新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

#C91感想 艦娘無職小説合同誌『横須賀ハローワーク』(鎮守府労務局)

 皆様は仕事を辞めたことがあるだろうか。わたしはある。やむにやまれぬ事情というか、半分は自分の都合というか、会社の他にも少々問題があってとにかく山から降りたかったというのはあれど、漠然とした不安と引き換えに会社組織を去ることとなった。

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 漠然とした不安、というのは大学入試に失敗して浪人した頃にも感じたものだ。というより、浪人中、私は公的な所属組織を失い、文字通り無職となっていたのだから、そう考えると退職も無職も経験したことがある、ことになる。浪人中は卒業した高校の補習科というものに在籍していたが、これはあくまで「PTAと教員が協力して善意でやっている寺子屋のようなもの*1」であり、公的な学生証は発給されず、学割運賃の適用も受けられないのだ。とはいえ「無職」の二文字を職業欄に書くことは大変抵抗のある行為である。どこのだれとも分からないアバズレ女の女性器に避妊具を付けずに陰茎を挿入するのといい勝負だ。……あれ?大したことなくないか?……というのはさておき、「無職」と書くのがイヤ過ぎて、フェリーの乗船時に「学生」とうっかり記入して提出し、「学生証はお持ちですか?学生証があれば学割運賃に……」と係員氏に言われ、けして咎めるような口調ではなかったにも関わらず、何かしらの後ろめたい気持ちになり、うろたえながら、今日は学生証を携帯していないと言い訳をし、正規大人運賃の支払いをしたことを思い出した。

 

 そして、今日は去るコミケット91で買ってきた艦娘無職小説合同誌『横須賀ハローワーク』を読んで感想を書くことにする。

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例によってネタバレを含むので一旦改行スペースを置く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『No More Work!』(長串望:望月)

 SFというかディストピア物というか、無職の概念を拡張した一作であった。時間凍結で機能を停止されていて、目覚めると何もかもが無人で放置されていて、進めど進めど、自分以外の知的生命体が現れない状況での職業とは、仕事とはなんなのだろうと考えさせられる一作。よく「最近の子供は生活力に欠ける」と口癖のように言っていた小学校の恩師を思い出してしまった。自分以外の人間がある日突然いなくなったら私はどうするのだろうか。まるで想像がつかない。

 

『私(うち)に赤紙が来た日』(山峰峻:龍驤

 常々私が申し上げている「人間の本質は変化である」というような内容で大変満足。迫りくる無い内定卒業に焦る大学生、そして手元には一通の封書。艦娘になりませんかという旨のお手紙を素直に承っていいものかと悩む。わかる。私も就職活動というのはそうであった。出る内定、本当にこの会社でやっていけるのだろうか。精神を病んだりしないだろうか。東証一部上場の有名企業連中に若くていい女を根こそぎ持っていかれないだろうか。いいや鶏口牛後ということばもある。大丈夫。なんとかなる。でも不安である。時間外手当は出るだろうか。酒で潰されないだろうか。入社前から不安でいっぱいだ。そしてもう一つ、「単語熟語で存在する概念は広く一般に遍く存在するから慌てることはない」という考え方も座右の銘みたいなアレだ。こういう入社前の不安はマリッジブルーという単語で一般化されているから、変に「自分一人がおそろしくユニークな悩みで苦しめられている」と考えて考えて苦しむぐらいなら、とっとと布団とセックスしたほうがオトクである。実際、艦娘龍驤となってから適当に適応してうまいことやっているわけで、という描写がそれを裏付ける。考えるよりやってみよう、人間意外とくたばらないようになっている。そういう哲学があればこそ、私は万策尽きそうになったらとりあえず会社辞めてみよっかなとか思った次第である。

 

『間宮の手』(イワンウイリー:間宮)

 ある日突然、利き手が切断となったらどうするか。もうこの先、愛する女を撫でてやることもできず、自分で缶ジュースを開封することは能わず。当然、台所に立って料理をすることも困難になり……。両眼の視力を失うとか、下半身が動かなくなるとか、そういう障害に匹敵するくらい、普段生きていると考えたくないことにランクインするであろう身体欠損。とはいえ、明日にも交通事故で右腕を切断、ということはありうるわけで、しかしてそれを「準備」「覚悟」して迎えるという奇特な性格はしていない。そんな内容の話をここまで描けるということは、氏は執筆中に右手を縛ったり、タオルでぐるぐる巻きにして使えなくして過ごしたのではないかとも思える濃密な描写が心に響いた。それでも、やはり、明日利き手がなくなるという準備も覚悟もできそうにない私は、平和な平成の日本に生まれて慣れてしまっているのだなあと実感している。

 

『下野に下野』(がたはし:最上)

 しもつけ、下野と書いて現在の栃木県とほぼ同一のエリアを指す。げや、下野と書いてお役人が組織を去ることを指す。第一線から退くくらいの怪我をした最上くんが、退職金を握りしめて下野に下野するお話。退職して行き先が決まるまでの間、贅沢な天丼を頼んだりして無職の幸せを噛みしめる最上くん。私も昨年退職を決め、有給消化中は似たようなことをしていた。毎日が日曜日。どれ、今日は思いつきでちょっと上手いものを食べに行ってみようと汽車でお出かけ。最上くんと違って口うるさい心配症の姉妹は居なかったが、ともかく、有給消化で自由気ままな暮らしは最高であった。「下野市定住促進のための家庭菜園整備事業」、なんと実在する概念であった。自治医大駅までクルマで少しのところ。毎日東京に通うような身分でもなければ必要十分な場所であろう、都心直通の宇都宮線が使える場所にのんびり家庭菜園暮らし。お金の心配がなくなったらそういう暮らしをするのも良いだろう。

 しかしながら、転居初日から布団も家具もないのにホテルではなく新居にタクシーを走らせてしまう等、最上くんの世間知らずっぷりが丹念に描写されている。そら鈴谷・熊野も口うるさくなるだろうし、あまり口に出さないまでも三隈があきつ丸に尾行を頼むのも頷ける。「世間知らず」というのは、一種の妬みであって、しなくて良い苦労をせずに済んだ証でもあるのだ。ああ、私もいつまでも世間知らずで居たかった。

 

『私への遺書』(ぬかてぃ:大和)

 世間知らずの最上くんに引き続き(?)、世間知らずがもっと似合う大和のお話。こちらはもっと衝動的で、お姫様扱いに嫌気が差して家出してしまう。精神的な満足のために肉体的庵満足を捨ててみる、というにはあまりにも衝動的で無計画。路線バスという、公共交通の顔をしているが、内実おそろしく情報が不足していて、実のところ上級者向けの乗り物。そのよくわからないバスに乗り、適当に降りて、人の気配がない砂浜の小屋で寝泊まりし始める。ほんの少しでも世間に迎合してしまった私のような人間からすれば正気の沙汰ではない。水道は、電気は、ガスは、住所は、家賃は、風呂は、今日の夕食は、どうするのだと考えてしまうけれど、世間知らずほど怖いものはない。世間知らず本人も怖いものがない。

 一度上げた生活水準を下げることは難しいと言われるけれど、そういうことを言うためには「自分で自分の生活水準を把握している」という前提が必要なので、世間知らずの大和ちゃんはそれ以前の問題なのだった。大和の世話をする鳳翔さんも、自らの意志か、組織の意思か、大和を世間知らずの状態にし続けるあたりたいへん悪辣なキャラクタであるのだが、それはまた別のお話か。人間甘やかし続けるのも考えものだね。とはいえ突き放し方が突然過ぎて、こんな家出のしかたをしたら悪意のある男性に妊娠させられたりやしねえかと若干不安にはなるけれど、きっと大和ともなれば監視がついているのでしょう。知らんけど。

 

『大井っち、秘書やめるってさ』(いなんず:北上)

 艦娘が海軍退職後に差別されて苦しむという、なんともありそうな心が苦しくなるお話。なんだろう、深海棲艦相手とはいえ殺しの経験があると、まるでムショ帰りのように扱われるのだろうか、と考えたりした。北上がパン屋でバイトをすることが問題なくできている、となると身体能力が一般的な人間に比べて劣るというわけでもなく。やはり、「艦娘と人間は違う生き物」という点が問題となったのだろうか。秘書という業務の特殊性、すべてが描かれていないがきっと何かがあったのだろう。大井が折れて職を失い、その上、"人間"として襲いかかる住民税の通知。鎮守府労務局という救いの組織を立ち上げていた鳳翔さんも、かつて苦労したんだろうなあ……。

 

『人魚は歩けない』(長串望:伊58)

 だいぶ退廃的な生活してるなあこのゴーヤ、と読み始めるとしばらく、自堕落なダメ潜水艦の無職生活日記かと思えば途中で豹変する恐ろしい(褒め言葉)作品であった。猫かと思ってじゃれていたら突如腕をぱっくり食べられてしまうような気分を味わった。毎日素麺を持ってくるU-511を見ると、借金のカタとして素麺を6kg送りつけられた某氏の顔が脳裏をよぎるが恐らく何の関係もないであろう。偶然だ。コスパがどうのと素麺を自ら箱買いするほうの某氏の顔も脳裏をよぎったがこちらも恐らく関係はないだろう。しかして、半径数メートルの人間関係ですら素麺をキロ単位で買う/送りつけられる人間が居ることを考えると、毎日ドイツ仕込みの真面目さで素麺を茹でて持ってくるU-511というのはある種リアルなキャラクタである。よく、食費を切り詰めて趣味に財産を全ツッパしている界隈で聞かれる「業務用パスタが主食」というのにちょっと和テイストを加えると素麺木箱キロ単位購入、ということになるのだろう。閑話休題。退廃的な生活をずっと送っているものとばかり思っていたらなんとこの伊58潜、いっときはファミレスで働いていたという。しかして、ファミレス以外で待ち受ける苦難がツラすぎた。ハチもイムヤもイクもしおいもまるゆもロクな目に遭っていない。そしてそれらのトラブル現場へ飛んでいってまるで保護者のごとく頭を下げるゴーヤの姿がありありと目に浮かぶ。もういい、ゆっくりしていろと言いたくはなるが「のんびり」するにはカネがない。するとて、台所のシンクに食器洗い洗剤すら切らす退廃的な生活につながる。ニムはひどい目に遭うどころではなかったが。ユーが世渡り上手で救われた。政府の用意するセーフティネットが不十分で、結局最後に頼れるのは世渡り上手の身内であるというどうしようもない事実が横たわっていた。やはり無職は不安への入り口である。

 

 

 

 執筆陣はいずれも無職経験がおありとのことで、あの宿帳に「無職」と記すことへの抵抗感といい、一言で言い表せぬ不安といい、そのあたり、それぞれの"無職観"というか、滲み出ているような作品が並んでおりました。

 

 そう簡単にくたばったりしないから、会社、やめてみませんか。

*1:では、授業はどうしていたかというと、これもまた、教諭は公的には「時間休」で学校を抜けて、あくまで私用として補習科の授業を行っている、という体裁になっていた。給料の補填をPTAが行うという体裁であったのかどうかは忘れたが、とにかく学校を時間休で抜けている、という旨であった。