新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

神は自ら助くるものを助く

 なんかヘンだ、と思ったら神じゃなくて天は自ら助くる者を助く、が正当らしい。細かいことなので実にどうでもいい。

 昨日の記事は大いに反響があった。明示されては居ないがエントリまでひとつ頂いた。明示されちゃあいないが身に覚えがあるだろうとは言われたので反響ととらえてよろしかろう。

toudo-kougen.hatenablog.com

 

需要と供給はどこかにあるんだよ。まずは信じよう』ふむ。この人には信じてロクな目にあわなかった話はしたんだけれども、まだ信じろというのか。

 このように批判的なご意見を取り上げるのには無論意味がある。イエスマンばかり並べている組織は競争力を失う。私は人であって法人ではないが、法律の上で人として扱われるものも人も競争力を失うと死ぬのは同じだから大した問題ではない。こうやって身近なところからそれマズいんと違うかって突っ込んでくれる人は大切にしようね。ネットってすぐブロックできるけどね。批判するほうが難しいんだよ、実は。

 

 と書いておきながら、以下には賛同の意見が並ぶ。水が低い方に流れるのと同様、人間もやはり優しくて甘やかしてくれるほうに流れる。

 

 

 ありがたさしかない。こういうご意見が頂けないとただただ狂人のへんな文章になってしまう。オペラ座っぽい怪人。ほんの少しでも、心の奥底に届くものがあれば幸いである。別にここで心を粉飾決算してあわよくばセックスに持ち込もうなどと考えても底の浅さが露呈するだけであるから。

  少々文意が通じづらい箇所があったようですので、上記の通り補足させていただきます。statusを開いて会話文を御覧ください。

 会話文を開けない環境の方へ平文で用意しました。

熊:どうにも1ヶ所理解できないところがある #笹松ブログを読んだ

茸:解説するがどこかね

熊:処女膜のお値段4000万

茸:処女じゃなくなってからのセックスと年金が0円になってないかってこと?

熊:じゃなくて、子供2人育てるのに4000万かかるからぶち破られる処女膜の価値4000万っていうのはどう考えても釣り合わねえだろという

茸:いや合ってるよ俺の中では4千万だから だから普遍的な処女膜一般の値段として高須クリニックの15万っていう現実的なのが出て来る

熊:ああ、そういう価値付けだということなら溜飲も下がりますわ

茸:ご理解いただけたようで幸いです。処女厨が4千万だと思ってるものが世間で15万程度なんだったら滑稽だよねぇドッハハハ

熊:これはこれで「普遍」などというものが存在し得ないという社会学的には貴重な証左でございますから

 

 

というものです。熊氏のブログ「ある日森の中」もぜひにどうぞ。

 

 

 昨日は風呂にはいる前に書き散らし文を書いたのでどうにもわかりにくいところが多かった。反省している。そこで今日は書き下し文として「自称一般成人男性の私が抱える自分が女性に選ばれなかったことに対する恨み辛み苦しみ哀しみ」ということでまとめてみよう。うむ、まるで反省していない。

 

 

 大切なのは「恨み辛み苦しみ哀しみ」を抱えているのは「女性」相手にではない。「選ばれなかったこと」に対してだ。罪を憎んで人を憎まず。ここのところを間違えるとのちのち泥沼化して秋葉原歩行者天国で無差別殺傷する側に回ってしまってもおかしくはない。

 

 さて、昨日の指摘では「あなたのことを好きな人がいるかもしれないのに自らの価値を下げるようなことを言わないほうが良いのではないか」という内容を頂いたが、それは私に対して「私のことを好きな人が居ないことを証明できなければ心中の恨み辛み苦しみ哀しみを墓まで抱えていけ」という、いわば悪魔の証明を強いられていると感じた。悪魔の証明をするくらいならこうやって少しずつ心の中の闇を書き開いていくほうを選ぶ。誰かが言わねばならぬのだが、誰も言わないからな。自分の言葉で書くのが難しければ、記事の下にあるtweetボタンを押せば良い。過激な発言のリツイートは伸びるのだが、賛同者が居たとしても、過激な発言を自分の言葉でを書くのは難しいのだ。

 

 指摘するのは簡単だが指導するのは実に難しいのだ。今思えば、勉強の仕方を丁寧に教えてくれたのは教師だけであって、同級生はみな一様に大学の定員を奪い合う競合相手であったからだいぶギスギスした高校であったと感じる。セックスも同じである。限られた美人というリソースを奪い合うからだ。無論、競争が激しくなるのを嫌う既得上位層はこれ以上同格の相手が増えては困るのだから丁寧に教えてくれるはずがない。上から蹴落とすほうが楽であるからな。

 

 仮に恨み辛み苦しみ哀しみを「選ばれなかったこと」ではなく「女性」に対し、間違えて抱えている人間が生活保護の窓口に座っていたとしたらどうなるか。ソープランドで働けというに違いない。ソープランドとは哀しみの空間である。生活保護窓口でリジェクトされたコンパニオン、同じく真っ当な職場からリジェクトされたボーイが働いており、真っ当な手段では女性に選ばれない非モテ野郎が客としてやって来る。利益はヤクザ屋さんという、これまた昨今世間からリジェクトされている組織に渡る。なんとも闇のお風呂屋さんだ。反世間のかなしいお風呂屋さんだ。

 

 女性の「NO」は牢獄の扉より重いのであるから絶対である。何度も無理を押しているとストーカー防止法か何かで綺麗に牢獄へ送り込まれる。もちろん、Noと言われない場合もある。コミケでコスプレしてるレイヤーの皆様はフルサイズの一眼レフなどを持っていない私のようなキモオタにも笑顔で撮影を許諾してくださる。ありがたさしかない。

 

 いつしかタイムライン上で結婚報告だったか出産報告だったかが流れた際、「うわぁ」とか「俺はいつできるんだろうな……」みたいな発言を見た誰か(FF外の人だったので覚えていない)が「おめでたいことにたいして『おめでとうございます』じゃなくて一言多いアンタらめっちゃおかしいよ……」とたしなめていたが、心の中の闇が可視化できるようになったのだから仕方あるまい。

 

 誰もが抱えている心の闇を誰かが書かねば、語らねばならぬとしたら、それがたまたま私の役割だったというだけなのである。

 

 インターネット噺家って言われるぐらいだから、スク水そばを前座でやらにゃいかん気がするなぁ。柳家喬太郎の「コロッケそば」のごとく。