新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

人形

 人形。人の形をしていると書いて人形である。私はこれが苦手である。嫌いというのではない。モノのくせに目がついていてゴミ袋の中から悲しそうな目でこっちを見てくるからだ。気にしすぎ?ああそうかもしれないねえ。現実の女からしっかり見つめてもらえる出来た人間だったらば、単に目を模しただけのプラスチックやガラスに怯えず済んだかもしれない。どれもこれも社会が悪い。政府が悪い。俺に擦り寄ってこない女が悪い。すべて他のせいだと思えばメンタルも悪くならず健康健康。今日はそんな人形のお話。

 

 と言って人形の話をするかというとそうでもないところが筆者のいい加減なところである。なにせ、メイドロボを作るより美人の髪の毛を拝借してきてそいつのクローンをどっかで産んでもらってしっかり幼少期からぼくのお嫁さんになってもらうために洗脳したほうが早いと思っていることで知られる私がまともに人形の話をするわけがないじゃあないですか。どうせセックスするなら無機物の人形じゃなくてたとえクローンであっても暖かくて喋るセックス出来る人間のほうがなんぼかええわい。

 

 よく安直に「かけがえのない命」というフレーズがあちこちで使われるものの、実際には死ななくても数日入院してみたり連絡を絶って放浪してみても自分の居た組織はどうにか回ってしまって架け替え可能じゃねえかと憤慨するのも一つの経験かと思います。逆に言えば「あなたでないとダメなんです」というご依頼やら恋慕やらはたいへんな麻薬と同じようなものである。なにせ他じゃ代わりが効かないってんだから多少の無理は聞いてもらえるわけで、うまく行けば好き放題できるからだ。女が「あなたでないとダメなんです」なんて言ったら3分後には膣内射精だ。

 

 逆に言えば「誰でもいい」なんてものは人材募集において悪手も悪手、若い女ならなんでも良いなんて言った日には性病持ちのブスだって拒めやしないのだから、よっぽどでない限り「誰でも」なんて言わずにきっちり条件を定めたほうがよろしい。童貞が女を選ぶ権利なんかないと思っているなら大間違いだ。ちゃんと「制服セックスができること」「ノーパンで水族館に行けること」「性病検査をして低用量ピルを服用すること」などキチンとアドミッション・ポリシーを明確にしたほうがよろしい。「何が食べたいか」と聞かれて「なんでも良い」と言われた時のことを考えてみたらいい。「お前の奢りで寿司が食べたい」とでも言ってくれたほうがなんぼかマシだ。「寿司なのは良いけど奢りは勘弁だ」と落とし所が見つかるだろう?つまるところそういうわけだ。求める条件は明確にしていけ。

 

 ドスケベでおまんこぐっちょぐちょになる美人と子宮口がコリコリするような湿度の高いセックスしておっぱい吸って寝たい。