新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

風呂の話

 今日は風呂のおはなしです。私は風呂が好きで好きでしかたがなくって、ホテルも大浴場アリのところがあればそこを優先して泊まりますし、温泉なんて素晴らしくって素晴らしくってもうこの上ない幸福。これで一緒にお風呂入ってくれる美人が居たら最高よねって話は常々しております。だから、今のようにシャワーしかない物件で数ヶ月過ごす状況とか、ましてや海外だとか、実に耐え難い苦痛なわけです。会社辞める理由にすらなります。まだ辞めてないけど。2020年にはついに風呂退職が流行る。

 

 一人暮らし物件もまず第一に「バストイレ別」その次に「都市ガス」が来ます。田舎だとプロパンガスしか選択肢がなくてクソですけれども。もちろん、基本料金1,500円従量料金300円でやっている優良なプロパンガス業者もありますので一概にクソとは言えないのですが、公共料金じゃないから横暴な料金設定がまかり通るライフラインというのがダメですねぇ。早く原発動かしてエコキュートとかそうでないにしても深夜料金の湯沸し器で駆逐されてしまえと言われる業者が多すぎです。

 

 お風呂といえばお風呂セックスであることは紀元前の書物「風呂拾遺物語」にも記されている通り明らかなのですがいかがでしょう。だからバストイレ別の物件にこだわるのですがセックスまで到達できないのにカネをドブに捨てているのと等価であります。実に悲しい。セックスできる闇のお風呂屋さん通称ソープランドへ行けばいいと言うやつはセックスに至るまでの過程が欠けている。セックスとはまんこにちんこを入れるだけではないのだ。まんこにちんこを入れる部分だけを切り取った闇のお風呂屋さん通称ソープランドがものすごい高い値段をつけているせいで誤解されがちであるが、まんこをちんこに入れるという部分は大した価値がないのだ。まんこやおっぱいを自分の目の前で丸出しにしてくれる-救済--承認--許諾--信頼-とかそういう部分に価値が有るのであって、挿入なしに朝まで裸で抱き合うほうが3分のセックスより価値が高いのである。安直に闇のお風呂屋さん通称ソープランドへ行けという輩の口馬に乗ってはならぬ。ならぬのである。

 

 どうでもいいが話がずれた。夜行列車で東京へ行くとたいてい神田か御茶ノ水で居りて江戸遊へ向かう。ここはスーパー銭湯みたいな業態でありながら銭湯料金、つまるところ東京都の公共料金で入場できるため格式が高い。銭湯料金で入れるのにタオルのレンタル(有料)まであるから、ぱんつと靴下さえ持っておけばほとんど手ぶらでも風呂に入れる。大学の卒業式時点ですでに実家へ帰ってしまっていたので、ムーンライトながらで再上京して卒業式の朝に江戸遊で風呂に入ってそのまま大学へ行った。ちなみに、銭湯料金が適用されないスーパー銭湯と闇のお風呂屋さん通称ソープランドはお風呂屋さん(銭湯料金適用外)という同じ括りになってしまうぞ(笹松総合研究所調べ)。

 

 ぶっちゃけ行かない理由が値段だけになっちゃったら闇のお風呂屋さん通称ソープランドに行かない理由がなくなっちゃうんでなにかと理由をつけて先延ばし先延ばしにしてるだけなんですよね。知ってた。「お金を払う」という行為で-救済--承認--許諾--信頼-が得られるのだから安いものである。ここ2-3日の記事で心の中の闇を丁寧に書き下した感があったが、どうやらまだまだ闇が掘り起こせるようだ。闇鉱山の閉山は当分先のこととなる。いっそのこと「闇(国産)」で100グラムいくらで販売しようか。闇の単位はグラムでいいのか。ヘクトパスカルとかではないのか。どうでもいいけどヘクトパスカルって楽しそうな字面してるせいで間違えても闇の単位じゃないよね。海外旅行気分だ。いま記事入力画面の右上に「<題>海外旅行」って出てるんだけど、こういう文脈で海外旅行気分を味わうとは思っていなかった。恐るべしヘクトパスカル

 

 パスカルといえば「人間は考えるアホである」だ。いやちがう。アホは坂田。そもそも人間は考える葦であるってなんなんだ。葦ってなんだ。湖畔に生えてて浄化するやつか。あれ何も考えてないだろ。「あっこのへんで生えておこうかな過ごしやすそう」とか考えてる葦があったら不気味だ。マリオとかボンバーマンのザコキャラの役だ。ファイヤボールかバクダンで一発。スーパーボンバーマン3の1面がそんな感じの水じゃぶじゃぶステージだったような気がする。葦は考えなくてよろしい。

 

 俺はちんこで考えるからスク水でスケベがしたい。