新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

バタフライ・エフェクト

 日頃から「膣内射精が最高、それ以外はクソ」と声を大にして提唱していたおかげか、「彼氏と一緒に性病検査をしてピルを飲み始めました」みたいな報告を受けたり風の噂で聞くようになった。なるほどこれは性のドーナツ化現象である。爆心地である私が(性的に)ひもじい思いをし、周辺の人びとが膣内射精の良さに気づき、膣内射精で豊かになっていく。そしてその外縁部には、もっと性的にひもじい思いをしている人々が集まっている。古来より、性愛を向ける対象を大切に扱い、特別な間柄となることで人は安寧を受けてきた。「人肌の暖かさ」とかいうものの最たるところである。ところが、過度な経済成長が貨幣偏重主義とも呼べる資本主義の台頭を許し、妊娠出産を「(多くの場合では)避けるべきリスク」と捉えるようになった。これは即ち、本来多数派で生きやすいはずの異性愛男性から性の悦びを経済的に取り上げる形となった。おまんまんの食い上げ、というわけである。その供給減少に性病が拍車をかけた。最たるものが現在完治する手段の存在しないHIVであろう。コンドームを用いないアナルセックスを避ければめったに感染することはない上、現代ではQOLを下げないための治療薬が保険適用で出回り、子供を望むことも難しくないわけだが、それでも不可逆な、完治不能のウィルスに感染したくないという思いはある。既感染者への差別とは別枠で、だ。差別というのは公的な扱い等で不利益を被るか否かであり、個人間で嫌いだという感情への適用はできない。「HIVに感染しているあなたと付き合っても生セックスが楽しめないから私は付き合えない」と、特定の1人に対しお断りすることは、「あなたの顔が好みではないので子宮/陰茎に響かない」とお断りすることと本質的な相違はない。

 

 とは言え、実際の恋愛の現場で、「これからあなたと生セックスをする意思があるのでお互いに性病検査の結果を持ち寄りましょう」という会話がなされることは稀であろうことくらい、中学生からまるで成長していない私ですらわかる。第一、そのように安全第一で恋愛が、セックスが行われるのであれば、実家に帰った際に「○○先輩の弟が△△で歯医者のお姉ちゃん妊娠させちゃって両親揃って土下座しに行った」なる展開は起こらない。恋愛というのはノリと勢いと二人の秘密がアクセルであって財布がブレーキだ。よほど不利益を被らない限り性病がブレーキになるという話は聞いたことがない。……というのを私個人が思っているあたりで相当重篤で病巣が深いと思う。そりゃあ先進国でただ唯一HIV感染者が増え続けるわけだ。女を騙してちんぽを挿入することが「テクニック」であり、貞淑なフリをして何人もの精液を味見することが経験なのだからもはや救いようがないであろう。いくら保健所で無料匿名のHIV検査をしたところでもはや食い止めることはできまい。ちんぽに不自由しない美人が、まんこに不自由しないイケメンが、それぞれ「性病嫌だから直近の検査結果を持ってこい」と言い出さない限り潮流は変わらないだろう。

 

 こういう思想をゼロリスク信仰とでも言うのだろうか。行き過ぎたゼロリスク信仰は処女厨を生み出す。性病は嫌だというゼロリスク信仰が初物信仰と結びつく。たいへんケツの穴の小さい話だ。どうでもいいがなぜケツの穴が小さいやつはケチみたいな話になるのだろうか。大正クソモラシー。ケツがガバガバでしょっちゅうあちこちで尊厳を失うよりケツの穴が小さい方が良いとは思うが、ケツがキツいと美人なお姉さんに前立腺を攻めてもらえないという懸念もある。なんということだ。普段の尊厳と前立腺攻めはトレードオフであったのか。鍛えよ括約筋。射精の勢いも良くなると言うし、私は小便ののちケツ穴をキュっと締める動作を10秒×3セット行うことを提唱している。泌尿器科医が言っていたから間違いはなかろう。ドバっと開けてキュっと締める、21世紀に求められる括約筋。

 

 ひょっとして、自分で性病検査および低用量ピル飲用または子宮内リング装着必須のセックスコミュニティを立ち上げて代表として君臨すれば良いのではないか、という邪な考えが頭をよぎった。それはただの撮影しないアダルトビデオメーカーとなんら変わりがないことに気づいたし、なによりセックスしたいだけのつまらない男しか集まらない懸念が大きい。教祖というのは教徒の集まり具合に反比例してその実は孤独との戦いなのではないか。

 

 今日もノー中出しノーおっぱい。