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新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

湾岸戦争

 今日のお題湾岸戦争。父が湾岸戦争モノの映画ばっか観ててねえ、というのはさておき、単純に交戦勢力をA vs Bの形で並べた時にイラク対"ほかの国"という、仮に自分が傭兵だったならばどちら側に雇われるかは火を見るよりも明らかなアレでございました。ソビエト連邦ですらアメリカを支持するというアレっぷりがすべてを物語る。多勢に無勢とはまさにこのことだ。近年の戦争であるためカラー写真が豊富に残っており、米戦艦ミズーリからトマホーク*1が打ち出される様は圧巻である。あんた戦艦大和と同期みたいなもんじゃねえっけ。B-52じゃねえけどバケモンかよ。太平洋戦争でボコボコやりあった船が91年にトマホークを発射している。実に意味がわからない。

 

 戦争というのは外交手段の一つであって、戦争に至らぬまでも、戦力の保持は外交上大切なことである。これは個人レベルでも適用できる話であって、会社で退職者が出た場合に「貴重な戦力が抜けてしまって」などと上司から(お世辞でも)惜しまれつつ言われる何気ない言葉にもばっちりと"戦力"という単語が入っている。別に戦車と艦艇が戦力というわけではない。ただし、なんでもかんでも戦力と言うわけでもない。単純な現金保有力は「財力」だし、学歴を指して戦力とは言わないし、おっぱいも「武器」であって戦力とは言わない。ともにたたかう、自分と同格の存在を指して適用できるのが戦力という言葉か。するとやはり能力を持った人を指して言う、のが自然な流れではあるか。能力と言うのは武器とも言う。武器をたくさん持った人が味方に付けばそれはもう戦力である。将棋に関する慣用句も多いが、戦争に関する慣用句も相当に多い。

 

 股間の武器でドスケベ危険日妊娠前提特濃おちんぽみるく現金満タン膣内射精したい。

*1:データを打ち込んで発射できるミサイルって両津勘吉が言ってた

おきらく一人旅(入試)

 しばらく書かないと自然にブログの執筆から離れてしまう。違うのだ、寒いのが悪いのだ。コタツを設置し厳寒期もぬくぬくと過ごすのはいいが、デスクトップパソコンをコタツに移設するのはよくなかった。ディスプレイというのはすこし見下ろす形に設置すると首や目への負担が少ないが、コタツに28型のディスプレイを設置すると見上げる形となってしまう。しんどい。したがってコタツの向こうにみかんの箱を設置し、目線は自然と下へ向くようにしたが、こんどは遠くて活字を追うのが厳しい。フォントサイズを大きくしたり、いろいろ試したがしっくり来ない。厳寒期に灯油を買うカネもない低所得者であるから、暖房する領域が区切られており、暖房費が低廉に抑えられるコタツを使うことは我ながら慧眼であったが、しかして、ノートパソコンを持っていないせいで、活字を追う活動から離れてしまったのもまた事実。次に何かしらの収入があったらノートパソコンが欲しい。いや、それより前に望遠レンズだ、冷蔵庫の買い替えだ、カメラのストラップも買い替えたい、ドラレコは買った、ETCは……と物欲は尽きないが、入ってくる賃金というのは年末調整ぐらいでしか変動しないのですべて先送り。そうこうしているうちに冬は去り、いい加減デスクにデスクトップパソコンを戻しても下半身は寒くなかろうという時期が到来したので適当に下書きから掘り起こしつつリハビリを兼ねて書くことにした。なにせ原稿の依頼まで舞い込んだため、ここいらで筆とペニスを折って入院して……などという茶の濁し方ができなくなってしまった。どうでもいいけど濁ったペットボトルのお茶は捨てたほうがいいぞ。入院するハメになるらしい。

 

 大学入試に親が着いてくるか、という話がある。昨今では過保護な親が泊りがけの入試に着いてくる、一体どうなっているのか、という言説である。とはいえこれには子供が自立していないわけではなく、どうも「親が子離れ出来ていない」ケースが多々見受けられるので、受験生本人に責はない。……と思う。一人暮らし開始の際だって、不動産の手続きにすら親が来ず、入居3日目に「手伝い」と称してようやく父親が来てくれた程度にあれこれ任された身としては複雑である。不動産の手続きは、といえば、さすが学生街の不動産である、書類は実印での割印が必要な箇所を指示して保証人宛に郵送して対応するという。「浪人生ですか、いやあ、しっかりされているので」などと客を褒めることも忘れない、良い不動産だったように思う。まあさておいて、とにかく、他所は知らないけれど、少なくとも私の場合、入試に親は着いてこなかった。大変気楽である。世のひとり出張サラリーマンの気分だ。のちのち、まっとうな社会人をやっていた頃にひとりで出張したことがあったが、現地で取引先にお邪魔するまでの間はお気楽そのものである。移動が苦にならない人種に出張、猫に鰹節、鬼に金棒、女子高生に8×4である。

 

 とまあさておいて、東急東横線日吉駅まで、讃岐の国から入試に向かうときのお話。当然距離的に前泊であるから、行きはANA高松空港から夕方の羽田行き。これは良い。問題は帰りである。終了時刻はわかっているが、不測の事態も想定される。時間が読めない。そこで帰りは遅めの時間で新幹線を取っておく。JRの特急券は1回に限り無料で乗車変更ができるから、用務が早く済んだ際は窓口で早い便に変更すれば良い。ただし、飛行機のオープン航空券のように、乗り遅れたから後の便に変更、というのはできない*1。手持ちのきっぷの発車時刻までに窓口に行かねばならない。なお、当然のことながら、早い便が満席の場合、座れるかどうかの賭けをして自由席に替えてもらうか、適当に時間を潰して本来の便に乗るか、になる。いずれにせよ、最大公約数で遅い便の指定を取っておくと選択肢が増える。最悪でも手元に席はあるわけだから、街に出て観光をするなり、本を買ってカフェに入るなり、あるいは入試会場でギリギリ女子高生な少女をひっかけてラブホへシケ込むなり……人生の選択肢は、つねに、なるべく、多く持っておくというのが四半世紀生きてきて得られた経験だ。

 

 入試の日程は半年も前から承知であるから飛行機に関しては片道1万円と少しで手配ができた。ホテルは新横浜の東横インを押さえ、帰りの新幹線も手配ができた。あとは当日、問題を読んでどれだけアタマが回転するかに掛かっている。8,000回転までキッチリ回せ。レッドゾーンに突入だ。脳みそはブドウ糖しかエネルギーに出来ないらしいが、そこは人間の歴史と人体の神秘がうまくしたもので、いわゆる糖質というのはブドウ糖が長く長くつながって出来ており、コメやらパンやらを食べると胃酸で単糖類に分解されて吸収されるそうだから何も試薬一級のブドウ糖を試験会場で食べる必要はないのである。

 

 羽田空港に降り立ち、真っ赤なカラーの京浜急行新逗子行きに乗る。もともとが空港アクセス専用というわけではないためか、途中の小駅にも止まりつつ、列車は横浜へ向かった。横浜で降り、西口のダイエーで化粧水やらカミソリやらを買い込む。かさばるものは現地調達。飛行機に安全カミソリを持って乗れるのか知らなかった*2し、降機後にターンテーブルで待たされるのが嫌で基本的に荷物は預けないから、というのもあるけれど。新千歳でサークルの後輩に「先輩、預け荷物を受け取り忘れているのではないですか」と突っ込まれるようなボストンバッグひとつで数日旅行するけど、旅慣れた人間はおおよそ荷物が少ない。

 

 話がだいぶ脱線した。当時既に一浪であったから高校生ではなかった。高校生ではないということは大手を振ってエロ本が買えるということである。従ってダイエーからメロンブックスへ直行した。エロ同人を物色し、厳選5冊を抱えて東横線に乗る。東横線東横インに向かう。フフッ。東横インの東横、とは東京と横浜の間にある蒲田に建てたという意味なので、まったく関係ないのだがまあよい。横浜線に乗り換えて新横浜に到着。一旦チェックインして荷物を置き、腹ごしらえをして再びの駅前。するとロータリーに面してブックオフがあるではないか。なんと明日が入試であるというのにアホが「いちご100%」を読みに吸い込まれていった。アーメン。いや、どちらかと言うとザーメンか。エロマンガの写植で見るとザーメンって興奮するけどリアルに音声で聞いてもあんまり興奮しねえなあと思うのは個人の自由だと思う。

 

 とまあ、親の目の届かないところに行くと人間ここまで自堕落に過ごせるものだと感心してしまう。ファッキュー管理教育。そりゃあ全寮制とか男子校とかそういう規律戒律に厳しそうな教育をしてくれそうな学校も出てまいりますわなあ。とはいえ成績で事実上行く学校が決まってしまう四国の田舎に比べれば、好き放題私立高校選べる都市部は恵まれてると思うよほんと。まあ男子校に行くのはみんな大好き自己責任の範疇なのと、人生や歴史に-IF-もしもルートは存在しないので、時間巻き戻しの理論が提唱されるまでは過去を悔やむのはやめましょうねえ。よく言うでしょう、「買わずに後悔するより買って反省」と。世に求められるのは機会逸失の後悔ではなくサンクコストの反省なんです。本質的には同じだけどネ!高校生のうちに高校生相手に生セックスできなかったことを後悔するのクヨクヨ系で男らしくないけど、反省してカカオトークで今から女子高生引っ掛けて食べに行くのはお巡りさんこっちです。田舎で出会い系サイトの掲示板を覗いても個人デリヘルみたいなのばっかりで落胆しちゃうね。個人タクシーかよってレベルで個人デリヘル、ただしこちらが車を出して人妻を迎えにみたいなそういう危ない橋ばかりで参ってしまう。当然そんな危険な女に手は出さないし、サイトに課金したりもしないのだけれど、インターチェンジのそばにあるエロビデオ屋には出会い系サイト各種の課金カードが売られていて文化の違いを見せつけられる。出会い系サイトのベテランになると「スタービーチは良かった」らしいけど、今じゃぽっちゃり系で容姿に自信なしのくせに「条件あります☆」とかほざいた……やめとこうか、そういうアホらしいのに手を出したりはしていません。断じて。お金がもったいない。

 

 で、入試会場で"まだギリギリ"女子高生を持って帰れたのかって?んなもん聞くまでもないでしょうよ、日吉の駅まで出るのも一苦労の退場制限を食らうわ、受験生の大多数はまだまだ入試が残っててそれどころじゃない顔してるわ、そもそも受験生は睡眠不足で肌もボロボロで食べる気が……ってこれは酸っぱい葡萄理論になってきた。きっと女子高生は美味しいのだろうって思っておかないと女子高生が値崩れするからそういうことにしておこう。それがいい。

 

 うっかり妊娠しちゃった女子高生ってガチ生☆種付けセックスしちゃったってことだよね。

*1:今でも乗り遅れてからの変更ってできるんだろうか、私は経験がない

*2:安全カミソリや電気ヒゲソリは機内持ち込みできるらしい

教室と国家

 今日のお題は「教室と国家」であった。何かしらの有名なフレーズだったらば、知らずに駄文を書くと無教養がバレるため、一応検索をかけては見たが引っかからなかった。従って教室というのは国家の縮図である、とりわけ義務教育の間はその傾向が強い、という論調で話を進めていくことにする。

 

 自我も体力もついてきて生意気な中学生どもが集められた公立中学校の教室を想像してみよう。ただしこの時点で一部のお金持ちな上澄みは私立や国立のお受験が必要な中学校に抜けていることに留意が必要である。そう、公立中学校の教室というのは上から1割ぐらいの上澄み層を取り去ったあとに残った9割の国家の縮図である。下から9割、である。そのうちおおよそ日本語が通用するのが半数くらいか。公立中学校の教諭というのは何かしらの血迷った情熱で駆動しているからか、日本語が通じない半数をどうにか押さえつけ、卒業まで警察にパクられないように様子を見つつ、という基本スタンスで日々を過ごしているように思う。たいへん頭の下がる思いだ。思うに、公立中学校で3年間過ごすと、その後世に出てから市井の者どもに対して過度な期待を寄せなくなるし、まかり間違っても下から9割を相手に消耗せねばならない接客を含む業種に就こうと思わなくなる、気がする。卒業時には既に妊娠してる同級生が居たり、他所から転校してきたヤンキーっぽいのが既存のヤンキーにやられて光の速さで不登校になったり、美人のセンセが産休で引っ込んでる間に来た、いろいろと微妙な講師が生徒にイジメられてココロの病気で休暇に入っちゃって自習になったりと、社会の悪を煮詰めたような事象が次々と起こるので退屈はしないが、日々生存が脅かされている感じの中で生きることになる。

 

 というような教室で過ごすと、国家とは、という思いもなかなか愉快なものになる。正義とはなんぞや、常識とはなんぞや、高校中退がなんぼのもんじゃいという世界と、大学出だけで出来ているようなハイソなコミュニティとでは断絶がある。ところがその断絶をもやすやすと同じレベルで話ができる事項がある。セックスである。セックスに学歴は必要ない。そこにあるのは往々にして2人以上の人間だけである。人種の壁も民族の壁も存在せず、ただただ肌を合わせて快楽を貪るという原始的な行為は食う、寝ると並んで学歴を問わず必要とされる。

 

 教室でも国家でも、基本原則として平等の建前がある。当然、金持ちの子も貧乏人の子も、イケメンも不細工も平等なのであるが、義務教育が終わるとひとつだけ平等ではなくなるものがある。学力だ。高校以後の教育課程で、人は概ね学力によって振り分けがなされ、入学時点での学力は概ね均質となる。その後もまた大学受験が控えており、ふたたびその場面での学力を検査し、ふるいにかけることが大手を振ってまかり通っている。これはなぜか。合理的には、いくら学校が広く学問をひらいていても、設備には限りがあり、一定の教育水準を保証できないから、とされる。「一定の教育水準」のためには万人に平等でなくなってもその場では仕方のないことだ。

 

 似たようなものがある。おまんこだ。よく「イケメンばかりが得をしている」という言説はあれど、供給の主体であるおまんこの側からしても、まったくキュンとしないちんこにマンコサービスを提供した結果、濡れない、抱かれたくない、マグロにしかならない、演技をする気も起きないとなっては本来のまんこポテンシャルを発揮できないことになる。適材適所。まんこは濡れるちんことマッチングするべし。ちんこも勃つまんこを相手にすべし。演技はすぐ限界が来る。本心から相手を気持ちよくしたいと思えないと、途端にボロが出て関係が破綻するだろう。ちんこ、まんこともに競合相手を自覚してこそはたらくのが市場原理である。とはいえ公共サービスではないから、サービス相手を選ぶのも自由。打算と妥協で均衡する場合もあるように思う。顔は良くないけどフェラチオが絶品であるとか、ピルを飲んでいて中出しOKだとか、他より多く稼ぐだとか。市場原理で一番怖いのはマーケットの参加者が減ることである。東証を見よ。すっかり市場が冷え切ってしまった。市場自体の魅力が失われると急激に参加者が減る。一攫千金を目論む気持ちを、射幸心を煽っていかないと早晩まんこちんこ市場は廃れるだろう。市場が廃れれば意図せぬ金額での損切り・投げ売り・買い叩きが横行し、悪意のある人間のみが儲かるシステムの出来上がりだ。

 

 とはいえ、相場はこの世の幻想郷。自分の目の前にだけ、ありえないほど有利なまんこが現れることすらあるだろう。だからギャンブラーは退場せずに借金してでも、次こそは、次こそは取り返すと息巻くのである。

 

 

 株や先物で大損して再起不能になる人は損切りが下手くそな人です、と古事記にも書いてある。

ふるさと納税

 本日もお題提供ありがとうございます。ふるさと納税でお送りします。とはいえやったことないんですよこれが。ふるさと納税するほどそもそも納税しておらへんというのはともかくとして、納税するような「ふるさと」があるのかと常々思うわけです。生まれ故郷は香川の田舎ですけれども、鉄道もスーパーマーケットもあり、今ひとつ絵に描いたような「ふるさと」のイメージは持ちづらい……というのは、笹松が自ら思い描く理想のふるさと像というものが、おおかたエロゲーかエロ小説あたりに立脚しており、帰省するような田舎だろうが定住している田舎だろうが都合よく無限に美少女が供給される一戸建てで庭がある、みたいな恵まれすぎた環境を想像してしまいます。んなわけがあるか。田舎ってのは栃木のあたりの国道沿いの新興住宅地が実家で、宇都宮線の駅までクルマで迎えに来てもらって、ロードサイドの焼肉屋か回転寿司で夕飯を食べるものだと相場が決まっているのだ。戸籍をちょろまかして美人3人を娶るような田舎は存在しない。目を覚ませ。……いや?意外と生まれ故郷は役場の人間に巨額の賄賂を渡せば大丈夫なのでは……?戸籍は金で買える……(錯乱)。そもそも既婚男性がお妾さんに子供を産ませて認知したら戸籍はどうなる……?住民票はどうなる?そこに存在する確執は……?

 

 考えすぎてしまった。主題はふるさと納税である。返礼品が過熱しているとか、事実上金券であるとか、従って高額納税者、つまるところ富裕層の脱税手段となっているとは聞くが、確かに住民税が携帯代より安いような我々若者で低所得者層にとっては制度上も微々たる効果しかないのが手痛いところである。

 

 そもそも"ふるさと"とはなんだろうか。「こころのふるさと」という言葉もあり、別段生まれの土地に拘る必要はなさそうだ。ふるさと納税でも、縁もゆかりもない自治体へ寄付をすることは可能だ。ふるさとの定義が揺らいでいる。ここはもっとミクロに考えていこうではないか。母なる大地、人類のふるさとは母なる海、なるほど母という言葉は意味合いが広い。今のところ人類は例外なく子宮から生まれてきた。まだ培養液の中で蛍光色の試験管から細胞分裂して生まれました、学習装置で常識教養をインプットしましたという人間に出会ったことはないから大丈夫であろう。よし、子宮こそがふるさとだ。したがってこの定義でいくとふるさと納税というのは親に感謝の意を込めて贈り物をすること、そして未来のふるさとである子宮を持った女性に感謝の意を込めて贈り物をすること、となる。なるほど分かりやすい。ふるさとは子宮であり、自分のふるさとと、自分の子のふるさとにお金をつぎ込む。結婚はふるさと納税だった。レッツ子宮にふるさと納税。白くて活きのいいオタマジャクシを母港の子宮にふるさと納税。返礼品は継承された遺伝子の乗り物。連綿と受け継がれてきた人の営み。

 

 とはいえ、培養液と美人とだったら圧倒的に美人に種植えしたいし、科学も美人には勝てないんだよなと思うとサイエンティストというのは割に合わない稼業かもしれない。

 

 子宮にふるさと納税(意味深)してえ。

あくあちゃん

 だから個人名がお題だと下ネタにもっていけなくて困るんだってば。

 

 というわけであくあちゃんです。

aqueous-triplog.hateblo.jp

 

 というわけで実は一方的に知っていた期間を含めると相当付き合いが長いというお話をしようかと思います。電車を運転するゲームといえば、有名なところで「電車でGO!」シリーズでしょうか。

denshadego.net

 しかして、Windows向けには鉄オタに広く知られているフリーの列車運転シミュレータがありまして、名前をBVEといいます。Boso VIEW Expressから来ているようです。

bvets.net

 BVEは「路線ファイル」と「車両ファイル」があり、これらの仕様が公開されているため、有志が各々好きな列車を運転できるようにファイルを作って公開しているのです。最初にBVE本体をダウンロードすると付いてくるのは京成千葉線かな、以前のバージョンだと内房線でした。

 

 最初に追加した路線はATS時代の東急東横線と非電化時代の相模線だったように記憶しています。その後も予讃線、地下鉄銀座線、地下鉄丸ノ内線、などなどの路線をダウンロードして行き、ある日、地下鉄御堂筋線の路線データを公開していたサイトを見つけました。当時はまだSNSもなく、作者の名前に気を留めることもなかったのですが、その作者が……あくあちゃんでした。マジかよ。そこから起算するともう15年ぐらい*1のお付き合いになります。マジかよ。自分用のWindowsマシンを買ってもらったぐらいだから自分がまだ中学生か高校生だった頃のお話になります。マジかよ(三度目)。東京タラレバ娘じゃないけど、時の流れを実感すると大変な危機感を覚えます……。

 

 今はなき私の祖母は若い頃大阪に住んでおり、天六ガス爆発事故……の数年前に香川に戻ったものの、何かしらの込み入った品物が必要になると、大阪に行けばなんでも揃う!日本橋も千日前の道具屋筋商店街もある!という人でした。だからか、自室にて大音量でBVE御堂筋線をプレイしていると、夕飯時に、大阪に行きたくなるねえと、ニコニコしていました。

 

 その後、BVE本体の新バージョンが登場し、対向列車が動くようになったり動きが滑らかになったりと、路線データの側も対応が必要になり、今は一旦御堂筋線の路線データは公開を中断していますが、あくあちゃんご本人は今も虎視眈々と「うっかり新しい資料を見つけてしまったので反映せざるを得なくてねえ」と、楽しそうに新バージョン対応の作業を行っているようです。楽しみですね(圧力)。

 

 次は 淀屋橋 淀屋橋 市役所前 京阪線は乗り換えです 出口は右側です

 ザネクステーショニーズ ヨドヤバシィ ステーションナバー エンム セブンティーン……

*1:ガバガバ

鎖骨

 今日は鎖骨でお送りします。お題の提供はこちらから。鎖骨というと田舎でいじめられたとき最初に折れる骨という個人的な印象がありますが、どうも鎖骨があるおかげでできるくぼみのことを指すことが多いように思います。くぼんでいるということはトポロジー的に女性器と同値であり、したがって「えくぼ」「へそ」と同じく女性性のシンボルとして扱われ、肉付きがいいせいでくぼみが存在しないことへのコンプレックス等も見受けられます。かくいう私も鎖骨が綺麗にムダ肉で埋まっておりまして、他人の事をとやかく言えるものではないのですが、人間は足りないものを相手に求めることで相互に補完する高度な生物ですので美しい女体を追い求めて行きたいと思います。競争がないと良いプロダクトが供給されないのは旧共産圏諸国を見れば火を見るよりも明らか。一定レベルに達しないプロダクトは消費者からNO!一定レベルに達しない労働者は経営者からNO!一定レベルに達しない男は女からNO!……なんか辛くなってきた。それらの足切りからあぶれた何者にもなれなかったものどもを救うのが行政であり福祉であり医療であり……。適切な再分配が機能していないからこそこの世はつらさで溢れているのです。

 

 閑話休題。鎖骨の話であった。正常位で生セックスをしてそのまま射精ギリギリで引き抜いた際に女性の美しい体に精液がトッピングされてしまうのは万有引力の法則に従えば仕方のないことであり、したがって射出された精液は重力を受けて局所最適解であるヘソや鎖骨のくぼみに溜まるか、あるいは脇腹を滑り落ちてシーツのシミになるわけでありますが、この「くぼみに溜まった精液」というのが大変フェティシズムを刺激するのです。だからこそ鎖骨のくぼみが駄肉で埋まっていると自らの性的魅力の一部分を欠いているかのような錯覚に陥るわけです。本質的なところ、精子を受け取って受精着床して出産できれば最低ラインはクリアなわけで、おっぱいも授乳できればOK……というのは旧共産圏の論理ですから、我々西側諸国の21世紀を生きる人間としてもっと高い水準を求めて日々生きてまいりましょう。

 

 

 女体盛りとくぼみに溜まった精液って本質的に同じだよね。

ホタルイカ

 今日のお題ホタルイカでお送りします。どちらかというとネタかな。スーパーの鮮魚コーナーに今頃ちょうど並んでいますね。とはいえ私はあまりこいつが好きではない、というより目玉と骨を取るのが面倒で買わないんですよねえ。味覚的な好き嫌いは特に無いので出されたら美味しくいただきますが、同じような理由で殻つきのエビも買わない。恐らく海産物さんサイドとしては、なるべく人間を始めとするイキモノに美味しく頂かれないように対策をしているのでしょうけれど、現実問題寿司屋では骨も殻も取り去って供されるあたり、人間もしたたかでして、食べにくいならば食べやすいようにしてやろうグヘヘという飲食ポルノの専門家がいるわけですよ。飲食ポルノ。農作物なんて品種改良からやりますからね、ヤバいですよコレは。ふとももむっちりで星条旗ビキニが似合うようなボディに育つ遺伝子操作とか人間でやったら倫理委員会みたいな組織が黙ってないでしょうに、農作物は収量増やしたり病気にかからなくなったりやりたい放題ドッタンバッタンおおさわぎ。

 

 食べにくい、と言うと俗に、食えないヤツ、という表現があります。He's tough  costomer to deal with.*1「ずる賢くて気が許せない、一筋縄ではいかない」という意味で、従いましてこのような人間はセックスするチャンスを逃します。そもそもセックスというのは人間の一番リスキィな部分をお互いに晒して行うわけですから、何か一物を抱えていそうな人間を相手にすると、よもや酷いことをされてしまうのではないかと不安が先に立つわけです。現在の日本では男女がお互いに望み、経済的に裕福な場合でないと妊娠そのものが一番のリスクであるわけですから、「こいつは私のことを孕ませるつもりではないだろうか」「こいつは安全日をごまかして勝手に孕むつもりではないだろうか」という疑心暗鬼が一番よくないわけです。そこでコンドームメーカー各社と医療機関各位はコンドームの使用を推奨し、そして生セックスに近い感覚の新商品を市場に投入するわけです。コンドームをつけていれば「セックスはするけど子作りはしない」ということがお互いにコンセンサスが取れるわけです。たかが薄いゴム一枚、されどゴム一枚。「ちょっと待て 基礎体温を 見せてみろ」「それがピル うそこけこれは ただのチョコ」「一発だけなら誤射」「急に精子が来たので」安全第一、みなさんの職場や学校に大きく印刷して掲示いただける便利なスローガンを。

 

 

 この女は諸々誤魔化して妊娠する気ではないか、という疑念なしに膣内射精できる場は、もはやゴムなしソープランドしか存在しないのではないか、という絶望が脳を支配する。

*1:慣用的な表現なのだろうけれど、「私には関係のないことだ」の英訳がIt's none of my business.になったり、日本語だとサラリーマンとか取引先を連想してしまいそうな単語が頻出するあたり、英語というのは感覚に合わず、理解が毎度大変である。