新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

森鴎外と遠藤周作とパリとロンドン

 人間の記憶なんてアテにならねぇなぁ、というおはなし。

 

 

 

 お金があれば楽しい街、東京という旨の発言を見て確かにそうだそうだと思うのは良いけれど、とっさに出てきたのがなぜか「舞姫」で、勝手に屋根裏部屋を訪ねてきたエピソードを追加し、その後現代語訳の舞姫を読むとパリじゃなくてロンドンだし、男のほうが大無責任時代なのはいいけど粗末な屋根裏部屋が登場せず、はてなんかおかしいなぁということで疑問をツイートしたらかつて同じ大学で学んだ識者に「それは遠藤周作の『肉親再会』ではないか、センター試験の国語に出題されたことがあるからそれではないか」という指摘を頂いた。大SNS時代の集合知に助けられてしまった。

 

 ではなぜ『肉親再会』と『舞姫』が混じったのか。おそらくは高校在学中に、国語の授業やらお勉強やらで、海外が舞台で、借家が登場して、女*1も出てくる。なるほど混同する要素がてんこもりだ。英語が苦手な日本人、海外の地名も平気で間違う。みんなもヨーロッパ行ってベルリンに通天閣建てような。

 

 件の『肉親再会』は講談社文庫の『最後の殉教者』に収録されているそうな。

 

 

 

 ていうか東京はそういう夢見がちな人間が身の丈に合わぬ生活をするものの粗末な住居に押し込められている非人道的な都市になっちまってるのか。こいつは恐れいった。日本という国は想像以上に100年前のパリみたいになっちゃってるようだ。だったらば歴史に学べばうまいこと解決するはずだから官僚各位は頑張って欲しい(他力本願)。

*1:うっかり孕ませちゃう恋人と妹だから相当違うんだけど