日々の暮らしぶりを見てもらえると分かるように、私は自殺志願者ではありません。まだ乗りつぶしていない鉄道路線もたくさんあるし、南の島で豪遊するのもまだだし、ラスベガスで100億稼いで連邦税ふんだくられる経験もまだですし、愛液を飲んだこともありませんから、まだまだ死ねないなぁと思うわけです。
では、なぜ自殺志願者の話をするのでしょうか。それは、私が自殺志願者だったからです。今、読者のあなたは本文章前段落と本段落を二度見しているでしょう。「私は自殺志願者ではありません」「私が自殺志願者だったから」意味がわからないので解説します。まず、自殺志願者には2種類あるとここで今日いまナウ定義します。「故意の自殺志願者」と「過失の自殺志願者」に分けられます。私が分けます。では、まず前者から解説しましょう。
☆故意の自殺志願者
いわゆる死にたみ、死にたさ、希死念慮とかそういうものを抱えていて、原因は人それぞれであれ、「……死にてぇ」って感じのカテゴリの人がここに入ります。実際死ぬには自殺活性化エネルギーの山みたいなものをえっちらおっちら超えて自殺を実行する必要がありますので、その自殺活性化エネルギーの山を超えられない死にたみ抱えた人は鬱々と生き続けるわけです。臓器が動いてるだけで楽しいのってあんまりいじめると死にますので煽るのも大概にしましょう。故意のってついてるぐらいだから死にたくて死ぬんです。
★過失の自殺志願者
特に死のうと考えていないのに行動が危なっかしい人のことです。例えば私。引っ越しと同時に衣類乾燥機を洗濯機の直上に設置したのはいいけれど、洗濯機のアースを接続できませんでした。なぜならコンセント口が衣類乾燥機で塞がってしまったから。「ま、いいか」と股尾前科のノリで2ヶ月過ごしましたが、洗濯機に水を張ってから洗濯物を追加するときにいつものように「……沈め!」とか言いながらブクブク沈めていると、ふと思い出します。「あれ、アースつないでないからもしいま漏電してたら水は電気をよく通してぼくが人間アースになっちゃってお陀仏なのでは……」と。思い立ったが吉日、本日を仏滅にしたくないのでとっとと気合いでアースをつなぎます。これでひと安心。愛液の味を知らないし母乳の味も忘れて久しいのでまだまだ死ぬわけにはまいりませんからね。
同じような例では、駅のホームで線路際スレスレをひょいひょい歩く人(なにもないところでうっかりつまづいたりしないのだろうか……)とか、タバコ吸いながらガソリン入れる人(西部警察かな)とか、日本海沿いを夜中に一人で歩く人とか(拉the致)、"""あぶなさ"""の評価が不十分な人、と言い換えてもいいかもしれません。
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ところで、皆様は青汁を飲んだことがあるでしょうか。私はあります。飲みやすいタイプではなくキューサイのケールのやつです。かつて、飲む前はてっきり「抹茶オレ」のような味がすると思い込んでおり、実際に飲んだ時のあのなんとも言えない感情は今でも忘れることが出来ません。おのれケールめ、まるまることを放棄したキャベツの分際でまずいまずい汁にされちまって情けないのう。情けないのう。
これと似たようなものに愛液があります。こちらはまだ飲んだことがありませんが、実に淫靡でアヘアヘできる味がするものと思い込んでおります。これも遠くない将来にケールの青汁と似たようなケースになってまたひとつこの世への絶望が増えるのか、はたまたマンアグラは神のつくりし救済であるのか、知的好奇心と性欲のある限り明日は等しくやってきますので、今日も明日を楽しみに布団へ入るのが捗りますね。
ふとももと子宮の織りなす扇情地に顔をスポっとうずめてしんこきゅう。