新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

きんぎょ

 きんぎょ、キンギョ、金魚。弥富やら大和郡山やらの特産品であり、縁日には金魚すくいの屋台が欠かせない。実のところ、観賞魚の飼育では割と要求水準が高い上級者むけの魚であり、本来はメダカや(瓶詰めの魚)が屋台で子供に売るには適しているが、水面から眺めた姿に色っぽさが足りないので難しいところだ。金魚すくいによく見られる和金*1と出目金*2は泳ぐスピードが大きく異なるため、飼育する際はエサを工夫しないと……などと言うのは野暮か。

 

 今日は金魚の話をしたかったのではない。国鉄101系電車の話を、ひいては通勤型国電から現在の通勤電車への話をするためにきんぎょというタイトルをつけた。かつての日本国有鉄道は、増大する中央線の通勤輸送を改善すべく、新型車両を開発した。モハ90形、のちの国電101系電車である。こいつが当時の丸の内ビジネスガール*3に「きんぎょ」と呼ばれ親しまれたそうな。民鉄ではすでに採用されていたとはいえ、国鉄初の中空軸並行カルダン駆動、戦時中に生まれた、モハ63の20 m車体に4つ扉のスタイルを一歩前進させて両開きドアに。そう、今の山手線や京浜東北線有楽町線や千代田線のスタイルとまったく同じなのだ。

 

 

 別に電車の話がしたかったわけじゃねえよ浴衣の女の子と金魚すくいしたかっただけだよ俺が何をしたっていうんだ許してくれ頼む。

 

 浴衣セックスと金魚は夏の季語です。

*1:いわゆるフナ金、ギンブナのような姿のやつ

*2:クロデメキン、実は赤いアカデメキンも存在する

*3:当時はOLと言わなかったんだろうか。

つばめ

 職場の軒先を目にも留まらぬ疾さで飛翔体が行き交う季節となった。そう、つばめである。スワローである。日本で一二を争う有名な渡り鳥だろう。白鳥より広汎に見られるから一番有名かもしれない。目の前を飛び交うスピードは確かに速さの象徴とも言えそうだ。時の日本国有鉄道蒸気機関車の側面(デフレクタ、除煙板という部分)にツバメのマークを貼り付けたりしていたし、国鉄の野球チームはスワローズである。今でもJRバスの側面にはツバメの絵が描いてあるから、どこかで目にしたことはあるだろう。C62型蒸気機関車の2号機はデフにツバメがついていて、愛称を「スワローエンゼル」と言う。「スワローつばめ」とか言うな。なんかちげえわそれ。座席未指定券という制度のセンスは気高いツバメのエンブレムに似つかわしくない。……とかいうと懐古厨とか国鉄至上主義者って言われちゃうんですっけ。まあええわい。

 

 そのC62型蒸気機関車であるが、49両すべてがD52型蒸気機関車からボイラ他を転用して作られた。C62型は旅客列車向けであるがD52型は貨物列車向けである。別段鉄オタでもない限りはどっちもSLってことで黒くて煙吐くやつという認識をしていれば良い。しかしながら、こいつらを擬人化するときに「旅客機は女、貨物機は男」とやると途端に面白くなる。可憐なC62型に「おはようございます兄貴!!!!」と挨拶するD52型、というシーンが描ける。てか昔どっかの擬人化個人サイトで見た。確か、小樽築港機関区の9600型が「水曜どうでしょう」よろしく全国に配置された同型機の兄弟を訪ねて歩くという連載漫画があったサイトだ。あれ面白かったからまた見たいんだけどサイトまるごと消えちゃってるのよね。かなしみ。標準軌化改造されて戦時に大陸へ渡った伝説の長兄9600号機を訪ねて行くシーンは涙なしに語れない。

 

 

 私は転勤族の子どもとして育ったので、つばめを見ていると「お互いに住む場所が落ち着かないと大変だな」という感想を抱く。AUGUSTの「Fortune Arterial」では同じような境遇の主人公:支倉孝平にだいぶ親近感が湧いたりしたが、転校初日に寮の女子大浴場に間違えて進入し、美人の裸をうっかり見たようなイベントは存在しなかったし、転校先では毎回道化師みたいなことをして数年やり過ごしてその土地を去るという処世術ですらない要らぬスキルばかりが磨かれていった。当然ながら幼馴染の美人な女の子とかも存在せず、生まれてから3ヶ月間だけ県営住宅でお隣に住んでいた女の子は、時が流れて私の高校から2駅離れた高校に通っていたそうだが、その間に会うことはなかった。その後、私の高校で、やきう部所属のとある同級生とその女の子が付き合っているという話をどこかで聞いた。なぜだか顔も覚えてないのに若干寝取られたような気分になった。なぜだろう。3年ぐらいごとに引っ越して人間関係焼畑農業していれば残念ながら当然なのだが、だからこそ、物心ついたころから信頼関係のバックボーンが太く築かれた幼馴染カップルというものに強く憧れる。ある日突然考えた。どうして俺は頑張っているのだろう。労働。義務。権利。ほんの少しの希死念慮

 

 そろそろ安住の地を得て転勤に怯えずのんびりと暮らしたいのだけど、どうやら預金残高2億円を達成してからの退職早期リタイヤっていう手しかそういう暮らし方はできないようなので、私は子宮とのご縁もなかったということで一生引っ越し屋と仲良くしないといけないらしい。とても悲しい。たとえ吸血鬼でもバケモノでも美人だったら許すから人生巻き込んで安住の地を作って欲しい。

 

 

 おっぱいぽよぽよのおねーちゃんに甘えて労働を拒否したい。

 

 金曜日殺す。

かわらずのいし

 ポケットモンスターに「もちもの」という概念が登場したころ、「かわらずのいし」というアイテムが登場した。「かわらずのいし」を持たせるとレベルアップでの進化が防げるというものだ。レベルアップでの進化では覚える技のレベルが変化したり、そもそも別の技を覚えたりするので適宜Bボタンでキャンセルするのが通常だったのだが、かわらずのいしを使うとそれが不要となる。

 

 私はどちらかと言うと変化を望まないほうである。大学生時代も、週に1回ゼミに出て、それ以外の時間で苦し紛れに進捗を作り、あとは家でゴロゴロしているだけの暮らしが一生続けばいいと思っていたわけだからフルタイムサラリーマンになって最初の1週間は地獄そのものであった。大阪の寮で「おうちにかえりたい」とつぶやくbotのようになっていた。アニメ SHIROBAKOのオープニング「COLORFUL BOX」を、行き帰りの電車で聴きながら「みゃーもりだって頑張ってるんだしあそこより人道的……人道的だからとりあえず定時で帰してくれる……ごはんもたべられる……」と思いながら必死だった。しかし1週間も居ると大阪暮らしに慣れるもので、金曜日の退勤後に同期と難波で飲んで飛田新地まで歩き*1、ひととおりゼニで抱けるオネーチャンを眺め、"料亭"に吸いこまれていく同期を送り出し、まだ電車で寮へ帰る暮らしが続けばいいと思うわけだ。

 

 

 その次に、日本の果てのような工場で研修が始まり、工場併設の寮で暮らすようになるとまた文明が恋しくなってくる。帰りたい。帰りたい。しかし私には力がない。職を辞して自由になる財力も、自らの配属先を自ら選ぶ社内政治力も、キャリア・ウーマンのヒモになる母性本能引き出し力もないのだ。しかたがないので日本の果て暮らしをする。退勤後にランニングを始めたりする。すると近所の高校生もランニングをしている。指定の体操服を通して揺れる現役女子高生の大きなおっぱい。柔らかい生地のスポブラでは乳首の主張を隠し切れない。なあんだ、日本の果てにはなにもないかと思ったらスポブラJKが体操服1枚で乳首ポッチ丸出しでおっぱい揺らしながら走っているではないか。もうこの時この瞬間から「この暮らしが一生続けばいいや」と思っている。現金なものである。

 

 とまあ自ら変化をする選択肢を選ぶことに乏しい私は、今いる境遇で満足するような安い人間だったのだろうかと自問自答するが、こういう考えに至ったのも無論理由がある。タイムラインで「学も手に職もないから離婚できない!逃げられない!だから女のあんたも手に職をつけろ!強くなれ!」という感じのことを親に言われた、てのが見えたからだ。なるほど、専業主婦というのは職歴の断絶そのものであって、専業主婦のちシングルマザーというのは離婚即詰みだということなのだろう。したがって男が専業主婦を"させる"のは、妻から選択肢を奪うことであるという論調だ。結婚した後に離婚するというのはたいへんな変化である。そのような変化の可能性を少しでも潰しておきたいというのは大変良く分かる。私もそうであるように、「今日みたいな日が一生続けばいいのに」という考えの人間にとって、明日突然変化する可能性の芽みたいなものは天敵である。やでしょ、自分ちにいつ爆発するかわかんない爆弾が置いてあるの。ボンバーマンかよっての。

 

 

 あれだけ過去の記事やらtwitterやらで「人間の本質は変化である」とか言っておきながら「今日みたいな日が一生続けばいいのに」と同じ口から出てくるんだから人間の本質は変化じゃなくてダブルスタンダードなのではないかという疑念すら浮かぶ。どうした脳内のアイデンティティ担当者。膣内射精は救いではなかったのか。いや、膣内射精こそ後に着床妊娠出産育児、それに加えて産後クライシスやら子供の受験失敗やら他所様の子供の髪留めを破壊して帰ってくるとか階段で後頭部強打してMRI撮ってもらうとか毎日に変化をもたらすものじゃないか。人生に変化を与えざるを得ない膣内射精、これが大好きマンが「今日みたいな日が一生続けばいいのに」とは笑わせるわ。どんと来い離婚調停。人間の本質はやっぱり変化であるぞ。気変わり上等。ただし最後に笑うのは俺だ。

 

 

 とはいえ親の愛情が毎日毎日安定しないというのは子供がメンヘラったりするのでこれまたダブルスタンダードな物言いをせざるを得ない。毎日「人間の本質は変化であるぞ」とか言って、ある日は溺愛、ある日は虐待、ある日は放置する親を世間は毒親という。別に毒親という言葉は多種多様な意味を内包するので、毎日態度が変わるだけが毒親ってんじゃないけれども。

 

 あ、別にうちの親は割と愛情変わらないほうでしたよ。さすがに不安定なときも年間1回ぐらいはあった気がするけどにんげんだものね。

 

 結局のところ「変化で訪れる新しい未来」と「変わらない安心」を両立させつつ、人は基本的に自分の足で歩んでいきましょうというのが折衷案として脳内採択されるのであった。

 

 

 自分の足で人生進んでくのしんどいから無限に甘やかせてくれるおねえちゃんに膣内射精だけしてたい。

*1:ちょっと、いや、かなり遠いので素直に電車に乗ったほうが良い

ビッグバードへバスで行く

 社壊人になってからJALカードを作り、一年の暮らしぶりで生活費をキチガイのようにカード決済し、現金決済を排斥していったところ、順調に国内線1往復のタダ券がもらえるマイルがたまったので、電車の模型を転がしに横浜へ赴いた。

togetter.com

 

 前回の神戸運転会で、虻となめにげあたりに、まるごとバナナをひとり1本配給するよう求められたので、今回限りということでお応えさせて頂いた。ありがとうイオンネットスーパー。ありがとうイオン本牧店。電話で「公民館みたいなところなんですけど配達できますでしょうか」「山崎製パンの『まるごとバナナ』が30本なんです、JANコード申し上げます45……」とかいうヘンな客にすごく丁寧な対応してくれてありがとう。配達してくれたおっちゃんが「またよろしくお願いします」と言ってくれた。確かにまた使いたい対応だった。ボロカス言われるけどなんだかんだ言って他の落ち目のスーパーよりイオン良いで。どことは言わないけど、岡山の山奥から横浜の店舗まで打ち合わせしに来ないとまるごとバナナ30本取り寄せません、と電話で対応した店すらあるのに。

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 公民館みたいなところで長机を並べて線路を並べて電車を走らせるわけです。詳細は上記のまとめを見てね。ノリと勢いとその場にある車両で即興的に風景を再現して遊ぶ。ある日ある時に乗っていた印象深いという理由で持っていた313系2500番台を出したらういろうが211系5000番台を持ってきていて、KATOカプラーアダプタがついているというのでつなげて、伊豆急の横に並べて熱海にしたり。

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「こんどの浜松行きは~~~211、211、211、313だぁ↑↑↑↑↑↑Fooooooo↑↑↑↑↑トイレついてるぅぅぅ↑↑↑↑」ごっこ。

 

 楽しく模型を転がして、夕刻から渋谷で飲んで、翌朝は山奥に帰るべく羽田空港へ。最近ビッグバードって言わなくなったよね羽田空港。定着しなかったか。

 山手線を品川で降り、京浜東北線で蒲田へ。東口に出てバスを探す。現在時刻は9:25、次のバスは一般路線バス蒲31の9:30、シャトル便蒲95の9:40とどっちが先につくか分からないけれど、とりあえず先に出るほうに乗る。運賃前払い、前扉から乗り、下車バス停を運転士に申告してICカードをタッチするタイプの路線バス。羽田空港までは現金280円、IC276円。場所によってはモノレールか京急電車使うより安いだろうなあ。

 

 JR蒲田駅を出て、あやめ橋というなんともえっちな名前の橋を渡り、京急の線路をくぐって京急蒲田駅バス停へ。京急蒲田駅から道路をわたってPio側にバス停があった。今は工事中で、完成したら都営バスの豊洲駅みたくなりそう。そこからバスは京急空港線に沿って走る。鉄道駅より多めにバス停が設置されていて、空港へ向かう地域住人を拾いつつ、大鳥居駅付近で一本南のより細い道へと進路を変える。生活道路みたいなところを通り、住宅街を爆走し、ふっと家並みが途切れたところで橋を渡る。住宅街だった車窓が一気に空港敷地内へ切り替わる。なんだこれは。たいへんおもしろい乗り物だ。空港内の道路をぐるぐる走り、国際線ターミナル、第2ターミナルの順に停車し、羽田空港がまだ小さかったころのバス停跡地みたいなのを横目にバスは終点第1ターミナルへ到着した。蒲田駅からの所要時間は36分、10分後に発車する蒲95は国際線ターミナルから第1ターミナルへ向かうところの交差点ですれ違ったから追いぬかれはしなかった。

 

 なんでもない普段着の路線バスで国際空港に乗り付けるのウケるからみんなやろうね。

前4両切り離し

 横須賀線で逗子より向こうへ行くと、時々前4両をを切り離す列車がある。逗子より先ではプラットホームが11両分しかないからだ。たかだか4両を切り離したところで列車という存在の本質には影響しないが、当の列車に意思が存在したならば、その半身とも等しい増結編成を逗子駅に置いていくことに対して少々の不安を抱いたりもしそうだ。今日はそんな、切り離しの不安について記事にしてみたく思う。

 事の発端は深夜のタイムラインである。結婚とは、突き詰めていくと、経済的な安定と、セックスの安定供給とを交換するものである、という過激な意見に対して、15卒の皆様方が概ね同意されていた。かくいう私も15卒でね。中央帝都から追放されちゃあ居るが、県北でひたすら上司と漫才をしている。

 そこで争点となるのが、「属人的な魅力とはなんぞ」というやつだ。仕事?経済力?どちらも捨てるのは簡単なものである。

 

 しかしながら、「機動六課の高町さん」のように、簡単に代われるものでない場合などは、仕事と高町さんを簡単に単離することはできず、セットで魅力ある存在として成り立つわけである。したがって、属人的な仕事を抱えまくっていれば仕事で自分の魅力を高めていることになる……?しかしこれはワークシェアリングの流れに逆らうからよろしくない。属人的な仕事を抱えまくって交通事故死したらあなたの職場は爆発するだろう。

 では経済力は本人から単離可能であろうか。確かに、日本銀行券に記名欄は存在しない。したがって一万円札を「ご自由にお取りください」と設置すればたちまちなくなるだろう。しかしそれは限定的な条件であり、この平和な日本であれば、あなたの財布のお金を使う意思は、あなた自身にしか存在しないわけである。だから、あなたの経済力というのは、あなたの承諾なしに使用することができない。ゆえに、経済力を個人から単離して議論することはできない。

 したがって、仕事と経済力を、人間から切り離し可能な、「属人的な魅力」ではない、と唾棄するのはちと極論すぎるのではないか、というのが笹松総研の見解だ。ただ、これら2つは手放すのが簡単である*1から、よく「仕事をしてる俺としてない俺、どっちが好き?」や、「仕事と私どっちが大事なのよ!」という表現が生まれる。

 

 ひとまず、仕事も経済力も簡単に切り離せるけれど、それは捨てるという一方通行であって、突然他人に付け替えることはできない「属人的な価値」である、という一面も分かっていただけたと思うので一段落。とか言っておいて真逆の話をする。べつに明日あんたが死んだって誰かが穴を埋めるだけなのだから気を負わずに生きるがよろしい。っていう話は『椿山課長の7日間』で読みましょう。


 じゃあ、じゃあじゃあおまんこは単離可能な魅力なのか、属人的な魅力なのかというと、ちーとも議論するに及ばず、おまんこの切り離しができたらそりゃあ面白いねえ天然オナホールかよ笑わせんなという話である。逆にちんこは魅力じゃないってんなら簡単に切り落とせそうな形状をしているのが笑えないところだ。とはいえ、セックスレス夫婦で「妻が」悩んでいるというケースも多々あるからちんこにも魅力はあるのだろう。もはや愛だよね。

 

 カネとセックスを取り去ったあとで残ったものはなんだろうか。社会的役割?世間体?義理?人情?無償の愛ってなに?完全無欠の人間が複数個体で衝突と調整を繰り返しながら生きることに意味はあるのか?

 

 目に見えて分かりやすいからおカネの話をしよう。おカネというのは「もの」を持っていない人間が、持っている人間に渡して「もの」をモノにするのに使う。ここに存在するのは「もの」の不均衡である。別に誰もおカネが使いたくて使っているのではなく、不均衡を解消するのに一番手っ取り早いのがおカネであるからしぶしぶ使うのだ。

 だから、局所的におカネ以外で不均衡を解消できる手段があったらば、その手段で解決しても良いだろう。たとえば扶養であったり、たとえば子供を産んでもらうであったり、たとえばセックスであったりする。単にその場でおカネが用いられなかったに過ぎない「不均衡の解消」だけがそこには存在する。

 

 だからこそ、代わりの効かない「属人的な魅力」とやらは麻薬のようなものであろう。なにせ、「あなたでなければいけない」のだから。

 

 やめられないとまらない。




(この記事は日本航空234便の機内にて、機内モードで執筆した)

*1:辞表を出して、預金を全額寄付しちゃうとか。

一緒に燃やされる

 世の中には2種類の人間がいる。運の良い人間とそうでない人間だ。時に前者は要らぬ嫉妬を買ったりする。嫉妬って買うので合ってたっけ。将棋は打つんじゃなくて指すんだぞ。

 

 京阪電車光善寺という駅近くに実家がある人物がいる。仮にQ氏としよう。Q氏がたまたま帰省中に京阪電車の臨時特急「洛楽」が運転されていた。ところがその日はたまたまトラブルでダイヤが乱れてしまった。京阪の洛楽は京都観光のために設定されているリゾートな感じの列車である。車両は進行方向を向いて座れる、いわゆる転換クロスシートなのだが、ダイヤが乱れて、窓に背を向けて座る、いわゆるロングシートの通勤電車が代走することとなった。これを受けて「そんなん洛楽じゃなくて没落じゃねぇか」という声も聞こえた。Q氏は見事にこの代走洛楽(没落、没楽?)を写真に収めた。それに嫉妬した在東京京阪ファンから生まれた声が有名な「光善寺燃やす」である*1。別に犯罪予告ではなく、「光善寺(近くにあるQ氏を)燃やす」なのであるがQ氏燃やすより光善寺燃やすと言ったほうがオテァク特有の「某氏」とかそういうごまかし感が出るし語感も良いのでとりあえず光善寺燃やすと言っておけばそれで事足りるのだ。それ以来Q氏が良い思いをしていると光善寺は燃やされてしまう。別に光善寺が実際に炎上するわけではないのだが、とりあえず燃やす。

 

 こないだ東京に行った時ぐうぜんQ氏に会ったので、そういえば「一緒に燃やされる」って記事タイトルでひとつ書かなきゃいけなかったなぁと思い出した次第。

 

 

 たぶん「生ハメスケべしました」ってつぶやくだけでみんなまとめてよく燃えるからみんな吉原とか熊本で生ハメスケべしような。

*1:これが原因かどうかは知らないけどよく光善寺は燃やされている

なぞのおじさん

 あるとき新宿のHUBでcheese1242さんと飲みましょうという話になったことがある。千葉から黄色い電車にのってえっちらおっちらと稲毛・新検見川・幕張・幕張本郷と各駅に止まりながらの70分。行きも帰りもいい感じに座れるから千葉新宿間は黄色いやつに座りっぱなしてのが快適である。千葉場面なら座れるし、新宿からの東行きも空席が見つかる程度の混雑率でカンペキ。

 

 そうこうしているうちに列車は御茶ノ水を通り千駄ヶ谷を過ぎて新宿へと滑りこむ。今が待てないB型なので集合の40分前にHUBに入って飲み始める。1人で2人用っぽいテーブルに着座してちみちみやってると見知らぬおじさんが寄ってくる。誰だ貴様は。「こんにちは!はじめてだっけ」初めてです。「連絡先いいかな?」別にいいけど。「じゃあまた連絡します!」なんじゃそら。おじさんは立ち去った。

 

 その後にcheese1242が現れたのでじゃぶじゃぶ飲んで中野に移動してまたじゃぶじゃぶ飲んだ。男同士で飲むんだから大したことはない。近況とおたくのトレンディな話をするに過ぎない。ホモではない。

 

 でまあその日はいいとして、だ。後日謎のおじさんから謎合コンの案内が届くようになった。とはいえ貧乏国立大学生の身に5,000円~1万円という参加費は高いってのと、「今回28歳女性看護師!29歳女性保育士!連絡先希望の方紹介料1万円掛かります!」みたいな文面が踊っていて謎のおじさんの職業が女性斡旋業なのではないかという疑惑が消しきれなくて結局行かないのである。1度でも行っておけば、どんなバケモノ女の連絡先を聞くのに1万かかったのかという記事が書けたのにもったいないことだ。

 

 いやほんと、行かずに後悔するより行って反省する事案だったかもわからん。もったいねえ。

 

 

 謎の美人とかだったら悩まず合コン行ってたかもわからんしおじさんは損だ。