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新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

電子制御

 昨今の自動車は電子制御とやらが進んでいるらしいという話をどこかで聞いた。電子部品メーカー各社はその電子制御とやらに一枚噛もうとどこも必死であるという。はて、生まれてこの方、カローラとミラとハイゼットとパイザー、それにキューブぐらいしかクルマというものを知らずに生きては来たものの、"電子"とやらが噛んでいそうなのはカーステか、シガーソケットに刺す各種コンソールか、あるいはエンジンの燃焼用コンピュータぐらいしかピンとは来ないのである。どうも、昨今の自動車業界はこぞって電子制御とやらにご執心だそうな。今日はそんな電子制御の話。

 

 久方ぶりに東京へ出て、新宿まで友人にクルマで迎えに来てもらうことにした。混雑するわ道は狭いわの都心部まで迎えに来いとLINE1本でたいへん横暴なことを言ったにも関わらずワーゲンのゴルフに乗って現れるのがたいへんナイスガイな友人である。さて、そんなゴルフに乗って東京を西へドライブするのであるが、ハンドルにたくさんボタンがある。首都高に乗り、渋滞にハマるとなにやらボタンを操作している。なんでも、ポチポチと操作すると車間距離を児童で保ちつつ、車線からはみ出ないように半自動で運転してくれるというのだ。「ほらいまアクセル踏んでない」「すげえ」などと言いつつクルマは進む。渋滞を抜けると今度はオートパイロットを有効にする。すげえ。アクセル=燃料噴射量の調整、というのが頭にあると、そのあたりを肩代わりする電子制御の真髄を見た気がする。

 

 そこで頭だけ前職時代へ戻してみる。前職はどことは言わないしどんなとも言わないが、電子部品メーカーであった。御存知の通り国内家電メーカー・パソコンメーカー・携帯端末メーカー各社は瀕死の状態で、散っていった三洋・シャープの他、部門ごとに撤退していき縮小したメーカーは数知れず。一縷の望みが「自動車の電子制御」であるという。とはいえ、働く人間の脳みそはアップデートされず、「なにやらよくわからん『自動車の電子制御』なるブラックボックスが弊社を儲けさせてくれている」というぼんやりした印象であった。むしろ、某業界最大手T社の求める過剰なまでの品質管理に嫌気が差し、もう自動車関係の仕事はしたくないという空気すら現場には漂っていた。そらそうだ。なにせ、それまで私の頭には「自動車というのはゴーカートに車体が乗っていてシガーソケットがついている」程度の認識であり、前述の最新式ワーゲン・ゴルフのようにポチポチっとするだけで車間距離を保ったりオートパイロットしたりしてくれる快適便利機能、ひいてはそのまま自動運転化まで地続きであるような技術のことを『自動車の電子制御』であるとは認識できなかったわけだ。電子制御とはクラシックなクルマにも載っているであろうエンジン燃焼用コンピュータを想像するのが関の山だ。

 

 なぜこのような貧困な認識になってしまったのだろうか。簡単である。そんなに電子制御てんこ盛りのクルマをローン組んでまで買えるほどの稼ぎがなかったからである。毎月の手取りで毎月東京へ出て(諸般の事情)やら趣味活動やらをして仕事をし、会社で倒れないようにまともなものを食べると手元にお金が残らないのだ。電子制御てんこ盛りの新車を買うどころか軽自動車の維持すら無理で、前職の先輩がタダで軽自動車をくれるという話も断ってしまった。その軽自動車は別の同僚がもらい、あとの同期の皆は親に車を買ってもらって、そのうえ自動車保険まで親の負担であったという。さもありなん。そうでもなければあの給料で一人暮らししたら足が出る。とうぜん、買って貰うとはいっても電子制御てんこ盛りの新車ではなく、ゴーカートに雨風しのげる車体が乗ったタイプの「ふつうのクルマ」ではあったが、こちとらそれすらなく自転車と2時間に1本の汽車で暮らしていたのだから羨ましい限りであった。

 

 とはいえ、会社の屋台骨ともなろうかという『クルマの電子制御』がどのようなものか分からぬままに、過剰な品質を要求されるというのは大変に士気が下がる。辞めてしまった会社にあれこれ言っても届くかどうか怪しいけれど、社員ひとりひとりが主力製品群の使用用途をブラックボックスだと思うか、昨今の自動車価格が上がっているけれどもその分運転がラクになって、しかもゆくゆくは自動運転へと発展していく心臓部で使われる、故に高品質でなくてはならないと認識できるかで、多分に営業活動・製品製造・生産管理への熱意というのは変わってくるように思う。

 

 結局のところワーゲンの新車をローン組んで買えるぐらいの給料を寄越せという要旨をなるべく正当な理由っぽく書き連ねることになってしまった。当然、給与というのは労働者が使途を自由に使うものであるから、パソコンを買おうが、テレビを買おうが、ゲーム機を買おうが、パチ屋でスろうが、風俗で膣内射精するのに使おうが自由ではある。しかしながら、自社の屋台骨を理解するために必要な金額というのがあろうと思われる。結局のところ法人というのは個人の集まりであって、これからの時代は特に家族を抱えているわけでもなく生活残業をしてくれるわけでもなく、個人にどれだけ報いるかが同業間競争の有効な一手となるように思われるので、会社に不満を持たれてはいけないのである。

 

 毎月50万ぐらい手取りがあったら軽率に膣内射精するのになあ(反語)。