新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

仏の顔×3

 残機という言葉があります。飛行機に乗る系統のシューティングゲームから来ているそうですが、一般にゲームでの残りライフポイントというか、残りミス許容回数といいますか、そういう使われ方をします。ボンバーマンやマリオでも残機という表現を用いても不自然とは思われません。ファミリーコンピュータでのスーパーマリオブラザーズではスタート時の残機数は3でしたが、スーパーファミコンスーパーマリオコレクションに移植された同作品では残機数が5になっていたように思います。ゆとり仕様です。おまけにセーブまでできる。ところがセーブは出来てもチビマリオからのスタートとなるのでいくらW8-1から再スタートできるとは言えキノコも食えぬままクッパ城へ攻め込まねばならぬのでなかなか難しいものでした。

 

 立川を舞台にした聖☆おにいさんという漫画作品があります。いろいろあって立川で暮らしているイエスとブッダのお話です。ブッダは仏ですので時々後光が差したりもしますが基本的にはパンチパーマのおにいさんとして扱われます。作中で「仏顔×3」というプリントのシュールなTシャツを着ていたりして、大変シュールな笑いを誘うものであります。

 

 ところが、"仏の顔も三度まで"というのにも、個人差があるのではないでしょうか。三度までなら許される、四度目はブチ切れ回されても仕方ないというのは大変乱雑な一般化であって、人によっては仏の顔の在庫が払底しており、不義理一回でブチ切れ回す場合もあるでしょうし、徳が高くて仏の顔が潤沢な人なら30個ぐらい融通してくれる場合もあるでしょう。ここで重要なのは日頃の行いです。日頃から仏の顔に甘えきってタダで寄越せ寄越せと言うだけの人と、普段から落ち度なく生活している人、ラスト一丁のブッダフェイスをどちらかに売ってあげようと考えますか。また、普段から気に食わないヤツに貴重な貴重なブッダフェイスをやすやすと販売するでしょうか。おわかりですね、「仏の顔は売るほど持っていても貴様にやるブッダフェイスはねえ!」という状態が仏の顔が払底している状態です。忘れがちですが、ものの売り買いという行為は契約なのです。「これを売って欲しい」という意思に対して「これを売っても構わない」という意思が合致して初めて売買が成り立つのです。従いまして仏の顔は潤沢であっても、"貴様は許されない行為をして出禁だから仏の顔はお売り出来かねる"となれば、警備員のおじさんに店からつまみ出されておしまいです。

 

 では、仏の顔の在庫数というのはどこに表示されているのでしょうか。お答えしましょう。"正確なことは商店主も把握していない"のです。なんと困ったことでしょう。というより、大変流動的な品物ですから、個数というまるでモノタロウの即納表示のようなものさしで示すことが難しいのです。よほど親しい間柄ならば、「あと仏の顔はいくつ残っているのか」と訊けば、「あの件とあの件で350ミリバールほど使ったからもう残ってねえよ」と真摯に返してくれるかもしれませんし、関係悪化を恐れて、在庫数を不当に水増しし、「まだみっつしっかり残っているよ(大嘘)」などと返す可能性もあります。繰り返しますがその日の気分で仏の顔というものはバーゲンセールされたり唐突に在庫切れで富士山が噴火して手がつけられなくなる場合もあるのです。仏の顔をお出しするかブチ切れ回すかの瀬戸際ともなれば、あとはもう詫び土地権利書とか詫び外車とかそういうものの有無が今後のあなたの人生を左右するかもしれません。再三繰り返しになりますが、仏の顔をお出し頂けるかどうかは、もはや誠意の領分であり、3つあるから大丈夫じゃないかひとつ寄越せと言っても、この仏の顔は売らん!絶対にだ!先祖代々のブッダフェイスをそう安々とくれてやるわけにはいかん!と言われて大変なことになってしまう場合すらあるのです。

 

 つまるところ好き放題しても土下座したり服脱いだりしたら仏の顔を卸売してくれる美人とかイケメンとか、札束で仏の顔を乱れ買いするお金持ちは有利ですよねという、身も蓋もマンホールもない話になってしまいました。

 

 仏の顔卸売りセンターよりアヘ顔卸売りセンターで働きたい。