新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

ぼくらは社会保障じゃない

 またタイムラインに寿司のようにメンヘラ被害者の会・会員様の様子が流れてきた。なんでも手料理に一服盛られるという、古典的かつ、フィクションであれば目覚めると同時に全裸で騎乗位で絶賛合体中という夢のようなシチュエイションである。……フィクションであれば、である。

 

 当たり前のようにこのあたりでお断りをしておくと、本日の記事は*1医学的根拠に乏しく、科学的なエビデンスもなく、笹松本人による独断と偏見とちょっぴりほろ苦い思い出をふんだんに交えたヨタ話であるから真に受けたりせず大学医学部併設の図書館等へ赴くとかしたほうがよろしい。

 

 メンヘラは甘えである、そう断じる友人がひとり居る。そいつには窮地を救われたためあまり異論を差し挟む気も起きずに頷いておいたが、当の患者本人が置かれた環境は(主観はそれぞれとしても)それなりにハードなものであることが多い。実家自宅大好き布団依存症を公言する私のように、実家とはAボタンを押すことすらせずとも食事が並び、風呂が沸く体力回復施設だと思っている人間には想像し難いが、世には実家で滞在している間は「どく」状態のように時間経過で気力体力が消耗する、という主観の人間も存在する。実家で気力体力を自動回復する人間からすれば宅外のほうが水もメシも有料で、下手すりゃ椅子すらカネがかかり、風が吹き、雨が降り、自宅外の環境のほうが不慣れで気力体力が漸減するものであるというのが一般的*2だと思う。したがって自宅・実家ですら消耗するという主観を持っているとどうなるか。気力も体力も回復しないのである。生まれ持った気力体力から一生ちびちびと減り続けるのだ。……たぶん。残念ながら自宅・実家の居心地が(長期的に)悪くなったことがないため*3これは人生経験の浅い私の甘い想像であるが、かと言え大きく外しているわけでもない、そう思う。

 

 では、自宅・実家ですら気力体力が減る人間はどうするのか。ひとつは家出である。非行少年というとなんだかアレな響きであるが、宅外の溜まり場で夜まで遊び、免許取り立てのパイセンとやらのドライブに同行し、主に気力体力を失う原因である親が寝静まった後で帰宅する。場合によってはそのまま国道沿いのラブホにでも連れ込まれて朝までごゆっくりするのであるが、悲しいかな自宅の環境が主観でアレなので日替わりで違う相手と抱き合ってたほうがマシなのである。ああびっくり。自宅大好き族はラブホと縁がないのであった。そもそもメシの時間も風呂の順番も毎日守ってたら異性と裸で抱き合う時間は生まれないね。なるほど。

 

 それはいいとして、気力体力を漸減させつつ自宅でどうにかいい子してたり、あるいは会社で、学校で「どく」状態になりつつやっていくとやはりどこかで精神科か心療内科の門を叩くことになる。経験者*4は語るが、安定剤やらSSRIやらは諸症状を緩和し、動かなくなった足を前に進める効能はあるが、しかし足が止まり、家、会社、学校等行きたくないもの・ストレス源を取り除く・行かなくていいようにするという根本的な「治療」は本人のチカラで行わねばならぬという。ただでさえ毒状態で疲弊した人間に無理やりおくすりパワーで行動力にバフを与え、家なり会社なり学校なりを飛び出せという。そら不安定になるわな、止まろうと、降りようとする力と飛ぼう、走ろうとする力が同時に掛かり、周りからすれば不安定にターボがかかったような、アクセルとブレーキを同時に思い切り踏んでいるような言動が見られるのもこの頃である。

 

 

 そろそろ人権のアカンところに切り込んでいくのでヨタ話だと思って軽く流して欲しい。唐突に不妊治療の話をする。人々はなぜ自分の遺伝子を受け継ぐ子を成すために少なくなった精子や崩れやすくなった卵子を医学パワーで受精卵にして大金を注ぎ込んで産もうとするのか。養子を取ってはだめなのか。平成も終わりつつあるのに遺伝的な自分の子供というのが如何にして財物として見られているかという観点から長々と語るのは別の人に任せるとして、フィクションにありがちな間男による托卵*5行為を事後にDNA鑑定して不貞行為が存在したと子の養育費を突っぱねることができるのだから、自分の遺伝子を受け継いでいない子供を養育することは負債であり、逆に自分が種付けした子供は財産である。これは法治国家たる我が国の裁判所が下した揺るがぬ判断であり、したがって一般的に血が繋がらぬ子供を自己負担で養育することは慈悲深い行動であり、「あの人は愛人の子供をまるで我が子のように育てていて凄い、私にはできない」「あの人は連れ子もちゃんと育てていて凄い」などという言説のもととなる。テレビドラマで連れ子や親戚に預けられた子が冷たく扱われることを正当なものとするシーンが存在するのも、根底にこのような認識があるから、かもしれない。なお、ヨタ話とはいえ「おれはちゃんと育ての親に大事にしてもらった」という方には大変申し訳なく思う。

 

 閑話休題っぽく挿入された話が長くなったが、ではなぜ人は一服盛るようなメンヘラを社会保障任せにして放り出すことが出来ずに付き合ったり養ったりしてしまうのか。それは前段落のように自分の遺伝子を受け継いだ子供が財産であり、したがって出産適齢期の女性は、女性が持つ子宮は財物を成す存在であるからだ。ハッハ段々人権にうるさい方角から槍でも飛んできそうな言説になってきたぞお。なお本日もシラフでお送りしております。

 ここで脳内の人権派にお越しいただきましたおはこんばんちは。女性は財物じゃないし、あなたは社会保障じゃないからメンヘラだろうと養う必要はありません。そもそも今は労働できる生産年齢人口の人々は全員自分で経済的に自立するべきです。なぜならそのほうが自由だからだ。そして遺伝子を受け継いでいようがいまいが子供も人間であり人権があるから一定の人間を束ねたコミュニティに対し一定の割合で分配する。それが社会のあるべき姿であるから生産年齢人口3人あたり1人子供を養え。ハハァなるほど共産主義っぽくなってきた。思えばそうだな、確かに老齢年金は生産年齢人口の給料から平等(?)に吸い上げて老齢者に分配されているのだから子供に対しても同じことをするべきだ。……べきか?

 

 そこで子供は放っておいてフィールド上に一定割合でポップする存在ではありません、というところにぶつかってしまった。あれあれ。現在の所こどもという存在が出現するためには精子卵子をドッキングさせて着床させねばならず、どうやらドッキングの真似ごとをするためにもチンとマンの合意とやらが必要になってくるようです。あらあら参った。このままでは統一教会のように強制的に合意させてドッキングさせるほかありません。これには反発が予想されます。ぼくは駆逐艦のコスプレで逆レ気味に妖艶な上目遣いでチンをしゃぶってくれないと嫌だ、などという意見は黙殺されそうです。

 

 火に掛けっぱなしにしてうっかり焦がした肉じゃがのように真っ黒で食えない思考にサッっと流れる自己責任・自由恋愛の文字列が清涼剤になります。自由は自由で自由だ。なにしろこんな与太文章を書いていても「はてな」にも「日本」にも怒られが発生しません。でもでも、この文章が後日消えてたら察して欲しい。

 

 なんのかんの言ったって美人のそばに居られるならアッシー君だろうとお財布だろうと肉バイブ扱いされようとハイ喜んで! となってしまうので私はもうダメだ。ダメな街ごと核でこんがりウェルダンにして欲しい。

 

 クリスマスプレゼントはエアロエース一台分の美少女詰め合わせがいい。

*1:本日に限らずすべての記事だが

*2:独断と偏見ぢゃ

*3:そら家族間で喧嘩でもすりゃ数時間のスパンで居心地が悪くなったりはする、にんげんだもの

*4:この経験者とは医療従事者ではなく精神科・心療内科による治療・服薬経験者のことである

*5:託しているのは精子だけでありカッコウの托卵とは異なるが、便宜的によく使われる表現を用いた