新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

琴平駅の大樹

今日は郷里の駅の話をします。JRのほうの琴平駅ですね。

いま、「四国まんなか千年ものがたり」の乗客向けラウンジ「大樹」になっているスペースの昔話です。駅入口に向かって駅舎を正面から見たときの右手にある、あの部屋です。

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琴平駅(2021)

琴平といえばこんぴらさん金刀比羅宮門前町として栄え、モータリゼーション以前は当然ながら陸の王者日本国有鉄道が広域輸送を一手に担っていたわけで、往時は琴平駅にも遠方から多客臨時列車が全国からモリモリと送り込まれていたわけです。

その頃は団体専用の改札口というものがあり、ちょうどそのスペースがいまラウンジ「大樹」になっています。

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大社線大社駅(2007)

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大社線大社駅 団体専用改札口(2007)

残念ながら、琴平駅の団体用改札口は私が生まれた頃にはなくなっており、往時は当時を生きた人からの言伝でしか聞いたことがないのですが、島根県出雲大社の手前にある旧大社線大社駅は今でも立派な駅舎が保存されており、なんと琴平駅と同じような位置関係で、駅舎に向かって右側に団体専用のラッチが、廃止当時のまま保存されていました(※2025年まで旧大社駅は修繕工事中です)。

旧大社駅(1924年築)は和風、琴平駅(1936年築)は洋風建築ですが、出札窓口・改札口から団体専用改札口、駅ホーム・構内配線に至るまでの配置は似通っており、どことなく親しみを持って見物したのを覚えています。

……では、旧国鉄時代の団体用改札口が撤去され、「大樹」が設置されるまでの間、そのスペースはどういうふうに利用されていたのでしょう。あまり文献はないように思います。

 

ここからは私の幼少期の記憶に頼ることになりますが、あのスペースは鉄道資料館とされていました。旧国鉄時代の急行列車のヘッドマークや信号テコ、タブレット閉塞機……などなどが展示され、部屋の真ん中にはガラスケースに納められたNゲージ鉄道模型ジオラマ(走行可能なので「レイアウト」と言ったほうが良いかもしれません)が設置されており、100円を投入すると「きかんしゃトーマス」に出てきそうな欧風の編成が走り始めるのでした。

 

この鉄道模型は100円を投入すると走り出す、と記述しましたが、よく故障していて、メルクリンだったかトリックスだったか、とにかく国外メーカー品で、技師を呼ばないと直らない、高額な費用が掛かると説明されていたように思います。いつごろこの模型が設置されたのかは分かりませんが、当時はまだ国産Nゲージ鉄道模型がメジャーではなかったのでしょうか……? この「資料館」の設置は分割民営化直後とも思いますし、関水金属かトミー製でも良かったような気はします。

 

さて、この資料館のもうひとつの目玉が、電車の運転ができる実物大のシミュレータでした。こちらも100円を入れると動くものだったように思います。車種はなんと初代瀬戸大橋線マリンライナーの上り岡山方先頭車であるクモハ213です。……所属としては他社(JR西日本)の車両やんけ!

このシミュレータは、全長が10mないくらい……の壁にめり込んだカットモデルのような、ゲスな言い方をすると、大阪にあるらしい「電車を模したラブホ」みたいな作りと言えばいいでしょうか、客用扉に相当する部分がくり抜かれ、運転台との仕切りも仕切り扉がなく……というものでした。大宮の鉄道博物館にある211系のシミュレータの助士側を壁にめり込ませて作ったような構造、と言えば、ご存知の方は想像しやすいかなと思います。

運転区間も瀬戸大橋を含んでいた記憶があります。正直なところ、子供が親にせがんで100円入れて遊ぶには、瀬戸大橋というのは9.4kmある高架橋区間で駅もなく退屈でした。後年、ビデオゲームとして電車でGO! にて瀬戸大橋区間がリリースされた際は、実写でないことを逆手に取って、退屈にならぬ程度に距離が短くデフォルメされています。

シミュレータの車種、区間ともに瀬戸大橋開業に合わせて作った設備のように思いますし、そう考えると1988年には設置されていたと考えるのが自然でしょうか……?

 

……いつの間にか、その資料館は鉄道模型も、シミュレータも故障して、常に施錠されるようになり、閑散時間帯に駅係員、駅長に頼めば見学させてくれた記憶もありますが、中学校の職場体験学習のとき、当時の駅長さんに入れていただいたのが最後の記憶となります。2005年頃? ああ歳がバレる……w

 

いつのまにか、郷里を離れている間に、乗って楽しいジョイフルトレイン(死語)として「四国まんなか千年ものがたり」が運行を開始し、思い出の「資料館」はラウンジ「大樹」へと姿を変えていたのでした。