新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

親知らずは焼き肉の香り(R-18G)

 みなさまは親知らずを抜いた経験がおありだろうか。昨今では上下で噛み合ってない親知らずは健全な歯の並びを悪くする一因ということでわりとポコポコ抜いていく傾向にあるそうな。という説明を受けたので、当時千葉に住んでいた私は快諾し、千葉から引っ越すまでの9ヶ月ほどをかけて4本中3本を抜いたのだ。ちなみに、最近は親知らずがそもそも生えてこない人や、4本ぜんぶは生えない人というのもいるそうな。川原礫の『ソードアート・オンライン』のクリアファイルか何かに書かれていた外伝的エピソードにはキリトが親知らずを1本しか持っていないという描写がある。4本揃っていると原始人に近いらしい。私は原始人か何かか。

 

 人間のアゴの構造を考えてみよう。上アゴは頭蓋骨と一体成型されている。プラモだったら同じパーツだろう。たぶん。したがって親知らずも頭蓋骨にくっついてりゃいいわけで、それほど一生懸命にくっついてなくて良いことからマイナスドライバーみたいな歯科器具でコキャっと外せる。ヘーベルとかエレベータとか言うらしい。しかしながら下顎は可動部であるから割としっかり食らいついておかないと衝撃が加わったりするから親知らずも必死こいてくっついている。顔が出てた左下の親知らずはヘーベルでコジったあとに鉗子で抜けた。歯科医いわく「切らないとダメかと思ったけど若くてホネが柔らかかったから抜けた」とのこと。ここまでは良い。

 

 そしてそれから9ヶ月ほどの月日が経過し、舞台は西日本・中国山地のとある盆地へ移る。当地での暮らしも一段落し、親知らずは引越し先で抜いてもらえと千葉の歯医者に言われていたので、近所の歯医者にとりあえず定期検診とクリーニングに行った。若くてハッキリ説明をするいい感じの歯科医だったため、「右下の親知らずを抜いて欲しい」と申告する。日程が決まり、翌日に消毒するタイプの歯科医であるから有給を取って欲しいと言われる。金曜に有給を取り、歯医者へ向かった。

 

 歯茎を切開せねばならないと事前に言われていたので覚悟はしてきたし、しばらくモノが満足に食べられないのは経験していたので、腹一杯にメシを食い、いざ歯医者へ。麻酔を打たれ、歯茎を切開され、とここまでは順調であった。つづいてヘーベルを歯の根っことホネの隙間に刺し、楔の要領で……抜けない。抜けない。外側内側をゴリゴリされるが抜ける気配がない。「少しずつ抜けてますからね」あっはい。だんだん苦しくなってきた。「下が膨らんでるので分割して抜きます」アッハイ。こんなことは初めてだ。分割するためにリューターのような器具が入る。親知らずを砥石で切断しているようだ。そして漂う焼き肉の香り。あ、これは知っているぞ。荒川弘百姓貴族』で出てきた牛の角切りだ。パチョンと切ってジュッと焼くと角の部分なのに焼き肉の香りがするというやつだ。やめろ、口内で焼き肉したくない。口内射精は大好物だけど口内で焼き肉とか御免こうむる。肉の焼ける香りを漂わせるんじゃねぇ回転砥石のぶんざいで。そして麻酔が切れてきた。痛い。痛い。苦しい。何度も吐きそうになる。そしてとうとう言われてしまう。「体力も限界のようですし残りの歯の根っこの部分は来月抜きましょう」なんだと?この苦しみをもう一度?私に死ねと申すか????ふと時計に目をやると施術開始から2時間以上が経過し、午後の患者さんが待合室に山盛りとなっていた。俺の体力というより午後の患者に差し支えるのね、はいはい。私は会計を待った。

 

 明細書には「難抜歯中止 470点」という項目があった。3割負担であるから会計金額から計算すると2時間以上格闘して口内焼き肉をして歯医者さんには7,000円ぐらいしか入らないことになる。人件費で赤じゃないのか。抜けない親知らずは患者を苦しめるだけではなく歯医者をワープアたらしめる恐怖の存在なのだ。

 

 

 えー……また来月この苦しみ味わうのかよ……低まる……。