新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

ささくれ

 ささくれ、というと爪のところの皮膚が剥けてくるさまよりも木材が細く持ち上がってくるさまを思い浮かべてしまうが皆様いかがお過ごしだろうか。さかむけ、とか、さかもげ、と言ったほうがそれを指す気がしてくる。地域性の問題か、私の言語ライブラリに何かしらのバイアスがかかっているのか。別にきょうはさかもげの話をしたいわけではなく、デフォルメの話をしようと思う。

 

 デフォルメとは、対象を変形させて表現するというのがもともとの意味である。例えて言えばプラレール。現実の鉄道車両の長さ方向を極端に短くし、台車構造を廃して床板に車輪を2つ取り付け、フランジを廃し、パンタグラフは真上から見たように屋根に貼り付き……と、元々の車種が何であったかという情報を見事失わずして幼児向け玩具になっている。少々精密の方向に歩を進めてNゲージ鉄道模型ともなると、プラレールに比して精密にはなるが、それでも前面窓ワイパーは可動しないし、行き先表示もレールに乗った状態でグルグル動くかというと無理だから、やはり割り切ってデフォルメをする必要がある。

 

 では冒頭ででてきたささくれとデフォルメの話であるが、これは時間が限られた場合の話である。空間と言ってもいい。紙幅の場合もあろう。創作の話をする。現実でささくれを剥くことに特段意味はないことが多いが、ドラマ、演劇、漫画、小説、その他あらゆる創作物中において「ささくれを剥く」ことが何らかの文脈を有しない場合にはたしてささくれを剥く描写をするだろうか。たとえモデルになる登場人物が居たとして、その人物がささくれを剥いたとしても記述はオミットされるであろう。

 

 しかしながら文脈があれば良いわけである。例えばささくれを剥きすぎる人物が居たとして、その彼女が血までにじみ出たささくれ跡地を痛々しいと指摘し、癖なのだと言い訳をされると、むう、と不機嫌そうに指フェラチオを始めるシーンがあればそれは文脈上必要であろうから、渾身の表現力を持ってささくれを剥こうではないか。そのままオイオイと嗜めたところでえへへぇと指を離してくれたものの彼女の唾液でびちょびちょの指をそのまま口に運びたくなってきたらそう表現してもよかろう。何も普段から生々しくべろちゅーをキメている間柄でもいちど自らを離れた体液を味わわれるのはこっ恥ずかしいことこの上ない。えっちょっまってと言うのが間に合わずに唾液まみれの指を美味しそうに味わえばしてやったりだろう。うーん、デリシャスとでも言わせておけば濡れ場の導入としては及第点だろう。ばーかとか言いながらべろちゅーおっぱじめればあとは流れでお願いします。

 

 飲みながらセックスするという文脈が存在する麦茶を作りたい。