新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

かわらずのいし

 ポケットモンスターに「もちもの」という概念が登場したころ、「かわらずのいし」というアイテムが登場した。「かわらずのいし」を持たせるとレベルアップでの進化が防げるというものだ。レベルアップでの進化では覚える技のレベルが変化したり、そもそも別の技を覚えたりするので適宜Bボタンでキャンセルするのが通常だったのだが、かわらずのいしを使うとそれが不要となる。

 

 私はどちらかと言うと変化を望まないほうである。大学生時代も、週に1回ゼミに出て、それ以外の時間で苦し紛れに進捗を作り、あとは家でゴロゴロしているだけの暮らしが一生続けばいいと思っていたわけだからフルタイムサラリーマンになって最初の1週間は地獄そのものであった。大阪の寮で「おうちにかえりたい」とつぶやくbotのようになっていた。アニメ SHIROBAKOのオープニング「COLORFUL BOX」を、行き帰りの電車で聴きながら「みゃーもりだって頑張ってるんだしあそこより人道的……人道的だからとりあえず定時で帰してくれる……ごはんもたべられる……」と思いながら必死だった。しかし1週間も居ると大阪暮らしに慣れるもので、金曜日の退勤後に同期と難波で飲んで飛田新地まで歩き*1、ひととおりゼニで抱けるオネーチャンを眺め、"料亭"に吸いこまれていく同期を送り出し、まだ電車で寮へ帰る暮らしが続けばいいと思うわけだ。

 

 

 その次に、日本の果てのような工場で研修が始まり、工場併設の寮で暮らすようになるとまた文明が恋しくなってくる。帰りたい。帰りたい。しかし私には力がない。職を辞して自由になる財力も、自らの配属先を自ら選ぶ社内政治力も、キャリア・ウーマンのヒモになる母性本能引き出し力もないのだ。しかたがないので日本の果て暮らしをする。退勤後にランニングを始めたりする。すると近所の高校生もランニングをしている。指定の体操服を通して揺れる現役女子高生の大きなおっぱい。柔らかい生地のスポブラでは乳首の主張を隠し切れない。なあんだ、日本の果てにはなにもないかと思ったらスポブラJKが体操服1枚で乳首ポッチ丸出しでおっぱい揺らしながら走っているではないか。もうこの時この瞬間から「この暮らしが一生続けばいいや」と思っている。現金なものである。

 

 とまあ自ら変化をする選択肢を選ぶことに乏しい私は、今いる境遇で満足するような安い人間だったのだろうかと自問自答するが、こういう考えに至ったのも無論理由がある。タイムラインで「学も手に職もないから離婚できない!逃げられない!だから女のあんたも手に職をつけろ!強くなれ!」という感じのことを親に言われた、てのが見えたからだ。なるほど、専業主婦というのは職歴の断絶そのものであって、専業主婦のちシングルマザーというのは離婚即詰みだということなのだろう。したがって男が専業主婦を"させる"のは、妻から選択肢を奪うことであるという論調だ。結婚した後に離婚するというのはたいへんな変化である。そのような変化の可能性を少しでも潰しておきたいというのは大変良く分かる。私もそうであるように、「今日みたいな日が一生続けばいいのに」という考えの人間にとって、明日突然変化する可能性の芽みたいなものは天敵である。やでしょ、自分ちにいつ爆発するかわかんない爆弾が置いてあるの。ボンバーマンかよっての。

 

 

 あれだけ過去の記事やらtwitterやらで「人間の本質は変化である」とか言っておきながら「今日みたいな日が一生続けばいいのに」と同じ口から出てくるんだから人間の本質は変化じゃなくてダブルスタンダードなのではないかという疑念すら浮かぶ。どうした脳内のアイデンティティ担当者。膣内射精は救いではなかったのか。いや、膣内射精こそ後に着床妊娠出産育児、それに加えて産後クライシスやら子供の受験失敗やら他所様の子供の髪留めを破壊して帰ってくるとか階段で後頭部強打してMRI撮ってもらうとか毎日に変化をもたらすものじゃないか。人生に変化を与えざるを得ない膣内射精、これが大好きマンが「今日みたいな日が一生続けばいいのに」とは笑わせるわ。どんと来い離婚調停。人間の本質はやっぱり変化であるぞ。気変わり上等。ただし最後に笑うのは俺だ。

 

 

 とはいえ親の愛情が毎日毎日安定しないというのは子供がメンヘラったりするのでこれまたダブルスタンダードな物言いをせざるを得ない。毎日「人間の本質は変化であるぞ」とか言って、ある日は溺愛、ある日は虐待、ある日は放置する親を世間は毒親という。別に毒親という言葉は多種多様な意味を内包するので、毎日態度が変わるだけが毒親ってんじゃないけれども。

 

 あ、別にうちの親は割と愛情変わらないほうでしたよ。さすがに不安定なときも年間1回ぐらいはあった気がするけどにんげんだものね。

 

 結局のところ「変化で訪れる新しい未来」と「変わらない安心」を両立させつつ、人は基本的に自分の足で歩んでいきましょうというのが折衷案として脳内採択されるのであった。

 

 

 自分の足で人生進んでくのしんどいから無限に甘やかせてくれるおねえちゃんに膣内射精だけしてたい。

*1:ちょっと、いや、かなり遠いので素直に電車に乗ったほうが良い