読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

承認欲求を大切に

 今日は題して「承認欲求を大切に」です。別にご自身の承認欲求を大切にしろ、と言っているわけではなく、自分以外の承認欲求を大切にしてあげると大変生きやすいですよというのが本日の結論です。弊ブログは良い文章を送り出すため、結論から言うことにしている日があります。今日がその日です。

 

 さて、皆様それなりに人生経験はおありと存じますが、長い人生の中で一度くらいは「せっかく○○してあげたのに!!!!」「お前のことを思ってやってんだよ!!!」等とキレられたことがありませんか。……ないですか。そうですか。じゃあ、あなたの周囲は承認欲求がない人間で埋め尽くされていたのでしょうきっと。まあそんなことはなくて、大なり小なり上記のように感情を露わにされた経験があるのではないでしょうか。別に恋人間での痴話喧嘩に限りません。「せっかく夕飯を作ったのに殆ど手を付けないなんてどういうことだ」と母親の機嫌が悪くなるとか、「せっかく一生懸命授業をしているのに居眠りしやがって」と教師の機嫌を損ねてしまったりとか、これらも「一生懸命に作った夕飯に対して美味しいと言って欲しい、せめていっぱい食べて欲しい」という欲求が満たされなかった、だとか、「せっかく長い時間かけて教科書を読み込み、授業で扱う問題も精選し、教材も作ってきたので取り組んで欲しい」という欲求が満たされなかった、という点に起因します。承認欲求というと、何かしらの作品を創るクリエイターだとかが常に評価を求めて消耗している様をイメージしがちですが、必ずしもそうではありません。というより、大なり小なり、どのような人間も、承認欲求を抱えていると思えばよいでしょう。本当に無償で、対価も評価も要らないけれど、何かしらを施してくれる人が居たら詐欺師ではないかと疑いましょう。タダより高いものはありません。

 

 谷川流涼宮ハルヒの憂鬱」作中にも、キョンが夕飯を数日続けて外食したため、「そろそろ母親の作った食事を摂らないと機嫌が限界だ」というような表現があった気*1がします。即ちこれはいちばん身近な承認欲求であるところの、母親が「母親であるという役目をきちんと果たしていることを評価されたい」という欲求を満たさないと、そろそろ機嫌がまずいことになる、というのをキョンが理解しているという意味です。従って、ご飯が出てきたら「ありがとう、おいしいよ」と言い、着替えが洗濯後に畳まれていたら「ありがとう」と言えばいいのです。当然、棒読みではなく、接客業的なホスピタリティにあふれる笑顔で心のこもった言い方をする必要がありまして……というのは、読者諸賢にとっては自明のことと思いますが、身近な家庭で処世術を養えると思えばこそ、いい習慣となるのではないでしょうか。なお、相手が母親ではなく父親であっても、あるいは兄弟、友人、恋人であっても、「(いつも)ありがとう」のひと言に感情を乗せられるかどうか、ただこの1点が人間関係の分水嶺となってしまうことも少なくありません。なお、場合によっては、親の承認欲求を満たすために、テストの順位がどうであるとか、模試の成績がどうであるとか、行く大学のレベルがどうであるとか、成績だけではなくオベンキョに対する態度がどうとか、そういうことも求められる場合がありますが、独立するまでの辛抱ですから付き合ってあげましょう。機嫌を取る(≒扶養していただいていることへの"感謝"をしている演技をする)だけで扶養して頂けるというのは、生まれた家で、独立までの期間限定でしか味わえない境遇かと思います。専業主婦・主夫にでもなればまた話は別でありますが……。

 

 とまあ、このように、感謝の言葉に心を乗せるという演技スキルが高くなりますと、どちらへ赴いても邪険に扱われることは少なくなります。よく、接客業をしているとクソ客が、などというお話を見聞きすることとなりますが、逆に優良顧客としての振る舞いを演技するだけで、顔を覚えてもらえたり、有利な取り計らいをしてもらえたりすることが増えて大変オトクです。当地に越した際も、近所のスーパーの店長に早々と顔を覚えられてしまったような気がします。おそらく気の所為です。あちらの店長スキルが高すぎて、お客さんの顔を覚えましたよと顔をみたら満面の笑みでいつもありがとうございますと言うようになっているのです。そう、こちらの承認欲求が満たされる時、相手の承認欲求を満たされる……Win-Winの関係が、そこにはあるのです。承認欲求というのは、渡した分が目減りするゼロサム・ゲームではないのです……!

 

 承認欲求をやりとりする最も本質的な行為がセックスです。男女(とは限りませんが、簡単のために一度こうさせてください)の間で承認欲求をやりとりをし、その欲求の形は、感じている演技であったり、練りに練られたデートであったり、最も単純に貨幣であったり、あるいは、枕営業であったりと様々な思惑が複雑な形で渦巻いているでしょうけれど、一方的に損得が発生する関係性は長く続かないという点でお察しいただけるかと思います。鰯の頭も信心から、はじめは感じているという演技で能動的に喘ぎ声を出していても、いつの間にか子宮で感じる肉棒の硬さにどこか嬉しさを感じるようになるかもしれません。そんじょそこいらのキュレーションメディアとは違いますから断言はしませんが……。私は性的なことを嫌悪する女性よりも、演技であってもえっちな顔で誘ってくれる女の子のほうが好きです。

 

 家族という身近な人間間ですら承認欲求が渦巻くのですから、新興宗教のカリスマ教祖というのは相当な承認欲求に応え、心の隙間を充填することができているのでしょう。そして、信者の崇拝で自らの承認欲求も満たし……あらあら、新興宗教の構造すらも承認欲求で説明がついてしまうのでしょうか。少々乱暴な気もして参りましたが、人間を堕とすならば承認欲求から、単なるやりがい搾取はもう古い、これからは承認欲求を満足させつつ搾取をしてくるスタイルが流行ります。だからこそ、安易に承認欲求を充足させてくる相手には気をつけましょう。特に、不倫だとか浮気だとかは、現状の配偶者や恋人が満たしてくれない承認欲求を上手に埋めに来ることでしょう。自分の心の隙間を把握して、正しい相手に「ここを埋めろ」と直接要求するか、あるいは自分で埋めるかできる人間になりましょう。

 

 

 だから私は膣内射精という形で承認欲求を充足したい。

*1:たぶんあったはず。各自どこかで読んで補完してください。