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新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

迎合

日記

 最近自分でもわかっていることがある。以前、具体的には2015年6月7月8月あたりのようなおもしろい文章が書けなくなったことだ。否定はしないしできない。なぜだろうと考えたときにふと、「時代に迎合してしまった」というフレーズが降ってきたので便利に使うとしよう。迎合する。迎合とは、『《名・ス自》自分の考えをまげても、他人の意に従って気に入られるようにすること』らしい。なるほど私は自分の考えをまげてしまっていたのだ。知らず知らずのうちに。それも、「時代」というたいへんよく分からないものに気に入られようとしたらしい。土台無理な話である。そもそもが、だ。普段持ち歩く携帯電話に入っている音楽ファイルは70年代から90年代のJ-POP……の、昨今のアニメ声優カバーバージョンばかりだし、スマホタブレット全盛のこの時代にNUCでもってデスクトップを1台組んで、在宅時はパソコンの前から動かざること山の如し。昨今の若者が離れるという自動車まで中古即金でポンと買い。時代に対して錯誤的なことばかりしているのに、急に思想だけ時代に迎合してみても行動がついてこないのである。ならばいっその事迎合するのはヤメにしようと考えるのが今日このごろ。いっそ原点に立ち返ってあれやこれやと申してみよう。だいたい、だ。昨今の若者は恋愛もセックスもしないというのに、本質的にはセックスしたい、それも生で膣内射精がいいという内容の文章しか書いてこなかったわけだから今更急に文章だけ性欲なくなりました(キリッ)というわけにはいかないだろう。人間の本質は変化ではあるが、さりとて根底の思想哲学が昨日今日で綺麗に塗り変わるわけではない。たとえ何か衝撃的な出来事があったとしても、日焼けの跡がさめるように、徐々に変わっていくことだろう。

 

 さて、日焼け跡といえば一種のフェチであるが、私の大好物の一つでもある。スクール水着の形にくっきりこんがりと小麦色に焼けた肌と焼けてない肌の境目部分は一週間ぐらい平気でぺろぺろしていられそうだ。そんな健康的な褐色肌も昨今では皮膚がんの原因になるだとか老化が早まるだとか、ということで忌避される傾向にある。どうせ歳食ってきたら多少劣化具合が変わったところで水を弾くような10代の肌には敵わないのだから細かいことは気にせずこんがりと褐色肌が流行ればいいのだ*1

 

 褐色肌ぶっかけセックスもたいへん見た目に楽しいプレイである。特に、生で挿入しているのにあえて褐色肌ぶっかけをして、避妊にならないという軽率さも楽しめる一品である。当然、安全意識の高い諸氏は低用量ピルなどを用いて確実な避妊と軽率な生挿入とを両立するべく各種手配に奔走するのだろうけれど、それもまた一興。消極的な子作りとして避妊せずに危険日生挿入ぶっかけセックスをするのも一興。深夜に長文でクダを巻いてセックスできないかわいそうな笹松さんに比べればセックスできるだけで勝ち組です。超低成長時代なのだから「アレよりマシ」という下を見て安心するためのマイルストーンでありたい。ただし上を向いてみろ、貴様よりもっと若くてきれいな女とタダでセックスしているリア充高校生とか札束でめぼしい女を調達する大金持ちが控えておるぞ。上を向いて歩こう。下を、底辺の惨状を見て嗤えば安堵できるだろうが、時にはアッパークラスのキラキラと眩しい生き様を見て危機感に震え上がることも必要だろう。

 

 大変な笑い話であるが、一時期はセックスするために図書館通いをしていた。名作古典を読んで教養をつけるためである。男女関係はカネを払わない限りセックスだけに始終することはまずない*2のだから、セックス以外の間をもたせるためには教養が必要だ、という理由で図書館へ通い、ドストエフスキーに手を出したあたりで轟沈した。ラスコーリニコフニキが高利貸しのババアを撲殺したあたりでムダに長ったらしい文章にノックアウトだ。よく「あれはドストエフスキーが原稿料目当てにわざと長ったらしい表現を多用した」なる悪口(?)を言われることがあるが、本当にそのとおりだと思う。ああいう手合いを古典として持ち上げるのはどうかと思う。私は芥川賞候補みたいな小説を読むより直木賞候補を読むほうが性に合っている。とはいえ芸術というのも一つの教養であるから"我慢して"……と感じてしまうあたりで向いていないような気がしてきた。"罪と罰"より"涼宮ハルヒの憂鬱"のほうがよほど読みやすいが後者も2016年となっては古典と化した部分があるように思う。現代の高校生も奴らのように喫茶店で待ち合わせたりハルヒにせっつかれて解約するような定期預金があったりするのだろうかと思うと嫌疑的だ。

 

 ぼくはハルヒより佐々木とセックスしたい。

*1:以前なら打ち消し線を入れなかっただろう。時代に迎合してしまっている

*2:と思う。セックスフレンドという存在もキッチリセックスだけするとは考えづらい。