新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

やめるほうがむずかしい

 新しいことを始めること、今やっていることを辞めること、はたしてどちらが難しいだろうか。私は断然後者が難しいと思う。考えてもみればいい。会社、学校、習い事、どれも、どうにかして「辞める意思」を先方に伝えない限りは連綿と続いてしまうものだ。それだけではないだろう。「毎年やっているから」と続く、新人歓迎会という名の飲み会。別にこれは良いだろうけれど、そこで「毎年やってもらっているから」と新人にそれぞれ一発芸をやらせてまわる。だれか止めろと言いたくなっても、だれも止めない。一発芸だってタダじゃないのだ。業務外の時間にネタを考えて練習して、時には小道具まで買ってやるわけだ。それが何になるのだろう。

 

 サンクコストという考え方がある。「もう○○円つぎ込んでしまったから引き返せない」という考えのことだ(雑である)。例えば私がパソコンを買い換えた話。

 

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 HDMI接続をするために4,500円のビデオカードを買ったから、もう引き返せないぞと古いパソコンのSSDを換装しても良かったのだが、総合的に勘案してパソコンをまるごと買い替えた。別に古いマシンを捨てたわけではないから、まるまる4,500円をどぶに捨てたわけではないが、今はケーブルをすべて抜かれて押し入れで眠っているから、どぶの横に置いてあるのと同義であろう。

 とは言え、だ。パソコンを買い換えると数万円かかる、SSDを買い換えれば1万円でお釣りが来る、そして古いパソコンには4,500円のカードを買ったばかりだ、という時に数万円かけるという判断はなかなかに難しい。まだパソコン程度であれば、数万円という現金だけを悩めばいいのであるが、これが、大学の学部が合わなくて再入学したいであるとか、恋人とどうしても合わないので別れたい、もっと行くと離婚したい等の、いわゆる「お金だけではなく時間や自分の若さまで費やしている」場合には強烈にサンクコストを意識してしまう。そら大変な悩みであろうが、自分ひとりで悩んで頂いて結論を出す場合には構わない。なにせ、自分が決めることだからだ。しかして、これらの悩みを「相談」された場合はたまったものではない。なにせ、自分の一言で、客観的に考えて恐ろしいほどのコストをドブに捨てろと言うか、あるいはそんなコストはドブに捨てられないから我慢しろと言うか迫られるのだ。

 

 なにしろ、そんな話をする時点で、相手は自分に対しいくらかのウェイトをかけているであろう。自分の判断で相手が費やしてきた人生のコストを損切りするかホールドし続けるかが決まってしまう。儲かっているファンドのマネージャーもビックリだ。「投資は自己責任です。元本割れすることもありますがすべてあなたの判断です」と、まるで金融商品を売りつけるごとく、予防線を張っておきたい気分だ。あるいは「続けるのもいいけど辞めてもいいんじゃない」と、まるで判断をしていないセリフを持ち出してその場では結論を先送りにして無期限延長を図るのも手である。ここで「続けろ」とか「辞めていいよ」って言うとのちのち揉めたりするしねえ。その判断をした場合の損失を被る覚悟で言うのはなかなか難しい。なにせ自分じゃない他者の人生ですし。「辞めていい」と申し上げて、当のサンクコスト負担者が「じゃあ手前で損失を補填しろ」と言い出した場合に「それは過ぎたことですから」「あなたの判断ミスです」と全ツッパできるのはよほどの豪傑であろう。私は命が惜しいので「アッハハそうっすね困ったなアッハハ……」としか言えないだろう。

 

 離陸決心速度というものがある。飛行機が滑走路を走ってさあ飛ぼうかという時に、エンジンに鳥が吸い込まれてエンコしたりする。離陸決心速度に達していなければフルブレーキで離陸やり直しとなるし、離陸決心速度に達してしまっていれば一旦上昇を試み、ダメそうなら着陸をする。どうしようもダメだったら……機長がベテランで、あなたの運が良かったら命くらいは助かるかもしれない。人生においても判断するスピードはこれに近いものがある。例えば大学入試。滑り止めの入学金納付期限と本命の合格発表はイヤらしいタイミングで設定されている。納付期限までに払うか否かの選択を迫られる。ただし、これについてはサンクコストとしての意義は薄い。本命に受かっていれば本命に入学するし、落ちていたら納付した入学金が生きてくるだけである。未来の選択肢を潰さない権利を買っているようなもので、一種の先物取引といった趣がある。

 

 さんざん抽象的な論調で話をしてきたが、この先の人生で脳裏に「引くに引けない」だとか「あれだけつぎ込んだのに」だとか、そういう感情が脳裏をよぎったときは、「ちょっと待って??????それ以上ダメなものにお金と時間を注ぎ込むぐらいなら潔く切ってソープランド行こう?????膣内射精してスッキリした頭で将来のこと考えよ??????まずはお姉ちゃんのおっぱい吸いながら気持ちよくなろう?????????」という脳内ちょっと待っておじさんを召喚しよう。女性は何をしたらスッキリ気持ちが切り替わるのかわかりません。ごめんなさい。っていうか、私が、お姉ちゃんのおっぱい吸いながら気持ちよーく膣内射精したら、散らかった思考がスッキリして、判断を誤らなくなるというだけであって、男性一般がそうとは限らないわけだ。ちょっと反省。でも読者諸賢の脳内ではちょっと待っておじさんを雇用していて欲しいわけですよ。これは私のエゴだけれど。

 

 きっと歴史的な決断の前には歴史的な射精が存在し、血迷った判断の前には射精が存在しないのであろう。

 従って膣内射精というのは、膣内で生射精を決定した瞬間が一番血迷っていて、射精後に次善策を考えている最中が一番アタマがキレているということになる。

 

 挿入した時点で負けなのだ。生挿入はやめるほうがむずかしい。