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新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

逆走車

日記

 ええかげん田舎暮らしも板についてまいりました。去年クルマを買って以来、毎月の維持費ぶんぐらいは元が取れただろうかと考えつつ中古車を転がして生活しております。折からの不景気でETCとドライブレコーダーを付けたいとおもいつつ後回しになっていますが、いまのところ県警の世話になることもなく安全運転で過ごしております。とはいえ肝が冷えることも多いのが公道という場所でございます。

 

 昨日、とうとう寒さに耐えかねてコタツを出そうと思い、太い国道を走ってニトリで座椅子を買い、家に戻っておりました。当地で一番太い国道から、山に向かう国道へ入り、左側車線をちんたらと2,000回転ぐらいで走っておりました。日没後で下り方向、それなりにクルマは入っている状況でふと感じる違和感。すぐ右の車線を"対向車"が走っていったのです。この国道は3ケタとはいえあと数キロ分は中央分離帯を備えております。ここでお送りするナンバーは松任谷由実で「カンナ8号線」ではお聞きください。カンナの花は、暖かい地域では多年草として毎年生えてくるようで、中央分離帯のように手入れが大変なところに植えるには持って来いですね。……違え、そうじゃねえ。なぜ中央分離帯がある区間ですぐ右の車線を対向車が走っていくのだ。待ってくれまだ死にたくねえ。

 

 原因はすぐ先にある、はま寿司と吉野家の間から進んできた道と70°ぐらいの角度で交わる部分でしょう。ここは中央分離帯が切れておらず、つまるところ山方向にしか合流できないようになっています。……普通なら。海方向に向かう場合はアンダーパスへ抜けてからUターンすればいいのですが、はてさて。運転者がアホだったのか、ここで右に曲がれと言い始めるアホなカーナビがあったのかはさておいて、あの逆走車が正面衝突せずに無事に目的へ着けてしまったら当分あの道路は対策されないのだろうし、だったらば派手に事故ってもらってニュースになんねえかなあと思うばかりです。できれば俺とか友人知り合い上司あたりのクルマは避けてもらって、まるで関わりのない人間同士で派手に事故ってもらって、直接自分の懐が痛まないように税金でうまいこと対策してもらって。

 

 とはいえ、生命保険モリモリ掛けて逆走車と時速100キロで仲良し昇天したほうが社畜労働するよりも家族に財産残せそうなのがまた悩む。

 

 死にてえヤツが居る限り交通事故はなくならないのかもしれませんネ。

寝た子を起こす話

日記

 今日は「寝た子を起こす」というお話。お時間のないかた向けに結論から申し上げると、「別に教えなくても子供はセックスにたどり着くよね」という論調で延々と持論を展開して風呂敷をたたまずそのまま露店のような感じにダラダラとしていこうと考えております。寝た子は起こさなくても半日もせずに起きますからきちんと性教育をしましょうね、というお話です。

 

 このブログを読むようなばっちい大人の皆様はセックスというのがどこを使って何をする行為かはご存知と思われます。文学的な表現や政治的な表現を削ぎ落として、この記事で指し示す内容を書き表すとすれば、男性器を女性器に挿入する行為のことです。とはいえ、「挿入する」とは具体的に何ミリからなのかであるとか、肉体が男性であった方が性転換手術をして後天的に建造した膣は女性器と見做せるのか、だとか、そもそも論として女性と女性の性行為はどのように……などという政治的な鎌が鎌首をもたげて待ち構えてまいりますので、一筋縄ではいかないところがこの問題の難しいところです。私も気づけばアラサー、アラサーともなれば見聞も広がり(個人差があります)、同性愛であるとか、LGBTであるとか、字面だけではなく"実例"を目にしたり、交流があったりしますし、自分の中でも何らかの解釈ができるように思います。自分は男で、女が好きで、という分かりやすい、いわば「ストレート」と呼ばれる存在なのですが、それでも、膣性交だけに興奮するかというとそうでもなく、美人が口や手を使って私の分身を愛してくれるのは大変に興奮するわけですし、そのまま、生殖という観点からは意味を持たない口内に射精してみたり、あるいはコンドームの中に射精してみたり、極論を申し上げれば普段は利き手で自ら射精を促すわけですから、「生殖が不可能な組み合わせでの性愛はおかしい」などという理屈は通らないなあ、と思うわけです。

 

 従いまして、「生殖と関係ないスケベはおかしいでしょ」というならば避妊も中絶もアウトなわけでして、同時に同性愛もダメっすよという宗教もあるようです。その理屈なら半分イキモノである精子の無駄打ちもダメっぽいのですが、オナニーで精子を無駄打ちすることまでNGとする宗教は少ないようです。じゃあ理屈が通らんやんけとなりますが、よそさまの宗教のセキュリティーホールをあれこれ小突いてイチャモンをつけるのは邪教徒のすることですから、そちらの神さんはよろしおすなあ、と適当にお茶を濁してお茶漬けを出しておくことにします。

 

 閑話休題。で、だ。ばっちい大人の読者諸氏はどうやってセックスという概念の存在にたどり着いたのでしょうか。かつて私が書いたように、「I have a ちんこ、You have a まんこ、Oh、ちょうどハマるやんけ」というように、なんとなく対称性(非対称性?:穴と棒ですし)から「入りそう」だぞ、そしてなんとなくそこまでしてやる行為は子作り以外にないっぽいぞ、と、小学校低学年の頃の、体育の着替えが男女同室だったころの知見を点と点で結び、ほぼ確証を持っている段階で「精子はちんちんから出る」「卵子は毎月まんこ経由で出る」という情報が授業で加わると点と点が線で結ばれて確信に至るわけです。

 

 では、もし仮に"そういう"性教育がなかった場合でもセックスに行き着くでしょうか。私のように「ちんこがあるだろ、まんこがあるだろ、ひょっとして挿入すると"何かが"起こるのでは」という仮説を思いつく小学生などワンサカ居ることでしょう。幸か不幸か、私は両親から得た自らの頭脳がある程度は明晰で、後先考えぬリスキィな行為は控えるタイプでしたから、結果論としてコンドームなしでそういう行為をすることがなかったどころか、自らの収入がない学生時代は女に相手にされなかったお陰で無収入のくせに孕ませるとかいう展開にはなりませんでしたが、頭脳寄りではなく顔と運動神経にパラメータを振られていたらどうなったことでしょうか。歴史と人生にIFはないのですが、現実問題として、生理が来てる女はちんちん入ったら物理的には妊娠するわけですから、高校生の彼女が妊娠した、というトラブルを抱える羽目にならなかったのは幸甚というべきでしょう。

sasamatsu.hatenablog.jp

 

 ということで、人間も生き物ですから、教育なしで生殖行為に行き着く可能性というのをじゅうぶんに考慮するべきでしょう。

 

 ここで、聡明な皆様はもうお分かりかもしれませんが、我々が警戒するべきは「自分の子供が他所様の子供とセックスして高校も出ないうちに出産したりしねえだろうな」ということになります。もしそのようなことになれば、勘当だなんだと実家から放り出すかどうか、放り出すにしても縁はそう簡単に切れません。

 

 私の友人*1がよく「膣内射精したさはあるけど養育費のことを考えたら出かかった精子キンタマに戻る」と言うのですが、少子化の一番の原因、本質を突いている言葉だと思います。ちんこで突くのは本質ではなく子宮口です。

 

 現代日本では食べ物に困らないだけではだめで、毎年150万円ぐらいかかる大学に4年間以上、下手したら一人暮らししないと大学に通えなかったりしてさあいくら掛かるのだろうと先に財布の心配をしてしまいます。家計簿をつけている独身労働者各位は分かるのですが、趣味を削ったところで毎年150万円の学費負担ができるかというと、そうではないですよね。年功序列成果主義、という、もらえる給料の金額では相反する概念が過渡期となりつつある今、私達アラサーは給与も過渡期ということで、今は年功序列の残り香で初任給に毛が生えた金額、40代を超えてくると脳みそと肉体が劣化して成果が出せなくなって、給料体系は成果主義に変わっており、だんだん支給額が下がってくる、という最悪のケースすら考えられます。子供というのが「生まれてから大学を出て仕事を始めるまで」にかかる「食費光熱費学費その他一切の費用」として毎月10万円降ってくる「打ち出の小づち」にでもなれば話は別ですが、現状の児童手当は1~1.5万円ですから、毎月9万円ほどの持ち出しと考えると、子育てというのはたいへん贅沢なことだと分かります。

 

 宝くじ当たれ。

*1:最近行く気のなかった合コンで32歳の女にロックオンされてしまい、サシで飲みに行ったり「ご飯作りに行ってあげよっかな」などと言われているらしい。

倫理教育とは何を意味するのか

日記

 先日は同窓会があるというので実家の方面へ帰省した。その際、実家宛に届きっぱなしの封書をいくつか開封した。まる1年から差し引くこと1日、つまるところ365回の夜を超えた後に踏み入れた実家には、山積み、というまでもないが、それなりの郵便物が溜まっていた。そんな中に、卒業した大学からのものも多数あった。同窓会費の納入を迫る払込用紙と会報のほか、寄付金のお願いもあった。国立大学法人となると、とかくお金がないということを前面に押し出される。私が4年次に所属した研究室の先生はとある民間企業出身であった。千葉大学で仕事をするにあたり、前職前年の源泉徴収票を事務に提出するとこう言われたそうだ。「この金額は、千葉大学において、学長ですら貰っていません」と。アカデミックで食べていくのは、営利を目的としていないだけあってなかなかに厳しいようである。かくいう私は不向きを自覚し、修士すら修めず学部卒で民間企業に入ってみることにしたが、それはまた別のお話。

 

 さて、諸賢既に御存知の通り、千葉大学の学生やら卒業生やらが警察のお世話になるという事象が多発している。それについての風当たりは言うまでもない。かくいうこのブログですら、3月の事件について述べたらば、私という一卒業生が在籍するというだけの、無関係な民間企業あてにお手紙が届いたことは記憶に新しい。

sasamatsu.hatenablog.jp

 そういう折に封書で届いた寄付のお願いである。封筒を開けて一番上、いちばん最初に目に入る挨拶文がそういう事情をどうのこうのと書いた紙片であった。

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 以下文字起こし。弊ブログは何らかの事情で画像を読み込めない購読環境の皆様にも配慮しておりますというポーズ。

卒業生・保護者のみなさま

        本学学生の逮捕に関する報道について

 このたび、本学学生の逮捕に関する報道がなされました。本学では、世間を騒がす事件が続いており、皆様方には、大変なご心配をおかけしていることと存じます。

 本学としては、3月の事件報道以降、学生への教育指導等を強めてきたところですが、今後、このような事が起こらないように、なお一層の倫理教育を徹底していく所存でございます。

 どうか今後とも千葉大学へのご支援をよろしくお願いいたします。

 

              国立大学法人千葉大学

 

 

 なるほどなるほど。別に日本語の専門家じゃないから日本語としてどうこう、というツッコミはしないし、なによりできない。

 とは言えモノを言うのは自由でタダなので適宜上から順にツッコミを入れて行こうと思う。

 

・「世間を騒がす」?

 まず前提として世間とはなんぞやという思想哲学が、この文章を読む人々の間で、どのような共通認識なのであろうか。世間が騒ぐとはいかなる事態であろうか。そら、ゴジラでも上陸してきて、自宅が一瞬で燃えるか更地になるかすれば、自宅近隣の人々は騒ぐであろう。あるいは、米国大統領が何かしらの意向でどうにかなってしまって(語彙力が貧困ではあるが)、ドル/円のレートが50円になるとかすれば、東京株式市場の相場もえらいことになり、これまた株を持っていたり、日本株がメインの投資信託を抱えている人々は騒ぐか泣くかするだろうし、少しばかり経済の知恵がある人だったらば、年金機構が持っている株券という資産が音を立てて溶けていくのを感じて頭を抱えるだろう。けれど、株を持っていなければ、よもや自分の年金が株式市場で運用されていると思いもしない人間は騒ぐだろうか。結局のところ、世間が騒ぐというのは、当事者の多寡によるのであって、報道される内容がセンセーショナルだったからと言ってもせいぜい75日が限度、下手すれば49日ほどで忘れ去られることが多いだろう。当事者以外にとっては。

 では、この、3月の女子生徒監禁やら、11月の集団強姦致傷やら、この場合の「騒ぐ」世間とはどこの人であろうか。もうお分かりだろう。「千葉大学の関係者を中心とした」世間である。凡そ半径数メートルであろう。3月の事件直後は私の両親もあちらこちらで「息子さんと知り合いではないのか?」と聞かれたそうだ。しかしてこれも、彼らの息子である私が千葉大学を卒業しているからに過ぎない。「知り合いの知り合い」、つまり2ホップの人間関係以内に千葉大学に関わる人間がいない人間にとっては、知らない大学の1学生がちょっとサイコパスじみていて変な事件を起こしたか、怖いねえ、でも我が家には関係ないねえ、でおしまいではないか。

 つまるところ、「世間を騒がせる」という表現が使えるしきい値というのは大変に小さいのである、ということが言いたい。無作為に100人を選んで、3月の事件について「騒いだ」人間が5人もいれば十分であろうと思われる。別に世間を構成する人間の99%を騒がせる必要はない(もしそのような事件や災害が起きたら社会活動に大きな影響を及ぼすであろう)。働き蟻は全体の1割だか2割だか忘れたが、大多数が黙っていようと、特定の属性を持った人間が"騒げば"、まるで世間が騒いだかのように扱えるわけである。

 

・「より一層の倫理教育」?

 倫理とはなんであろうか。弊ブログでは数度に渡って倫理関係の記事を書いてきた。

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 以下、これらの記事の焼き直しみたいな成分を多分に含むであろう。なにしろ、倫理というテーマで同じ人間が書いているのだ。

 あくまで倫理というのは各個人が持つ外面のようなものであって内面まで規定することはできない。内心で死ぬほど殺したいと思っていても現実では殺しをしないという選択肢は枚挙に暇がないだろうし、お金がないけど品物がほしいからと言って100人が100人とも窃盗に手を染めていたら警察署のブタ箱は大盛況でアルコールもなしに宴会となろう。当然、無責任に膣内射精をして自分は責任を取りたくないという考え方もあるだろう。殺しや窃盗と違って膣内射精は和姦である限り刑法ではなく民法上の都合だけれど、「責任を取れ」と申し立てられればDNA鑑定やらなんやらで押し負けるので、つまるところ今の日本では悪いこととなる。ただし、これらはすべて内面の話であり、実行しない限りはいくら脳みそで酷いことをする算段をつけてもなんら問題がないことになっている。

 

 ここで倫理教育の難しいところが露呈する。なにせ、大学で「倫理教育」をする、とブチ上げましても既に入学当時で18歳アンドアップなわけである。とうの昔に自我を確立し、それぞれの倫理観を持って入学してくるわけである。人生という、現実という、やけに自由度の高いMMORPGのような空間で20年ほど生きて、それぞれの経験と、それぞれが受けた教育で、各自が倫理を持っている。この倫理をいまさら「同じ組織に関係しただけの知らねえ人間」がやらかしてポリにパクられたからと言って大学法人が望む「きれいな倫理」に持ち替えましょう、というのはちょっとお花畑が過ぎる。「法人」とは、「法の上で人と同格」という意味である。別に倫理は法ではないが、一人の人間が対面した相手の倫理をごっそり入れ替えたり上書きできたらその場で宗教法人を始めるべきだ。確実にそちらのほうが平和になる。

 

 では、万策尽きた大学法人はどうすれば倫理の持ち替えを推進できるであろうか。簡単である。「我々が提唱する倫理という皮を被って生活すれば幸せになれます」と提唱し、実際に構成員をみな幸せにすればよい。……やっぱり宗教じゃないか。名声が欲しいヤツには名声を、実績が欲しいヤツには実績を、良い就職先が欲しいヤツには良い就職先を、肉便器が欲しいヤツには肉便器を、美人に膣内射精したいヤツには美人を、イケメンに抱かれたいヤツにはイケメンを、etc……。うん、「きれいな倫理」って宗教ですわ。「このお題目を唱えれば救われる」に近い。「内面がたとえどうであろうとポリにパクられなければ関係者が騒がなくて構成員がみんな心穏やかに暮らせる」という宗教。本尊はなんだ?学生証?卒業証書?教義は「ポリにパクられないこと」?いやはやろくでもない宗教法人だ。

 

 とまあ酷い論調を手癖で書き連ねてはみましたが、結局のところ、どういう組織も「うちは異常者を飼っていません」アピールが大事であって、就職面接も表面的な異常者を弾いてみようという方針になっていて、結局のところ、それぞれが飼っている内面のケモノにフタをして、ケモノが暴れて大事故になっているのだからお寒い限りである。

 どうせみんな無責任に生セックスがしたくて、仕事はしたくなくて、でもお金を稼ぐ人に養われたくて、という本音にガンガン振った前提で生きるか、はたまたその逆で、みんな素晴らしい人間が素晴らしい世界を作って毎日が輝いているという前提で生きるか、それもまた自由であり。

 

 極端なステータスの振り分けはマゾのすることですから、何事も、バランスというのが大切なのかもしれませんね。

 

 建前が大事で、本音が聞けた頃には手遅れ、という状態は最悪ですよ。

#C91感想 『アラサーオタク女子生存戦略』(町田メガネ)

感想

 結婚とは何なのだろう。ある場面では「ゴール」とされる。また別の場面では「墓場」とも形容される。なにせ、結婚することを「ゴールイン」と言い換える場合すらある。まるで人生の終着点のひとつではないか。眠ったまま終着につくと、そのまま折り返す場合を除いて駅員さんに起こされる。お客さん、終点ですよ、電車が車庫に入っちゃいますよというわけだ。ところが、終着点についたとて人間は駅で暮らすわけではなく、改札を抜けて街を歩くわけである。そう、別にゴールがゴールではないのだ。何もゴールした瞬間に人生が自動運転モードに入ったりはしない。時間は連続である。けして、どのような出来事も、終着点とはなりえない。単なる途中駅だ。特段トラブルがない場合、列車人生号は、各駅でドアを素早く開け閉め、次の駅へ向かって進み始める。

 

 そんなわけで今日はサークル「町田メガネ」のコミケット91新刊『アラサーオタク女子生存戦略』の感想を書いてみようと思う。

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 以下ネタバレ含有につき改行。

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#C91感想 艦娘無職小説合同誌『横須賀ハローワーク』(鎮守府労務局)

感想

 皆様は仕事を辞めたことがあるだろうか。わたしはある。やむにやまれぬ事情というか、半分は自分の都合というか、会社の他にも少々問題があってとにかく山から降りたかったというのはあれど、漠然とした不安と引き換えに会社組織を去ることとなった。

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 漠然とした不安、というのは大学入試に失敗して浪人した頃にも感じたものだ。というより、浪人中、私は公的な所属組織を失い、文字通り無職となっていたのだから、そう考えると退職も無職も経験したことがある、ことになる。浪人中は卒業した高校の補習科というものに在籍していたが、これはあくまで「PTAと教員が協力して善意でやっている寺子屋のようなもの*1」であり、公的な学生証は発給されず、学割運賃の適用も受けられないのだ。とはいえ「無職」の二文字を職業欄に書くことは大変抵抗のある行為である。どこのだれとも分からないアバズレ女の女性器に避妊具を付けずに陰茎を挿入するのといい勝負だ。……あれ?大したことなくないか?……というのはさておき、「無職」と書くのがイヤ過ぎて、フェリーの乗船時に「学生」とうっかり記入して提出し、「学生証はお持ちですか?学生証があれば学割運賃に……」と係員氏に言われ、けして咎めるような口調ではなかったにも関わらず、何かしらの後ろめたい気持ちになり、うろたえながら、今日は学生証を携帯していないと言い訳をし、正規大人運賃の支払いをしたことを思い出した。

 

 そして、今日は去るコミケット91で買ってきた艦娘無職小説合同誌『横須賀ハローワーク』を読んで感想を書くことにする。

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例によってネタバレを含むので一旦改行スペースを置く。

*1:では、授業はどうしていたかというと、これもまた、教諭は公的には「時間休」で学校を抜けて、あくまで私用として補習科の授業を行っている、という体裁になっていた。給料の補填をPTAが行うという体裁であったのかどうかは忘れたが、とにかく学校を時間休で抜けている、という旨であった。

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#C91感想 『NAVAL Trading Co.,Ltd FLAGMENTS』(てぃーえー/CASTLEPOINT)

感想

 皆様は「キャラ」というものをどのように認識されているだろうか。凡そ一般的なところであると、長期連載されているような作品の主人公クラスであれば「ああ言えばこう返すであろう」と想像がつくだろう。それがキャラの認識であるとして概ね差し支えないように思う。そう、キャラとは関数なのだ。変数に数値を代入すると幾ばくかの答えを吐き出す。とはいえ、時間と場所とその他複数のパラメータをもった関数であるから「ああ言えばこう言う」と揶揄される、とある宗教法人の代表のようにすんなり(?)いかないのが対人関係の面白いところである、と思う。ところで、「関数」と申し上げたが、いにしえの時代には「函数」という字が使われていたのだ。「はこ(函)の数」と書いて函数。こちらのほうが意味合いに沿っているだろう。身近にもあるでしょう。小銭を投入してボタンを押すとジュースという出力が得られる自動販売機。宛先という変数を書いて「投函」すると、住所という文字列に変換されて届けられるポスト。何かしらの入力を与えると答えを吐き出す「函」という意味を持つこの漢字も、今では常用漢字から外されたために「関数」と常用漢字を当て直されたりしてはいるが、地名人名を含めた一部の言葉ではまだ生き残っているのがお分かりいただけるだろう。先程挙げた「投函」のほか、「函南」「函館」などの地名にも登場する。表意文字とはいえ、「常用漢字」というルールに従って二軍で奮闘する彼らにも時々スポットライトが当たるといいなあ。

 

 とまあ小話はさておき。人格性格ベッド上の反応その他を「時間変数を含む関数である」などと論じるとこの野郎は人の心もないのか、これだから理系の大学出は、だからオウム真理教事件がうんぬんかんぬんと、変なところからツッコミが入りそうなのでぼちぼちやめておくとして、本題に入ろう。ここのところ続いているコミケット91の「戦利品」を入力して私が感想を「出力」するこのシリーズの流れである。今日の御本はサークル「CASTLEPOINT」のC91新刊である。

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 以下例によって内容に触れるので、それでも構わなければスクロールして着いてきて頂こうか。

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#C91感想 『楽章a[mouvement a]』(皆月蒼葉/びびび文庫)

感想

 人はなぜ本を買うのでしょうか。読むためです。ところが、本を読む時間も、財布に入っているお金も、有限のリソースです。では、どうやって「読んで楽しい本」を選ぶのでしょうか。"最初のペンギン"という言葉があります。魚を求めて崖から海に飛び込むペンギンは、さりとて飛び込んだ瞬間に、シャチにパックリ頂かれてしまうかもしれないのです。しかしてその危険を冒して最初に飛び込んだペンギンは、より多くのおいしい魚を独占することができます。従って、買ったことのない作家の作品、とりわけ、同人誌即売会でないと手にはいらないような本――いわゆる同人誌――に手を出すのは、一種のバクチであって、商業ベストセラーの文庫落ちを買うような気持ちではなく、「これは面白いのだろうか」と半信半疑で買うわけです。特に、ページ数が多い上に、形態が小説ともなれば、B5サイズ24ページのマンガのように、半分も会場で読むわけにいかず、完全な賭け事のごとく「新刊をください」と申し出、虎の子の日本円と引き換えに、商業誌より割高な本を手に入れるわけです。

 

 とまあ、上記のような冒険をした結果、大変おもしろい作家を発掘することに成功すれば、ときに戦場とまで揶揄される同人誌即売会に幾度となく足を運び、いつしか「毎回新刊を買うサークル」というのがリストアップされるわけであります。そういうわけで、今日はサークル「びびび文庫」のコミケット91新刊、艦隊これくしょん二次創作の『楽章a[mouvement a]』を読み終えたので感想を書いておくことにしましょう。

 

 当然ネタバレを含みますから一旦クッションを置いておきます。既刊の『終わりの花』は少々頭のイカれた鈴熊が楽しめますし、『ランドスケエプ』では、SM分離*1前の横浜駅の濃厚な描写がいい味を出しています。

 

 これら既刊はBOOTHで電子書籍版を頒布されているようです。今回の新刊は物理書籍が虎の穴で委託されています。

 

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*1:東海道本線(列車番号の末尾がM)と横須賀線(列車番号の末尾がS)は、今日東京から別の線路を経由して大船に至るが、かつては横須賀線の電車も東海道本線の線路を大船まで走っていた。高度経済成長に伴い、列車本数が増え、さばききれなくなることから、横須賀線の電車を別の線路に移す工事が行われた。その施策のことをSM分離という。

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