新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

金策と夜行列車

 夜行列車。今、毎日走るのは東京-高松間のサンライズ瀬戸号、および東京-出雲市間のサンライズ出雲号だけとなってしまった。かつては日本全国西へ東へ走っていた夜行列車は、より輸送量が小さく、より行先を多く設定できる夜行バスに取って代わられた。とはいえ夜行移動の需要が消えたわけではなく、これからも夜行バスは繁盛するだろうし、夜行独特の雰囲気というものはあり続けるのだろう。

 

 少し古めの小説や自伝等で「夜行列車で金策に走る」というシーンが良くある。どうしても公的な融資が受けられず、伝手を頼って西へ東へ頭を下げに直接金融をお願いするという生々しい昭和の時代のひとコマである。とはいえ平成の世になっても同じような真似をする必要というのは場合によってはありうる。ある日とある上り東京行きサンライズ瀬戸号に"金策乗車"していたひとりの青年が居た。名は皆さまご存知笹松という輩だ。なんでも「日本学生支援機構」とやらに頭を下げるために夜行列車を用いて郷里から千葉の大学まで急行しているのだ。当然、これにはワケがある。

 

 時は2011年、大地震原子力発電所がポムっと水蒸気爆発を起こし、電力が不足してきたためか、時の千葉大学は所定であれば休日である土曜日にも授業を設定し、夏休みを前倒して延長することにした。英断である。日々の休日は減るけれどもひとまず夏休みの延長分で振り替えられる。従って、平年通りであれば8月10日頃からとなる夏休みが1ヶ月延長となり、7月中旬からとなった。これ幸いと私は7月中旬より郷里の自動車教習所で普通免許を取る手続きをし、20日ほど帰省することにした。帰省すれば食事は無料だしガスも電気もタダな上にうまいうどんは食べ放題、ということで香川に帰ろうとした。

 

 ところがだ、当初の計画通り7月下旬に奨学金説明会が設定され、出席が義務づけられてしまった。400万円借りたければ7月末に大学に出頭せよ、さもなくば貸してやらんと申す血も涙もない日本学生支援機構という組織がそこにはあった。

 

 しかしながら教習を後ろにズラすわけにはいかなかった。この時点ですでに他大学の夏休みでもある8月下旬の教習は予約が困難となっており、奨学金説明会の当日だけ1日休みにしてまた香川に戻ってくることとなった。

 

 ある日の教習終了後、実家に帰るや否や荷造りであるが、その目的は奨学金説明会に出席することであるから荷物は抱えるほどのサイズにもならず、おおかた夜行列車に乗るとは思えぬ少ない荷物で坂出駅のホームに立った。時刻通りにクリーム色の大きな電車は特急|東京行の表示も誇らしげにしずしずと入線。個室寝台……ではなく、フェリーの雑魚寝を思わせるカーペット敷きのノビノビ座席が本日のお宿である。これからおおよそ400万円の金策に向かう金融困窮者ひとりと、ほか大多数の旅行者を乗せた特別急行は瀬戸大橋を渡っていった。

 

 どうせ金策に走るなら血も涙もない機構相手ではなく資産家の美人を相手にしたかった。