新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

資本主義ゲーム

 皆様は「人生ゲーム」をご存知でしょうか。ご自宅になくとも、児童館、友人宅等で遊ぶ機会はあったのではないでしょうか。人生は自らの意思で切り拓ける部分がほんの僅かであって、ルーレットの指す目に翻弄され、自らの選択肢はイエス・ノーの2択でしかない、という痛烈な皮肉のこもったゲームです。子供すらも何人抱えるかは運次第という、たいへん動物的な、本能的な暗喩も含んだビターな遊びだと気づいた頃には既にアラサー、綺麗事だけでは済まされなくなってしまいました。ところが時間は巻き戻りません。さあ、今手元にあるカードを用いて、任意の"奴ら"に、目にものを見せてやりましょう。

 

 とはいえ小泉改革以降の強烈な新自由主義*1の流れで、昨今はより一層資本主義ゲームの様相を呈しているのが皆様もプレイ中のクソゲー、タイトルは「現実」というやつです。強固たる資本主義の路線に乗っかってゲーム内時間2017年1月も残りわずかとなりました。このMMORPGがクソな点はサーバが地球鯖しかないことと、良心のあるGMが不在であることです。GM不在。アダム・スミスは掴みどころのない仮想的なGMとして「見えざる手」を提唱し、概ねそれが受け入れられて今に至ります。

 

 資本主義の良いところはなんでもかんでも値段をつけて論じることが可能な点です。たとえば食費。家計簿をつければ毎月おいくらとトータルでプライスが出ます。たとえば人件費。会社が社員に支払う給与・賞与以外にも、社会保障費の会社持ち部分やら、管理システムやら諸々を考慮して、労働時間で割り、例えばひとり1分間あたり100円、とはじき出して、見積書に記入する設計費用・制作費用等に反映させることができます。カネ。なんでもカネで買えるのか。カネで解決できることばかりではないだろう。おカネで買えない価値がある。……などと言いますが、極端な話をすれば、「同等品で良ければお金で買えないものはないですよ」というのが真実でしょう。子宮ですら買えるのです。某通信企業の御曹司が代理出産がおカネでOKな国*2へ出向き、自らの遺伝子を継ぐ子供が増えることが、世界のためになると信じて、じゃんじゃん代理出産してもらったという事件がありました。

 

 集合という考え方があります。たとえば「缶」という「集合」の中には「アルミ缶」「スチール缶」「塗料缶」「缶詰」「飲料缶」等の「集合」が内包されていると考えられます。当然、「『アルミ缶』かつ『飲料缶』」といったような、2つの集合に属する概念も考えられますね。

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 では、上の集合図において、それぞれ「私のことを愛してくれる女性」と「私の子供を無料で産んでも良いと思ってくれる女性」に置き換えてみましょう。一般的に、その共通部に入った人を探して結婚することになるでしょう。見つかった方、どうぞお幸せに。

 ところが不幸にしてそういう相手が見つからない場合、資本主義社会ですのでお金を積みましょう。給料の手取りから幾ばくかのお小遣いを残して家計に差し出せば子供を産んでやっても差し支えない、という相手が出てきます。資本主義の良いところはお金を積むと解決する事項が多いことです。直接買える買えないではないにも関わらず、お金を出すことには変わりないのですが、「お金で買えない価値」という目に見えない上に定量化できないものが付帯しているようです。金は天下の回り物と言いますから、どこかで姿を変えていても不思議ではありません。

 

 もっと不幸にも、どういうわけだか、土地も持ってないし、株券が山ほどあったりもしないし、かと言って親が経営者だったりしないし、庭に油田もないし、信託銀行に純金を預かってもらったりしてません、ちなみに低所得者です、という我々はどうすれば良いのでしょうか。人間性を綺麗にしましょうか。……無駄に思えますね。お金を稼ぐDV男のほうが人間性が綺麗な低所得者より子宮を使う権利に恵まれています。この世はいま資本主義なのです。

 

 

 

 結婚という制度は「安定」と語られることが多いですが、どうでしょうか。男はひとり、女もひとり。もっと言えば、お互いに精巣と卵巣は2個ありますが、陰茎は1本ですし、子宮もひとつしかありません。なんと冗長性に欠けることでしょう。驚くことに心臓や腎臓すらひとりひとつです。なんとまあ不安定なことか。予備の心臓が欲しくて欲しくて普段で夜も眠れません。パーツ取りのために自分のクローンを試験管で培養する需要絶対にあると思います。収入だってせいぜい2人が働くか1人が働くかです。結婚して相手が寿退社した瞬間に片肺運転。なんという不安定さ。一夫多妻のほうがまだ冗長性が高い。男が死のうが女性複数いれば子育て担当と貨幣調達担当で生活できますから。あれ、ひょっとして男なんて要らない*3のでは……。

 

 読者諸賢ならこの不安定さをカバーするしくみとしての「生命保険」に早晩たどり着くのは容易でしょう。とはいえ生命保険会社としても死にやすそうな人から保険を引き受けていると、設定6のパチンコ台みたいにじゃぶじゃぶ出玉を放出することになりかねませんから、死ににくい人しか生命保険に入れないようです。なんじゃそりゃ。人生の先輩方からは「悪いことは言わないから生命保険は早いうちに入れ」と言われます。なんでも、通院しなければいけないような病気の診断が下ってしまうと生命保険の免責事由になってしまうそうで、こんな人間性のかけらもない文章を垂れ流しつつも健康で居るうちに命に掛け金を放り込んでいくスタイルがオススメとのことです。

 

 住宅ローンと生命保険が"セット販売"という話を聞くと、"持たざる者"が賭けられるのは命しかないのかと暗澹たる気分で目からハイライトが失われるようです。

 

 気がつけば、絶望だけして、資本主義ゲーム「現実」への呪詛を吐いていたら1月が終了してしまいました。あと11回こうやって絶望してたら年が明けるとわかり大変戦慄しています。

 

 トリプルおまんこサンドイッチ(無料)ください。

*1:偏見である

*2:ほんとはダメだけど罰則は医療関係者だけなザル法しかないらしくてガバガバですってよ

*3:同級生のガチレズ過激派にだいぶ毒されてしまった