新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

オリジン

 おいしさの原点を追い求める弁当屋ではなく。オリジン。原点。見失いつつあるもの。

  と申し上げたところ、友人からツッコミが入った。私はハっとした。

 

 

 知らず知らずのうちに、世間の荒波に揉まれ、時代に迎合し、必然と自分の欲というものすらも見失い、ただただ身体を借り物として現世を生き流すだけの存在となりつつあった。そうだ、元来人間は利己的なのだ。利己的な遺伝子の乗り物として自分がある。世間が辛いので5人ぐらいまとめて妊娠させてそれぞれ競い合ってもらって仕送りまでして欲しい。働くママ、子育てするママ、家計を預かるママ、種付けするぼく。最高じゃないか。あまりに目に余る行動をすると寝首をかかれる心配をしなければならないから、どういうわけだか私のことを好きで好きでたまらなくて目がハートになっちゃうような女の子をどこかからピックアップすればよろしい。どういう修羅場になろうとも、私を殺して解決するという案が思い浮かばないくらいの愛で結ばれていれば良い。

 

 とは言えこのような構想もあながちぶっ飛んだものではない。なぜならばそういう時代が来ているのだ。これまでは男が稼いで女が付いてくる構図であった。しかし、一人あたりの所得はかつての半値にまで落ち、男女は同権を有するという見方が大勢となりつつある。そんな中で女性が絶対的な優位を持つことがひとつだけある。生まれる子供が確実に自分の子供であるという確証だ。男は生まれた子供が本当に自分の子供なのかどうかDNA鑑定をしないと分からない。ただこの一点だけは他に代えがたい。昔の男ほど稼がないのに家事も育児もしない、生まれる子供が自分のものか確証が持てない。なんの利点もないではないか。だからこそ我々は精液の価値を吊り上げていかにぐうたら生きるかという道を模索するべきではないか。子供を産みたくて産みたくて適齢期が過ぎ去る恐怖に怯える女たちから好条件を引き出すべきではないか。どうせ生まれてくる子供が自分のものかどうか確証が持てないのなら、女の方から精液くださいお願いしますと頭を下げに来るまで待てばよいのであって、まかり間違ってもタダでセックスするとか、お金を払って射精するなんていうのはご法度である。スト破りである。ATMと化してしまい、給料の大半を吸い上げられて小遣い制などに甘んじる輩には純然たる自己批判が求められる。そんな甘いことをするからみんな苦労するのだ。ラクをしたければ団結あるのみ。精液組合の誕生である。

 

 ところが、人間本質的な要求には抗えないように出来ていて、女の子の甘い香りを吸い込むとちんちんが無料で勃起し、甘い香りを吸わされながら金銭を要求されたとて判断力は泥酔状態と似たようなものになりつつあるし、射精する瞬間の偏差値はマイナス50であるからたとえその先がATMだろうと小遣い制だろうと「なんでもするから射精しゃせてくらしゃい~~~~♡♡♡」となるので本質的にはちょろいのである。精液組合でもって価値を毀損しないようにと思っても本能の前では本能寺燃やすより容易く組合が崩壊するのである。ああ悲しいかな本質的価値。若い女体はこの世で一番価値があるからそこに抗える男など存在しないのであった。第一部完。

 

 衆愚という考え方もあれど、枯れ木も山の賑わい的に国家というものは人口こそが多様性を担保する組織であるからして、昭和の高度成長期という時代において日本という国家は恵まれていたと言えるだろう。当然、マクロな国家は「何も考えずに結婚して何も考えずに出産する」ミクロな国民により支えられており、ミクロな家族内で起こるディスコミュニケーションそれに付随する機能不全家族や現代においては毒親と呼ばれる概念であったり、月並みな表現をするとすれば夫婦ゲンカに始まる家庭内不仲、現在ではメンタルヘルス案件であろう、いわゆる「○○ノイローゼ」と呼ばれるような種々の問題はミクロなものとして黙殺された。とはいえそういうミクロな問題を握りつぶしてなおかつての国家は成長し、どういうわけだかバブルが崩壊し、急速に増えた老人が財物を溜め込んで今日に至った。

 

 っていうめんどくさいことを考えずに膣内射精したら褒めてくれる彼女が欲しい。