新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

本棚に権威を

 どこで読んだ文章だか忘れたが、本棚に権威を持ち込む/持ち込まないという考え方があるようだ。しかもどういう文脈で出てきたかを綺麗さっぱり失念しているため、自分なりの解釈で「本棚に権威を持ち込まないようにしている」という小話を時折することがある。今日はそんなお話。

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 というわけで完成した本棚の様子を。設計通り本が収まったのは良いが、それでも、もうここまで埋まってしまった。

 

 とある時期の京都の街で、とある大浴場つきの宿で滞在した時の話である。当時はまだまだ世間を知らぬ若造であり、大学生になったら汚く狭い自室は早々と放置し、5月には親しくなった彼女の部屋に入り浸って半同棲しつつピルを飲ませて膣内射精し放題であると信じて疑わなかった頃合いである。昼下がりに大阪から京阪特急で三条へ。電車を降りて、まずは腹ごしらえとセブンイレブンのざるそばを食べ、東山通りを北へしばらく歩いた。ホテルにチェックインすると早々に浴衣に着替えて大浴場へ。日の高いうちから湯船に浸かるのは高等遊民の特権であろうと考えていたかどうだかもう記憶が曖昧だ。日の高いうちから大浴場でふやけているのは自分ぐらいであろうと思っていたが、しばらくすると、もう一人浴場に入ってきた。私と同じく近眼の度が強いのであろう、真円に近いレンズのメガネを掛けたままである。歳頃合いから同じ目的であろうと世間話をすることとした。どこから来たのかと問えば東の関ヶ原を超えたあたりだという。私は西の瀬戸大橋を超えたあたりから来たと言う。ちょうど中間地点であるなあと互いに打ち解けたあたりで趣味はなんだと、当たり障りなく読書であると、そういう流れになったのでいよいよ「権威」の話をする。

「私はねえ、本棚に権威を持ち込まないようにしているのです」

「ほう、それはなぜ」

「権威で読む本を決めていると、いつの間にやら自分の意志というものが希薄になり、すべて権威様の言うとおりに行動するようになっちまう気がしまして」

「それは良い心がけですね」

 とまあ反応は上々である。一般的に教養があればここから太宰治がどうだ、夏目漱石がどうだ、"こころ"で三角関係は死ぬような印象がついているが別に3Pでもいいじゃないか避妊さえしていれば、などというような話をするのであろうが、そのあたりが欠損しているので話としてはそうならないのである。

 

「だから本棚には漫画しかないのですよ、字の本は権威だ、ガッハハハ」

「そらそらアッハッハ」

 

 ともすれば掴みは上々である。適当に相手方がのぼせるまで世間話を広げてやればこちらも良い感じにふやけてのぼせてポカリスエットが飲みたくなってくる。

 

 

 それから数年経ち、曲がりなりにも大学という機関である種の教養というものをその道の権威から半ば強制的にインストールされてみると、ハハア権威というのも自信に満ちあふれていてゴリ押しするのではなく日々困惑しつつ理論と実験の繰り返しでゆらゆらと揺らぐものなのだなあと実感し、一般的に教養として言われる古典的文学音楽活動写真を抑えておけば共通項として会話の依り代になりひいては美人と懇ろになる手掛かり足掛かりになると分かってくるのである。夏目漱石太宰治クラシック音楽バック・トゥ・ザ・フューチャーのようなヒット作品をひととおり、軽くでも押さえておくことは人生を、たとえ女体にありついて裸体をむしゃぶるためという邪な目的においても役に立つことがあるだろう。

 

 ある程度の教養があるとはったりをかますことも可能である。こやつは底知れぬ奴だと思わせておけばやりたい放題できたりする。生理周期など一般教養で朝飯前であり、基礎体温と安全日と婦人体温計など、特徴的なキーワードだけでもこいつやべえなと思わせることが可能である。

 

 著名な作品には勢いで生セックスをし膣内射精をしているであろう描写が多数あるからやはり著名な作家というのは生セックスが大好きなのであろう、かくいう自分も三度の飯と同じくらい膣内射精を好む。

 

 ぬらぬらとよく濡れた温かい膣壁に包まれたい。