新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

選別

 新年一発目から会社のパソコンでブラウザキャッシュのクリアが上手く行かずに怪文書を書き始めるあたりが先行きの不透明さを暗示していると脳内でもっぱらの噂である。あけましておめでとうございます。2022年も楽しくやってまいりましょう。今年もよろしくお願いします。

 さて、新年ですから信心深い私はコミケの売上の500円玉を神社に投じようと起きて、まず養命酒を景気よく一杯引っ掛けてから、参道に虎柄の猫がよく転がっている小さな神社にトコトコと歩いてまいりました。

 寒波です。寒さは脳と身体を弱らせます。正月休業のスーパーの前を通り、ひもじいなあ、ひもじいなあと己の貧しさを痛感しながら歩いていると、突然観賞魚の繁殖のことが脳裏をよぎりました。

 察しのよろしい読者諸賢はお気づきでしょうが、養命酒だけ飲んでメシを食っていないからカロリー不足で思考がマイナスなのであります。思考停止して養命酒を飲んだらbaseブレッドでもかじればよろしい。

 

 兎にも角にも、今年は寅年なのに脳裏をよぎったのは観賞魚の選別であります。なんのことはない、きらびやかな観賞魚店のショーケエスで踊る綺麗なグッピーやらの類は高価で取引されておりますが、こやつらはどうやって作るのかというと、とりわけ綺麗で派手で立派な色彩の尾ひれを持つオスと、これまた派手で綺麗で美しい身体のカアブを描く立派で美しいメスをかけ合わせて生まれた有象無象の稚魚を、ヒーターで加温した水槽に、栄養価の高いエサをモリモリと食わせてやって、おとなになって婚姻色で派手派手になってきた頃合いに選別して作り上げるのであります。

 メンデルの法則をご存知でしょうか。普通の金魚と出目金を掛けたら第二世代は普通の金魚、次の世代は普通の金魚と出目金が3:1になるあれでございます(たぶん)。そして、派手なオスと派手なメスをかけ合わせても、観賞魚店でワンペアのお値段が高価になるような美しい個体に育つのは一握りでございます。残りは芋でございます。もちろん、血統としては派手の遺伝子を引き継いでいるわけでありますから、芋みたいな見た目の個体も、次世代はひょっとするとびっくらこくような見た目の子供が生まれてくるかもしれませんが……せんが……ひとまず当人らの、人間主体のペットショップでの価格となるとワンペア150円がせいぜい、下手をすると大型肉食熱帯魚のエサとして一匹数十円で取引されてしまうわけでございます。

 当然彼ら彼女らは、アロワナやピラニアの胃に収まってしまうと子孫も残せませんし、自然界ならともかく飼育下で、見た目が派手じゃないからと間引いて自宅で「処理」する例もあろうと思われますし、なんというかこう、命の儚さと申しますか……私が熱帯魚が苦手で、地味な日本原産のメダカ、それも値段をつけるとしたら一番安いグレードの、飼育過程で選別という行為が発生しない品種しか育てられないのもこのあたりの思想なのかもしれません。

 

 とかいうまとまりのない、どちらかというと後ろ向きな思索をしているうちに神社に着きました。油断していたわけではないのですが、予想より遥かに長い列ができており、裏参道からこっそり入ってさっさと参って帰ろうとしていた算段を組み直す羽目になりました。

 

 熱帯魚の選別は東京という土地での人間の営みとカブって見えるところも多く複雑な気分になります。子を成せぬ時給一千円台の低所得労働者によって築かれた砂上の楼閣、いえ、もはや幻影が形作る都市が東京なのかもしれません。その割に子供を前に後ろに満載した電動自転車がフラフラと車道に出てくるのも、二人で入ると3万円は下らないという寿司屋が存在するのも、340円でかけ蕎麦が食える店が出ているのも、同じ東京という街ではありますから、さぞ我々貧乏人には想像もつかないような優雅な暮らしをしていることと存じます。相手を見つけられず、番えず、子を成さずに死んでいく我々は、ひと山いくらで売り飛ばされてピラニアの餌になる間引かれた熱帯魚と何が違うのか。

 

 とまあ色々と暗いことを考えていても仕方がないので、賽銭箱に500円白銅貨をゴトンと投げ込み、頭を下げてパチンパチンと手を叩き、同人誌が売れますように、大金持ちになれますように、できれば結婚できなくとも生殖はしたい、一体どうすればよろしいかはわからんが2022年もよろしく頼むと参ったあとで引いたおみくじが大吉だったので万事よろしい。本年もおしまいまで連綿と出来得る限りの営みをこなしていくばかりであります。

 

 この記事はサッポロ黒ラベル1本とおおよそ49分を費やして書かれました。