新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

だいそん

 みなさまはダイソンを使ったことがあるだろうか。私はある。そしてダイソンじゃないサイクロン掃除機を使ったこともある。とはいえ、使った環境が同一ではないため一概にああだこうだ言えないというのが正直なところである。今日は吸引力のお話。

 

 ダイソンの掃除機を最近使う機会があり、ダストカップを開けた時に驚愕した。髪の毛が引っかからないのだ。自宅のシャープだか三洋だかのサイクロン掃除機は価格.comの評価が高かったにも関わらず、母が毎度絡む髪の毛に苦労していたからこれは驚いた。ぜひともこんど掃除機がダメになったらばダイソンをプレゼントしてやろうと思った。その時は。

 

 ところがね、長い髪の人間が存在しないスペースでダイソンを使用していることに気づいてしまった。こりゃあいけない。ぜひとも二次元キャラのように長い髪の美人と一緒に暮らしてダイソンのダストカップに長い髪が本当に絡まないのかどうか検証する必要がある。ついでに性病検査をお互い受けて低用量ピルでも飲んでもらえば毎日生で膣内射精セックスできて大変お得であろう。問題は一緒に暮らす美人にとってなんの利点もないところだ。ここさえクリアできればダイソン社はダイソンが2台売れてみんなハッピー。ここからどうやって一緒に暮らす美人を探して利点をでっちあげてうまいことプレゼンするかが問題だ。

 

 

 そこで吸引力のお話。どうしてイケメンが女の吸引力が高いと思うのか。それは顔だ、と男が言うのも変な話であろう。顔を評価するのは女である。我々男が評価するのは女の顔だ。女の顔がいかに男をひきつけるか、これを少々過激に一般化すると"美人"という概念になるのである。とはいえ、高校の同級生からは「お前の好みはちょっとよくわかんない」と言われるので、世間一般の言う美人が好きとは言えないのかもしれない。

 

 死にたくないならしないほうが良いこと、というのがこの世には多数ある。覗き屋は早死するとか、敵に回しちゃいけない人をばっちり敵にまわしてみるとか、他人の彼女を貶してみるとか。別に彼氏だったら貶していいわけではなく、場合によってはサクっと命をpaidしてしまって、繰り越した通帳*1よろしく蜂の巣になり広場に転がる運命が待っているかもしれない。よく「恋人はあなたのもちものではない」という言説もあるが、本人不在の折にモノ扱いされることはままあるので、結局のところ自分以外のモノは生命体であろうが無機物であろうがモノはモノであるという本質に収束させておくと生きやすいであろう。過度な一般化はミクロな視点を失うこととなるが、本質を把握するほうが枝葉末節を捉えるより大切である。財布に入っている日本銀行券のシリアルナンバーを把握するよりも銀行口座にどれくらいお金が入っているかのほうがはるかに重要な情報だ、といえばご理解いただけるだろうか。

 

 そんなわけで枝葉末節にこだわらず、「女である」「私が見て美人である」「膣内射精ができる」という、求める本質をどんどん還元して要求することで思想の明日を迎える方策が具体化するであろう。

 

 庭から石油湧いてくれとは言わないから美人のなる木が生えてて欲しい。

*1:窓口で繰り越すと表紙と磁気テープにPAIDと穴ポコを打たれる。処女喪失である。ATMで繰り越すと一般的に穴はあかないから、処女厨各位はATMで通帳を繰り越せる銀行を使おう。