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新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

善き倫理

 みなさま、よき倫理を! というのはある人の辞世の句みたいなもんであるが、倫理というものは教科書になるほどに重要である。倫理観というものがあるからこそ、この世はうまく回っている。もし倫理観というコーティングが剥がれたあとの世界では、私のような弱い中年男性は淘汰されてしまうことまちがいなしだ。そこで本日は、その倫理観コーティングが描くバラ色の二面性について着目し、自らの深淵を覗いてみることにする。

 

 世界には3種類の人がいる。「本音しか言わない人」「タテマエしか言わない人」「本音とタテマエをうまいこと使い分ける人」だ。そして大多数はうまいこと使い分けてくださることだろう。かくいう私もその1人で、なかなかどうして、本音とタテマエを3:7ぐらいでうまく扱うことでこれまで生き長らえることができた。

 

 例えば、立ち客が出る程度の電車に座っていたとする。そこへ妊婦が乗ってくる。内心では「(うっわこんなブスでも妊娠させてくれる男がおるんか……しゅごいな)」と思いつつも、次の瞬間には「どうぞ」と席を譲るわけだ。ホンネは放っておいてとりあえずタテマエで席を譲る。擬態の一種である。

 同様に、ヨッボヨボの老人が乗ってきても「(おい老人ヨボヨボしやがってここは3号車だぞ快適な4-5号車のグリーン車を使いなされ4-5号車だけに死後の世界ってかwwwwすまんwwwwwまだ生きてるなwwwwww)」と思いつつも、次の瞬間には「どうぞ」と無理やりにでも座らせるわけだ。

 

 仮に妊婦が美人なら、「(うっわこんな美人妊娠させるダンナうらやましすぎるだろ常識的に考えて)」と思いながら「どうぞ」と席を譲るので、『妊婦には席を譲る』が私の中での倫理なのだろう。

 

 しかしながら、自分がこういう思考をすると、ひとつ問題がある。「ひょっとして自分以外の人間もこういう風に内心いろいろ思いながらも"倫理"で受け答えしてくれちゃってるのではないか……?」というふうに、他人が信用できなくなるのだ。しかし、これについてはひとつの解答を用意した。答えは、「そもそも外に出てくる性格が外ヅラでありその人の性格として認識されるのであるから、相手の内面など気にせず外ヅラの相手だけしておればよい」である。そもそも観測不可能な領分である「会話相手のホンネ」までを推測して丁々発止するのは不毛である。言いたいことがあるなら言え、してほしいことがあるなら言え、である。

 

 このように、幼少期から倫理に基づいて教育されてきた子供というのは、咄嗟のとき、たとえば妊婦がえづいてうずくまっている時など、ホンネより先にタテマエが出てきて、大丈夫かと声をかけたり、あるいはその公衆空間を管理している係員を呼んできたりできるのである。

 

 しかしながら、この善き倫理を持っていようが10代女子にはまるで人気がない。「そういう」倫理的な外ヅラの人気がないのか、あるいはホンネのほうがバレていて恐ろしくクズな内面が透けて見えているのかは定かではない。

 

 現実というクソゲーでは時折、こういう"常識人"への擬態に失敗して、店員を恫喝するクソジジイみたいなキャラクタが登場するが、「うっわあいつ演技スキル足りねぇなダッセwwwwこちとら小中9年間学芸会で役者やってんだよなめんなwwwwww」くらいに思っておけばよろしい。相手もこちらの内面など気にしておらぬのだから、「もうしわけございません(ダッセwwwwwダッセwwwww)」で良い。

 

 「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉があるが、これは1900年までの言葉であって、昨今では若者のクルマ離れということもあり、道の真中に高速軌道が敷かれているから、「地獄への道は善意で舗装されていて、中央分離帯には線路が敷いてあって、5分に1本千里中央行きの電車が来る」というのが通説である。

 

 内心こんなことを考えていても、どうやら外ヅラの演技はウマいようで、同世代の女性以外はうまいこと騙されてくださるので、バイト先でも大層良い接客であると評価を受けていたし、昨今では会議でハキハキものを話すと評判である。上げててよかった演技のスキル。外ヅラは善良に思われていても頭のなかは幼なじみ彼女と排卵スク水中出しラブHでいっぱいなのだ。

 

 観測不可能なことを気にしない生き方というのは俺の中で評判が良い。具体的にはどこで悪口を言われているかわからないから飲み会の二次会三次会にズルズル出てしまうという人がいる。そんなもん出なければ良い。二次会三次会に出たところで自分の居ないところで悪口言われてると考えれば詮無いことである。それなら一次会でそっと姿を消すのがよろしい。強制連行されるシステムの二次会三次会は事実上の1.1次会1.2次会であるからここでは言及しないものとする。

 

 セックスでも同じである。相手が絶頂に達したかどうかというのは瑣末な問題であるから、「気持ちよかった(小学生並みの感想)」とひと言伝えて「そうか、ぼくも気持ちよかった(小学生並みの感想)」と返せば良い。なお当方童貞につき、この意見を参考にされた上での損害などはまるで保証する気がないことを付記しておく。

 

 ホスピタリティをウリにするタクシー屋からは要らないと言われてしまったが、普段はホスピタリティに満ち溢れた笑顔でいると自負している。神様、今日もぼくはうまく笑えていますか。彼女ができたらそいつが女神だが、それまでは自分が神を兼任しよう。かつて大学のサークルでは人員不足により会長と内務と外務のワンマン三役(三厄という説もある)だったことすらあるのだ。今更労働者と神とを兼任するくらいわけもない。今日から俺が神だ。ガッハハハ。

 

 ……いつからここまで歪んだのか、自分でも分からないが、少なくとも、高校生の頃に女子高生のおっぱいを吸えなかったのは大きな要因であろう。多数の女の子に同時に愛されないとこの乾きは癒えない。あ、男どもからの愛はいろいろと溢れてるんでいつもお世話になっております。多謝。

 

現役高校生諸氏に下記のスローガンを捧げて今日の締めとする。

吸おうパイオツ 吸わせようおっぱい