつです。強固たる資本主義の路線に乗っかってゲーム内時間2017年1月も残りわずかとなりました。このMMORPGがクソな点はサーバが地球鯖しかないことと、良心のあるGMが不在であることです。GM不在。アダム・スミスは掴みどころのない仮想的なGMとして「見えざる手」を提唱し、概ねそれが受け入れられて今に至ります。

 

 資本主義の良いところはなんでもかんでも値段をつけて論じることが可能な点です。たとえば食費。家計簿をつければ毎月おいくらとトータルでプライスが出ます。たとえば人件費。会社が社員に支払う給与・賞与以外にも、社会保障費の会社持ち部分やら、管理システムやら諸々を考慮して、労働時間で割り、例えばひとり1分間あたり100円、とはじき出して、見積書に記入する設計費用・制作費用等に反映させることができます。カネ。なんでもカネで買えるのか。カネで解決できることばかりではないだろう。おカネで買えない価値がある。……などと言いますが、極端な話をすれば、「同等品で良ければお金で買えないものはないですよ」というのが真実でしょう。子宮ですら買えるのです。某通信企業の御曹司が代理出産がおカネでOKな国*2へ出向き、自らの遺伝子を継ぐ子供が増えることが、世界のためになると信じて、じゃんじゃん代理出産してもらったという事件がありました。

 

 集合という考え方があります。たとえば「缶」という「集合」の中には「アルミ缶」「スチール缶」「塗料缶」「缶詰」「飲料缶」等の「集合」が内包されていると考えられます。当然、「『アルミ缶』かつ『飲料缶』」といったような、2つの集合に属する概念も考えられますね。

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 では、上の集合図において、それぞれ「私のことを愛してくれる女性」と「私の子供を無料で産んでも良いと思ってくれる女性」に置き換えてみましょう。一般的に、その共通部に入った人を探して結婚することになるでしょう。見つかった方、どうぞお幸せに。

 ところが不幸にしてそういう相手が見つからない場合、資本主義社会ですのでお金を積みましょう。給料の手取りから幾ばくかのお小遣いを残して家計に差し出せば子供を産んでやっても差し支えない、という相手が出てきます。資本主義の良いところはお金を積むと解決する事項が多いことです。直接買える買えないではないにも関わらず、お金を出すことには変わりないのですが、「お金で買えない価値」という目に見えない上に定量化できないものが付帯しているようです。金は天下の回り物と言いますから、どこかで姿を変えていても不思議ではありません。

 

 もっと不幸にも、どういうわけだか、土地も持ってないし、株券が山ほどあったりもしないし、かと言って親が経営者だったりしないし、庭に油田もないし、信託銀行に純金を預かってもらったりしてません、ちなみに低所得者です、という我々はどうすれば良いのでしょうか。人間性を綺麗にしましょうか。……無駄に思えますね。お金を稼ぐDV男のほうが人間性が綺麗な低所得者より子宮を使う権利に恵まれています。この世はいま資本主義なのです。

 

 

 

 結婚という制度は「安定」と語られることが多いですが、どうでしょうか。男はひとり、女もひとり。もっと言えば、お互いに精巣と卵巣は2個ありますが、陰茎は1本ですし、子宮もひとつしかありません。なんと冗長性に欠けることでしょう。驚くことに心臓や腎臓すらひとりひとつです。なんとまあ不安定なことか。予備の心臓が欲しくて欲しくて普段で夜も眠れません。パーツ取りのために自分のクローンを試験管で培養する需要絶対にあると思います。収入だってせいぜい2人が働くか1人が働くかです。結婚して相手が寿退社した瞬間に片肺運転。なんという不安定さ。一夫多妻のほうがまだ冗長性が高い。男が死のうが女性複数いれば子育て担当と貨幣調達担当で生活できますから。あれ、ひょっとして男なんて要らない*3のでは……。

 

 読者諸賢ならこの不安定さをカバーするしくみとしての「生命保険」に早晩たどり着くのは容易でしょう。とはいえ生命保険会社としても死にやすそうな人から保険を引き受けていると、設定6のパチンコ台みたいにじゃぶじゃぶ出玉を放出することになりかねませんから、死ににくい人しか生命保険に入れないようです。なんじゃそりゃ。人生の先輩方からは「悪いことは言わないから生命保険は早いうちに入れ」と言われます。なんでも、通院しなければいけないような病気の診断が下ってしまうと生命保険の免責事由になってしまうそうで、こんな人間性のかけらもない文章を垂れ流しつつも健康で居るうちに命に掛け金を放り込んでいくスタイルがオススメとのことです。

 

 住宅ローンと生命保険が"セット販売"という話を聞くと、"持たざる者"が賭けられるのは命しかないのかと暗澹たる気分で目からハイライトが失われるようです。

 

 気がつけば、絶望だけして、資本主義ゲーム「現実」への呪詛を吐いていたら1月が終了してしまいました。あと11回こうやって絶望してたら年が明けるとわかり大変戦慄しています。

 

 トリプルおまんこサンドイッチ(無料)ください。

*1:偏見である

*2:ほんとはダメだけど罰則は医療関係者だけなザル法しかないらしくてガバガバですってよ

*3:同級生のガチレズ過激派にだいぶ毒されてしまった

やめるほうがむずかしい

 新しいことを始めること、今やっていることを辞めること、はたしてどちらが難しいだろうか。私は断然後者が難しいと思う。考えてもみればいい。会社、学校、習い事、どれも、どうにかして「辞める意思」を先方に伝えない限りは連綿と続いてしまうものだ。それだけではないだろう。「毎年やっているから」と続く、新人歓迎会という名の飲み会。別にこれは良いだろうけれど、そこで「毎年やってもらっているから」と新人にそれぞれ一発芸をやらせてまわる。だれか止めろと言いたくなっても、だれも止めない。一発芸だってタダじゃないのだ。業務外の時間にネタを考えて練習して、時には小道具まで買ってやるわけだ。それが何になるのだろう。

 

 サンクコストという考え方がある。「もう○○円つぎ込んでしまったから引き返せない」という考えのことだ(雑である)。例えば私がパソコンを買い換えた話。

 

sasamatsu.hatenablog.jp

 HDMI接続をするために4,500円のビデオカードを買ったから、もう引き返せないぞと古いパソコンのSSDを換装しても良かったのだが、総合的に勘案してパソコンをまるごと買い替えた。別に古いマシンを捨てたわけではないから、まるまる4,500円をどぶに捨てたわけではないが、今はケーブルをすべて抜かれて押し入れで眠っているから、どぶの横に置いてあるのと同義であろう。

 とは言え、だ。パソコンを買い換えると数万円かかる、SSDを買い換えれば1万円でお釣りが来る、そして古いパソコンには4,500円のカードを買ったばかりだ、という時に数万円かけるという判断はなかなかに難しい。まだパソコン程度であれば、数万円という現金だけを悩めばいいのであるが、これが、大学の学部が合わなくて再入学したいであるとか、恋人とどうしても合わないので別れたい、もっと行くと離婚したい等の、いわゆる「お金だけではなく時間や自分の若さまで費やしている」場合には強烈にサンクコストを意識してしまう。そら大変な悩みであろうが、自分ひとりで悩んで頂いて結論を出す場合には構わない。なにせ、自分が決めることだからだ。しかして、これらの悩みを「相談」された場合はたまったものではない。なにせ、自分の一言で、客観的に考えて恐ろしいほどのコストをドブに捨てろと言うか、あるいはそんなコストはドブに捨てられないから我慢しろと言うか迫られるのだ。

 

 なにしろ、そんな話をする時点で、相手は自分に対しいくらかのウェイトをかけているであろう。自分の判断で相手が費やしてきた人生のコストを損切りするかホールドし続けるかが決まってしまう。儲かっているファンドのマネージャーもビックリだ。「投資は自己責任です。元本割れすることもありますがすべてあなたの判断です」と、まるで金融商品を売りつけるごとく、予防線を張っておきたい気分だ。あるいは「続けるのもいいけど辞めてもいいんじゃない」と、まるで判断をしていないセリフを持ち出してその場では結論を先送りにして無期限延長を図るのも手である。ここで「続けろ」とか「辞めていいよ」って言うとのちのち揉めたりするしねえ。その判断をした場合の損失を被る覚悟で言うのはなかなか難しい。なにせ自分じゃない他者の人生ですし。「辞めていい」と申し上げて、当のサンクコスト負担者が「じゃあ手前で損失を補填しろ」と言い出した場合に「それは過ぎたことですから」「あなたの判断ミスです」と全ツッパできるのはよほどの豪傑であろう。私は命が惜しいので「アッハハそうっすね困ったなアッハハ……」としか言えないだろう。

 

 離陸決心速度というものがある。飛行機が滑走路を走ってさあ飛ぼうかという時に、エンジンに鳥が吸い込まれてエンコしたりする。離陸決心速度に達していなければフルブレーキで離陸やり直しとなるし、離陸決心速度に達してしまっていれば一旦上昇を試み、ダメそうなら着陸をする。どうしようもダメだったら……機長がベテランで、あなたの運が良かったら命くらいは助かるかもしれない。人生においても判断するスピードはこれに近いものがある。例えば大学入試。滑り止めの入学金納付期限と本命の合格発表はイヤらしいタイミングで設定されている。納付期限までに払うか否かの選択を迫られる。ただし、これについてはサンクコストとしての意義は薄い。本命に受かっていれば本命に入学するし、落ちていたら納付した入学金が生きてくるだけである。未来の選択肢を潰さない権利を買っているようなもので、一種の先物取引といった趣がある。

 

 さんざん抽象的な論調で話をしてきたが、この先の人生で脳裏に「引くに引けない」だとか「あれだけつぎ込んだのに」だとか、そういう感情が脳裏をよぎったときは、「ちょっと待って??????それ以上ダメなものにお金と時間を注ぎ込むぐらいなら潔く切ってソープランド行こう?????膣内射精してスッキリした頭で将来のこと考えよ??????まずはお姉ちゃんのおっぱい吸いながら気持ちよくなろう?????????」という脳内ちょっと待っておじさんを召喚しよう。女性は何をしたらスッキリ気持ちが切り替わるのかわかりません。ごめんなさい。っていうか、私が、お姉ちゃんのおっぱい吸いながら気持ちよーく膣内射精したら、散らかった思考がスッキリして、判断を誤らなくなるというだけであって、男性一般がそうとは限らないわけだ。ちょっと反省。でも読者諸賢の脳内ではちょっと待っておじさんを雇用していて欲しいわけですよ。これは私のエゴだけれど。

 

 きっと歴史的な決断の前には歴史的な射精が存在し、血迷った判断の前には射精が存在しないのであろう。

 従って膣内射精というのは、膣内で生射精を決定した瞬間が一番血迷っていて、射精後に次善策を考えている最中が一番アタマがキレているということになる。

 

 挿入した時点で負けなのだ。生挿入はやめるほうがむずかしい。

バタフライ・エフェクト

 日頃から「膣内射精が最高、それ以外はクソ」と声を大にして提唱していたおかげか、「彼氏と一緒に性病検査をしてピルを飲み始めました」みたいな報告を受けたり風の噂で聞くようになった。なるほどこれは性のドーナツ化現象である。爆心地である私が(性的に)ひもじい思いをし、周辺の人びとが膣内射精の良さに気づき、膣内射精で豊かになっていく。そしてその外縁部には、もっと性的にひもじい思いをしている人々が集まっている。古来より、性愛を向ける対象を大切に扱い、特別な間柄となることで人は安寧を受けてきた。「人肌の暖かさ」とかいうものの最たるところである。ところが、過度な経済成長が貨幣偏重主義とも呼べる資本主義の台頭を許し、妊娠出産を「(多くの場合では)避けるべきリスク」と捉えるようになった。これは即ち、本来多数派で生きやすいはずの異性愛男性から性の悦びを経済的に取り上げる形となった。おまんまんの食い上げ、というわけである。その供給減少に性病が拍車をかけた。最たるものが現在完治する手段の存在しないHIVであろう。コンドームを用いないアナルセックスを避ければめったに感染することはない上、現代ではQOLを下げないための治療薬が保険適用で出回り、子供を望むことも難しくないわけだが、それでも不可逆な、完治不能のウィルスに感染したくないという思いはある。既感染者への差別とは別枠で、だ。差別というのは公的な扱い等で不利益を被るか否かであり、個人間で嫌いだという感情への適用はできない。「HIVに感染しているあなたと付き合っても生セックスが楽しめないから私は付き合えない」と、特定の1人に対しお断りすることは、「あなたの顔が好みではないので子宮/陰茎に響かない」とお断りすることと本質的な相違はない。

 

 とは言え、実際の恋愛の現場で、「これからあなたと生セックスをする意思があるのでお互いに性病検査の結果を持ち寄りましょう」という会話がなされることは稀であろうことくらい、中学生からまるで成長していない私ですらわかる。第一、そのように安全第一で恋愛が、セックスが行われるのであれば、実家に帰った際に「○○先輩の弟が△△で歯医者のお姉ちゃん妊娠させちゃって両親揃って土下座しに行った」なる展開は起こらない。恋愛というのはノリと勢いと二人の秘密がアクセルであって財布がブレーキだ。よほど不利益を被らない限り性病がブレーキになるという話は聞いたことがない。……というのを私個人が思っているあたりで相当重篤で病巣が深いと思う。そりゃあ先進国でただ唯一HIV感染者が増え続けるわけだ。女を騙してちんぽを挿入することが「テクニック」であり、貞淑なフリをして何人もの精液を味見することが経験なのだからもはや救いようがないであろう。いくら保健所で無料匿名のHIV検査をしたところでもはや食い止めることはできまい。ちんぽに不自由しない美人が、まんこに不自由しないイケメンが、それぞれ「性病嫌だから直近の検査結果を持ってこい」と言い出さない限り潮流は変わらないだろう。

 

 こういう思想をゼロリスク信仰とでも言うのだろうか。行き過ぎたゼロリスク信仰は処女厨を生み出す。性病は嫌だというゼロリスク信仰が初物信仰と結びつく。たいへんケツの穴の小さい話だ。どうでもいいがなぜケツの穴が小さいやつはケチみたいな話になるのだろうか。大正クソモラシー。ケツがガバガバでしょっちゅうあちこちで尊厳を失うよりケツの穴が小さい方が良いとは思うが、ケツがキツいと美人なお姉さんに前立腺を攻めてもらえないという懸念もある。なんということだ。普段の尊厳と前立腺攻めはトレードオフであったのか。鍛えよ括約筋。射精の勢いも良くなると言うし、私は小便ののちケツ穴をキュっと締める動作を10秒×3セット行うことを提唱している。泌尿器科医が言っていたから間違いはなかろう。ドバっと開けてキュっと締める、21世紀に求められる括約筋。

 

 ひょっとして、自分で性病検査および低用量ピル飲用または子宮内リング装着必須のセックスコミュニティを立ち上げて代表として君臨すれば良いのではないか、という邪な考えが頭をよぎった。それはただの撮影しないアダルトビデオメーカーとなんら変わりがないことに気づいたし、なによりセックスしたいだけのつまらない男しか集まらない懸念が大きい。教祖というのは教徒の集まり具合に反比例してその実は孤独との戦いなのではないか。

 

 今日もノー中出しノーおっぱい。

となりのしばふ

 隣の芝生は青く見える。

 

 という言葉があるのは今も昔も変わらぬ旨さ。豊橋名物ヤマサのちくわ。……ではないが、古今東西、慣用的表現というのは大意を失わず連綿と使われ続ける。例えば「ライナスの毛布」であるとか。どうでも良いけどライナスの毛布、でググったらサジェストが「ライナスの毛布 ジェラートピケ」で、その先に出てきたのはジェラピケのスヌーピー柄ルームウェアだった。よく「10代後半〜20代前半の女の子が社会人彼氏に抱かれるのと引き換えに買ってもらえる」ブツとして有名なジェラピケのルームウェア。別にライナスの毛布がモチーフというわけではなく(あたりまえだ)、スヌーピーの顔の刺繍が入っただけのモコモコパジャマなのだけれど、このアイテムの心理的な効果として、若いセックスの代償として得られる物理的な依り代であり、本質的にライナスの毛布と同格である……っていう判断をGoogle先生がしたかどうかは知らない。

 

 話が逸れた。隣の芝生かくあるべしという話であった。さてさて、世は2000年問題も、ノストラダムスの大予言もとうに過ぎて、カレンダーには2017という数字が書かれている。世間様にインターネットとパソコン、という概念をあまねく広げたWindows95からもう20年以上が経つ。様々な意見があれど、個々人の経験という大変ミクロな部分までインターネットで知ることができるようになりもう長い時が過ぎた。昨今のブラック企業排斥の流れは、「こんなひどい境遇で働いているのは私だけではないのだ」という気づきや、「そんなに良い環境で仕事をすることができているのか」という羨望が、インターネットを通じて幅広く共有されたから、というのも一因ではないか。もっと各位は労働環境と賃金をインターネットでオープンにしていこうではないか。さすればひどい境遇で働く人も居なくなるであろうし、人材が欲しければそれっぽい人材を成果物とともにピックアップしてそのまま釣り上げれば良い。隣の芝が青いなら自分の芝もうんと青々と健康的に育ててみようではないか。私は生きているうちにニューヨークのセントラルパークで寝っ転がりながらチーズケーキを齧りたい。できれば自分の持っている”芝”がニューヨークのセントラルパークと同レベルに見えていれば嬉しく思う。

 

 さてさて、隣の芝が青いという慣用的表現における芝とは文脈によって異なる。友人宅に遊びに行った際にニコニコした綺麗なお母様がおやつを出してくれて親子関係が良好そうで、と言うのが「羨ましい」と言えば、その友人宅の家庭環境が「隣の芝」なのだろうし、あるいは友人の連れている恋人がびっくりするぐらい美人であるとか、夜はベッドの上でドスケベだとか、ピル飲んでくれていて中出しホーダイだとか、そういう惚気話が山盛りであるとか以下略以下略である場合はその惚気話の内容が「隣の芝」であろう。とにかく、自分が上から下まで保有していない場合の、土の上だけの芝生というのはいつでもたいへん青く見える。なぜならば、芝の側も、土の上くらいは青く見せないと、誰にも世話をされなくなってしまうからだ。

 

 上下分離方式、という概念がある。田舎のローカル線などで、あまりにも儲からないし、線路のメンテが大変な場合に、線路の保有とメンテを沿線自治体が請け負い、線路の上を走る列車だけを鉄道会社が引き続き行う、というものだ。列車をやる会社は、いわば「線路の上」だけに気を配れば良いわけであり、「下」である線路は、保有者である自治体にいくらかのお金を払えば済む話となる。ここで「下」の保有者がもらうお金を加減すれば、「上」の鉄道会社が苦しくならずに済む、という構図である。当然、もともとが赤字のローカル線を上下分離して、「下」がもらうお金を加減するわけだから、「下」の割に合わない部分は自動的に税金が入ることになる。雑すぎる説明ではあるが、中長期的に「下」の面倒を見ずに済んだ「上」の経営状態が改善されるかもしれないねえ、そうなったら良いねえという将来への投資である、と見ることもできる。

 ここで芝の話に戻す。「隣の芝」を見るとき、果たして芝の「下」、上下分離の「下」の「苦労」に目を向けることができるだろうか。「下」の面倒を見ている側は、その苦労を語ることができるだろうか。きれいな家庭環境の裏には、父親長時間労働と、それによるストレスでの配偶者へのDVがあったりするかもしれない。びっくりするほど美人でスケベな恋人は、親から虐待されているかもしれない。性的に求められるだけとはいえ、一晩相手をすれば、自分の家に帰らなくて済む、という理由で、クズ男をセーフティネットとして利用している、かもしれない。etc、etc……。

 

 公園の美しい芝生も、適宜水をやり、肥料を施し、雑草を抜き、どうしようもなくなればすべて剥がしてやりなおし、と、莫大な手間と資金が投入されていることだろう。手間を省くため、柵を立てて「立入禁止」とするのも手だが、果たして入れない芝生というのは何も植えられていない花壇と大差あるだろうか。さすればメンテは欠かせぬ、すると手間と資金が……。ああ、雨水だけで一回植えたら一生枯れたりまだらになったり雑草が生えたりせず青々と茂る芝生がないものか。ないものねだりです、はあ、そうですか、ということで堂々巡る。

 

 タダで寝っ転がることができる、大きな公園や、皇居東御苑の芝生も、元を辿ればきっと自分が納めた税金が突っ込まれているのだろうと思えば、どうやら、比喩ではない「タダで寝っ転がれる隣の青い芝」というのは存在しないのだろう。とはいえ天引き徴収されてしまった税金で受けられるサービスというのは、金銭支払いをしている感覚に乏しい。したがって脳みその具合が良くない私などは東御苑や公園の芝生をタダであると錯覚し、どうせならば美人のひざまくらON芝生ってのを楽しみたいと贅沢を言い始める。上を見ればきりがない。普段は飢えを見てひいひい言っているくせにな。

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 どこかにタダで無責任に種付けできる子宮はないものかと考え始めて、「あれ、ひょっとして税金をシングルマザー支援にじゃぶじゃぶ使えば実質世の子宮が東御苑の芝生と同格にならねえ?」という危険な答えにたどり着いてしまった。なるほど日本の税率は低い、そして女性の賃金も低い。シングルマザーの支援は十分ではない。故に現在未だに男という存在が子を成す女性のセーフティネットなのだ。東御苑の芝生とシングルマザーの支援を同格に語るなど、退位したら陛下が助走付けて殴りに来そうだ。すみません陛下。私はここまで歪んでしまいました。未来の子供たちがここまで歪まぬよう、心のきれいなままで成人してもらえるようになるといいですね。美しい国ニッポン。

 

 異性にセックスさせてもらえないだけで人間ここまで歪むって分かってれば子育てなんて簡単だよね。