新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

となりのしばふ

 隣の芝生は青く見える。

 

 という言葉があるのは今も昔も変わらぬ旨さ。豊橋名物ヤマサのちくわ。……ではないが、古今東西、慣用的表現というのは大意を失わず連綿と使われ続ける。例えば「ライナスの毛布」であるとか。どうでも良いけどライナスの毛布、でググったらサジェストが「ライナスの毛布 ジェラートピケ」で、その先に出てきたのはジェラピケのスヌーピー柄ルームウェアだった。よく「10代後半〜20代前半の女の子が社会人彼氏に抱かれるのと引き換えに買ってもらえる」ブツとして有名なジェラピケのルームウェア。別にライナスの毛布がモチーフというわけではなく(あたりまえだ)、スヌーピーの顔の刺繍が入っただけのモコモコパジャマなのだけれど、このアイテムの心理的な効果として、若いセックスの代償として得られる物理的な依り代であり、本質的にライナスの毛布と同格である……っていう判断をGoogle先生がしたかどうかは知らない。

 

 話が逸れた。隣の芝生かくあるべしという話であった。さてさて、世は2000年問題も、ノストラダムスの大予言もとうに過ぎて、カレンダーには2017という数字が書かれている。世間様にインターネットとパソコン、という概念をあまねく広げたWindows95からもう20年以上が経つ。様々な意見があれど、個々人の経験という大変ミクロな部分までインターネットで知ることができるようになりもう長い時が過ぎた。昨今のブラック企業排斥の流れは、「こんなひどい境遇で働いているのは私だけではないのだ」という気づきや、「そんなに良い環境で仕事をすることができているのか」という羨望が、インターネットを通じて幅広く共有されたから、というのも一因ではないか。もっと各位は労働環境と賃金をインターネットでオープンにしていこうではないか。さすればひどい境遇で働く人も居なくなるであろうし、人材が欲しければそれっぽい人材を成果物とともにピックアップしてそのまま釣り上げれば良い。隣の芝が青いなら自分の芝もうんと青々と健康的に育ててみようではないか。私は生きているうちにニューヨークのセントラルパークで寝っ転がりながらチーズケーキを齧りたい。できれば自分の持っている”芝”がニューヨークのセントラルパークと同レベルに見えていれば嬉しく思う。

 

 さてさて、隣の芝が青いという慣用的表現における芝とは文脈によって異なる。友人宅に遊びに行った際にニコニコした綺麗なお母様がおやつを出してくれて親子関係が良好そうで、と言うのが「羨ましい」と言えば、その友人宅の家庭環境が「隣の芝」なのだろうし、あるいは友人の連れている恋人がびっくりするぐらい美人であるとか、夜はベッドの上でドスケベだとか、ピル飲んでくれていて中出しホーダイだとか、そういう惚気話が山盛りであるとか以下略以下略である場合はその惚気話の内容が「隣の芝」であろう。とにかく、自分が上から下まで保有していない場合の、土の上だけの芝生というのはいつでもたいへん青く見える。なぜならば、芝の側も、土の上くらいは青く見せないと、誰にも世話をされなくなってしまうからだ。

 

 上下分離方式、という概念がある。田舎のローカル線などで、あまりにも儲からないし、線路のメンテが大変な場合に、線路の保有とメンテを沿線自治体が請け負い、線路の上を走る列車だけを鉄道会社が引き続き行う、というものだ。列車をやる会社は、いわば「線路の上」だけに気を配れば良いわけであり、「下」である線路は、保有者である自治体にいくらかのお金を払えば済む話となる。ここで「下」の保有者がもらうお金を加減すれば、「上」の鉄道会社が苦しくならずに済む、という構図である。当然、もともとが赤字のローカル線を上下分離して、「下」がもらうお金を加減するわけだから、「下」の割に合わない部分は自動的に税金が入ることになる。雑すぎる説明ではあるが、中長期的に「下」の面倒を見ずに済んだ「上」の経営状態が改善されるかもしれないねえ、そうなったら良いねえという将来への投資である、と見ることもできる。

 ここで芝の話に戻す。「隣の芝」を見るとき、果たして芝の「下」、上下分離の「下」の「苦労」に目を向けることができるだろうか。「下」の面倒を見ている側は、その苦労を語ることができるだろうか。きれいな家庭環境の裏には、父親長時間労働と、それによるストレスでの配偶者へのDVがあったりするかもしれない。びっくりするほど美人でスケベな恋人は、親から虐待されているかもしれない。性的に求められるだけとはいえ、一晩相手をすれば、自分の家に帰らなくて済む、という理由で、クズ男をセーフティネットとして利用している、かもしれない。etc、etc……。

 

 公園の美しい芝生も、適宜水をやり、肥料を施し、雑草を抜き、どうしようもなくなればすべて剥がしてやりなおし、と、莫大な手間と資金が投入されていることだろう。手間を省くため、柵を立てて「立入禁止」とするのも手だが、果たして入れない芝生というのは何も植えられていない花壇と大差あるだろうか。さすればメンテは欠かせぬ、すると手間と資金が……。ああ、雨水だけで一回植えたら一生枯れたりまだらになったり雑草が生えたりせず青々と茂る芝生がないものか。ないものねだりです、はあ、そうですか、ということで堂々巡る。

 

 タダで寝っ転がることができる、大きな公園や、皇居東御苑の芝生も、元を辿ればきっと自分が納めた税金が突っ込まれているのだろうと思えば、どうやら、比喩ではない「タダで寝っ転がれる隣の青い芝」というのは存在しないのだろう。とはいえ天引き徴収されてしまった税金で受けられるサービスというのは、金銭支払いをしている感覚に乏しい。したがって脳みその具合が良くない私などは東御苑や公園の芝生をタダであると錯覚し、どうせならば美人のひざまくらON芝生ってのを楽しみたいと贅沢を言い始める。上を見ればきりがない。普段は飢えを見てひいひい言っているくせにな。

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 どこかにタダで無責任に種付けできる子宮はないものかと考え始めて、「あれ、ひょっとして税金をシングルマザー支援にじゃぶじゃぶ使えば実質世の子宮が東御苑の芝生と同格にならねえ?」という危険な答えにたどり着いてしまった。なるほど日本の税率は低い、そして女性の賃金も低い。シングルマザーの支援は十分ではない。故に現在未だに男という存在が子を成す女性のセーフティネットなのだ。東御苑の芝生とシングルマザーの支援を同格に語るなど、退位したら陛下が助走付けて殴りに来そうだ。すみません陛下。私はここまで歪んでしまいました。未来の子供たちがここまで歪まぬよう、心のきれいなままで成人してもらえるようになるといいですね。美しい国ニッポン。

 

 異性にセックスさせてもらえないだけで人間ここまで歪むって分かってれば子育てなんて簡単だよね。