新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

ぽしゃけ

 ここより2つ前の記事と1つ前の記事はたいそうにアルコールをぐびぐびやってから執筆したものであり、したがってヨッパライ記事なのであるが、このままではアルコールをやらないと文章が書けなくなる、中島らものようになって*1しまうなどという不安にかられ、本日本記事はノンアルコールでお送りすることとした。

 

 ノンアルコールで酒の話をするというのもなんだか変な話ではあるが、クルマに乗らずにクルマの話をするとかおうちで登山の話をするとか、官能小説は実際に情事にふけりつつ書いているとか、そう言うわけではないから大丈夫だろう。

 飲めるか飲めないかのデジタル100%アルナシを言えと言われれば別段止められてもおらず飲めるのであるが、ジャブジャブ行けるかと言われればそうではなく、これまで私と酒の席をともにしてくれた数少ない女友達のすべてよりも許容量は少ない。ビール1杯で顔を真っ赤にして2杯目からは言動がヨッパライ特有のそれになり、3杯目で「大丈夫?」と聞かれ飲み干す頃のアッパラクルパー具合を見て言われるセリフは「潰れたら置いて帰るからね」の意を含んだ言葉である。動かなくなる頃には胃と食道が逆方向への蠕動運動を開始するから私としてもそれ以上飲むのは本意ではなく、下戸と言うほど受け付けなくもないが酒豪でもない、飲んでも記憶を失えるわけでもなく同席したイイ女を口説けるほど気も大きくならず、何かしら酒に起因するトラブルを起こして所轄警察署のブタボックスに放り込まれる機会がなさそうだと思えば実に平和な身体であることを喜ぶべきか。

 

 別に業界に不義理をしたわけでもなければ嫌悪感があるわけでもなくむしろ入ってみたい業態の1つにバーがある。カウンターで円錐をひっくり返したようなカクテルグラスにカラフルな液体が注がれてカンヅメのサクランボが乗っているようなあれだ。やけにぬらぬらと光るグロスで唇を強調させた眠そうな目の女がそのサクランボの枝を口の中で結んだりするあれだ。サクランボが食卓に用意される度にチャレンジして飽きてやめる。あんなんできるか。舌で口内炎を探ったときに感じる場所や形状と実際に洗面台の鏡で口の中を検めたときの違いをキミは知っているか。舌はとても柔らかくてディープキスでぬちぬちと絡めているとやらしい水音がしながら体温が伝わってきてあたかも気持ちよくなっているかのように描かれることが多いがあいつめっちゃ鈍いぞ。取り柄と言えば柔らかいから一般的にクリトリスをいじめるには指より舌のほうがよろしいとされるくらいであるが……。

 西千葉の、駅を海側に出て西友の前、松屋すき家の間を稲毛の方に歩いていって、千葉大の正門から伸びる道とぶつかる交差点のそばにガラス扉の、青系の照明を基調としたバーっぽいお店が一軒あったが終ぞ入ることはなかった。今思えば入っておけばよかったような、しかし当時は(今もか)最終的に勘定がいくらになるか分からぬ店に入るほど懐に余裕はなく、つまるところやはり銭金の問題に終始するのが悲しい。毎月50万円振り込まれるとかそういう幸運に恵まれてみたいものだ。

 

 ミッドタウンのリッツの値段を見て高級ソープ2回分やんけ、という感想を抱いてそっとブラウザを閉じた。冬コミの新刊も10倍刷れる。刷ってどうすんねん。余るわ。

 

 高級ホテルに一泊するのと同じ金額を西川かシモンズあたりに払えば市価五千円の七年もの煎餅布団よりマシになる気がしてきた。

 

 さてアルコールをやらずに書ききったぞ! プシュ! ゴクゴクゴク……

*1:ならない。彼のように名を残す前に肝臓と脳みそだけアッパッパーになっておしまいだと思う。