新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

でろりあん

 話題の映画を気軽に見に行ける程度の街に住むようになったので観てまいりました。

君の名は。

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 でまあ映画の内容に触れますとネタバレとなりますので深くは触れないこととして、本編上映直後に「ああ新海誠だ」と思えてしばらくすると新海誠の絵とかそういうのが気にならなくなるようなストーリーでございましたのでみなさまもご鑑賞いただければと思います。

 

 さてさて今日は映画の予告編のおはなし。映画館では近日上映の作品の予告編がそこそこ観られます。そして私は愚昧な大衆その1ですから、内容がゲスなほうが興味をそそられます。こないだ「シン・ゴジラ」観た時の「後妻業の女」予告編なんか最高に下品で最高でした。とはいえ。ああいうヤサイマシマシラーメンみたいなこってり下品なのでなくとも、恋愛がどうのこうのという筋書きでどう考えても生理が来てるヒロインが登場する実写作品ではだいたい濡れ場があります。そしてそれを予告編で流す。みんな大好き男と女。人類の歴史に深く刻まれたお約束事です。ところが、だれもアレを指して「濡れ場だ」とはいうものの「セックスだ」とは言わない。とはいえ朝チュン描写では消化不良感が出るでしょう。私が映画監督なら朝チュンはぜっっっっっっったいやらない。だってそうでしょう?皆様は綺麗な女優さんが演じるヒロインと無骨で男らしさを演じる俳優のぬらぬらテカテカした濡れ場をご所望でしょう?マクドナルド行ってメニューに有るとはいえサラダ食うか????家系ラーメン食べに行ってスープが醤油色のあっさり醤油ラーメン出されて満足するか????そういうことなのです。大衆は濡れ場をご所望だ。そしてセックスではない。濡れ場が求められているのだ。

 

 なぜ映画で濡れ場はあってもセックスはないか?答えは簡単だ。あれはセックスではないからだ。たいていの濡れ場は全裸っぽいアングルで薄いシーツっぽい謎の透けない布だけに覆われた2人がなんか苦しそうにうめいたり息を荒くしたりして全身から湯気立ってそうな感じになってるだけであってセックスではない。考えてみよう、セックスなのにスク水も着てないしセーラー服も着てなけりゃブレザーでもないしアニメのコスプレもしていない。そりゃそうだ、セックスじゃないんだもの。セックスってのはたいてい形容する感じの冠ことばをつける必要がある。スク水セックス。制服セックス。放課後セックス。おやすみセックス。ほうら、ぜんぶしっくり来る。では、映画でスク水セックスするシーン、まあどうせセックスを引き算して濡れ場にするのが監督の力量なんですけれども、そういうシーンなかなかないでしょう???○○セックスと呼べるような描写はないんです。なんでかって?そりゃあ童貞のための描写だもの。世の多数派はあくまで自前でセックスぐらいやったことがあって、その上で映画の濡れ場を見て想像力をフル・スロットルで脳みそからドーパミンどっばどば出して見終わったその足でラブホだ。濡れ場のある映画を見て気まずくなるのは童貞の考えた最強のデートだ。角川文庫にセックスが描写されててもなんのことはないけれど角川スニーカー文庫にセックス描写は出てこないだろう*1?つまり角川スニーカー文庫は角川文庫の刺激が強すぎた人用のマイルドなレーベルだったのだ(な、なんだってー AA省略)。

 

 とまあこんなところで駄文読んでないでLINEの中から土下座したらヤラせてくれそうな人誘って映画見に行けなんでもいいから早くだ早くしろ1分1秒を大切にだ。連絡が1秒遅かったら他の男の子供を孕む可能性すらあるぞ早くしろ手の遅い画面の前のアンタだアンタ、中古車屋で中古のデロリアンでもカローラでも買って早くしろ。

 

 というわけで「後妻業の女」一緒に観に行きませんか。ラブホ込みで。

*1:知らないだけで出てくる作品があるのかもしれない……。電撃文庫おねがい☆ティーチャーはそういう描写があったので一概にライトノベルにセックス描写がないとも言い切れない。