泣く子と地頭
今日もありがとうお題箱。今日は泣く子と地頭らしい。泣いてもてめえ様の地頭はよくならないんだから泣きなさるな。とはいえ、たいてい泣いたらどうにかなってしまうのも世の理。東京みたいにカワリモノが多いところであろうと、成人した人間がさめざめ泣いていると目立ちますから、「泣かれている」側としては可及的速やかに自体の収拾を図ります。「みてみてやだあ女の子泣かせてる」みたいな指のさされ方をしてなお「泣いてもどうしようもないでしょ」などと疲れてシワの増えた親が3歳時に言うようなセリフが言えるほど鋼の心を持った人間はなかなか居ませんから、成人のいい年こいたあなた様が天下のパブリック往来で泣いてみるのは優秀なカードでしょう。
とはいえ、上記のように持てる手札のカードとして冷静に泣いてみせる人間は少数派でありますから、大抵の場合泣いている人間はパニックパニックであります。何を提案しても泣くばかりで入力を受け付けません。キーボードを接続してCtrl+Alt+Delとかやりたくなりますが、USBポートもないようです。困りました。静かにするだけなら包丁なり鈍器なりそういうソリューションもありなのですが、刑法犯になってしまいますから、せいぜいが「泣きつかれるのを待って要求を呑む」ことになるでしょう。時間に余裕がなければ「睡眠導入剤を口移しして静かになったところを抱きかかえて持ち帰る」という手段も考慮に入れるべきですが、薬事法とか良識とかビジュアルとかが良くない上に、睡眠導入剤自体が処方薬なのでそうそう手持ちにないという最大の問題点がありますね。薬局で売ってる睡眠導入補助剤みたいなやつは風邪薬の眠くなる成分だけをたっぷり含んでいて、寝ようとしなけりゃ効きゃしねえし口は乾くしろくなことはない。
真偽は分からないのですが、赤子の夜泣きは放置すれば治るそうです。つまるところ構ってほしくて泣くわけですね。日本のヘボ住宅事情が泣きわめく赤子を放置すると上階下階隣室から苦情が来るというどうしようもない問題を抱えているためにこの集団を取れずに疲弊している人々も多そうですが、成人が泣いている場合も構ってほしくて泣いていると判断すれば、「教育」という方針からすれば放置するのが正しそうです。ただし、この場合も放置して安全な場合に限られるというのが難しいところでして、仮に泣いているのがあなたの恋人で、すごい美人だった場合、放置されてもなお泣いているところを別の男にお持ち帰られて寝取られる危険があります。なんということでしょう。地獄か。
……と、ここまで書いてちょいちょいと検索をかけるわけです。「泣く子と」で検索するとトップにヒットしたのが「泣く子と地頭には勝てぬ」という故事ことわざ辞典でした。なんと。ことわざであったか。そして「地頭(ジアタマ)」ではなく「地頭(ジトウ)」で権力者の意であった。今日から一つ賢くなった。泣く子と権力者には道理すら通用せぬのでお手上げであるという意味合いなのだ。なんてこったい。上で数段落も使って自らの不勉強を晒す墓標を建てているようなものではないか。穴掘ってノリノリで地下に潜っていくシーンがこの後に控えている。地下組織に入団だ。
権力者、とは「持っている者」のことであり、大義的に平民とかヒラとか言われる我々権力者に従う者共は「持たざる者」である。我々は子宮を持たざるものであるから子宮持ちに従うしかないのだ。年収600万円、家事育児の協力、同居拒否、残業と飲み会の制限、ハハー平に平に。ツラが悪い、へえ申し訳ございませぬ。エロ本を買うな、見るな、隠し持つな、ははあ仰せのままに。性欲をすべてぶつけるな、ある程度は自己処理をしろ、いつも申し訳ございませぬ。持たざる者は持っている者に従うばかりでございます。とはいえ我々持たざる者もお付きする権力者を選ぶ権利は持ち合わせてございますし、あるいは権力者の"力"を必要ありませんとお断りする選択肢もございますから、あまり遜ってみすみす条件の悪い権力者に付く必要もなさそうです。それに、相手の方も自分の持っている「何かしら」、これを必要としている可能性が高いですから、そこは要交渉ということになるでしょう。その「何かしら」が、万物ありとあらゆるモノコトと容易に交換の効く学問ススメてそうなおっちゃんの肖像入り和紙という場合も多いですが、無能でもお金があれば苦労なく生きていけるのと、人は元来働きたくないイキモノであるというのを考えればさもありなん。
よく「誰のお陰で生活できているんだ/メシが食えるのだ」というセリフがあります。自分が働き始めた頃は「現金を稼ぐことが家族というコミュニティ内で一番凄いことであり他の家族を支配できるのだ、なんて酷いことは言わないぞ」と思うのです。思うのですが。ところがどっこい、仕事で苦労して日銭を稼いで、なけなしの日銭を差し出すことに強烈な抵抗を覚えるようになると、自分で支払いをしても後々から「これは無駄だった」「あれはもっと安く買えた」「時給換算すると○○円だから今日の晩飯は残業○時間分か……そうか……」と落ち込むことが増えますから、ドラマ等でよく見る「俺の稼ぎで云々」というようなことも、言わずには言われないのだろうなあと暗澹たる気持ちになってまいります。この状態はもはやお金の奴隷、ひいては労働で疲弊した状態と言えるでしょう。所変われば立場も変わる。同一労働同一賃金とは言うものの、私とあなたが同一労働をして同一賃金を貰っても体感苦労が同じとは限らないのです。個人差がありますからたとえ同じような労働をしていても安易に相手の苦労が"分かる"などと申さぬことです。日付が回るまで残業しようと翌朝ピンピンして出社する人、3時間残業したら翌日半休取る人、居るでしょう?会社ですら個人差をありありと見つけることができるのだから、況や家族をや。賃金はあくまで労働の成果に降ってくるものであって苦労に降ってくるものではない。分かってはいるのだけれど、ついつい口が出る。
ではこの、「受けたストレスの感じ方には個人差があります」問題を解決するにはどうすればよいか。社会学者ではないので間違っているかもしれないけれど、ベーシックインカムが適切なように思います。生きてるだけで最低限度のお金が降ってくる。その上で、プラスアルファ分を仕事する。当然、「最低限度のお金」という指標に対してもまたもや個人差があり、毎月のハブラシの本数から消費カロリーから何から何まで違うわけですから一筋縄ではいかないので、結局のところ行き場のないストレスというのは生まれてしまうのでしょう。とは言え、労働で苦労しないと文化的な生活が送れないというストレスは削減できるのではなかろうか。問題は財源やら働かなくなる人間やら、経済というのは生産がなされないと回らないのですよという根本的なところをマルっと無視しているところですが、そこらへんは偉い人(雑)になんとかしてもらいましょう。
結局のところ、現代の問題点としては、おカネの持つパワーが強すぎるという点に収束するのが悲しいところ。滅びろデフレ。マネー・イズ・権力と言っても過言ではない。お金があればなんでもできる、逆にお金がないと……。悲惨ですね、貧困家庭特集のテレビ番組も増えてきました。「お金がないので○○できない」よく、聞かれるフレーズですね。借金こさえたら利子すら強い。だから我々一般庶民が銀行に預けても強い利子はつけてくれないことになっている。わあすごい。お金は使わずに持っているのが一番強い。なんてこったい。スマホは買った瞬間から値段がどんどん下がるけど貯金の価値は目減りしないでしょう。おもちゃ買うよりお金持ってる方が強いんだから仕方ない。今日、5万円でソープランドへ行けば有料膣コキできるし、同じ5万円を持って寿司屋に行けば寿司が食える。でも使ってしまうと明日は何もできないのだ。すごーい。あたりまえ体操。お金は、つかうと、なくなる。なくなると、権利を行使できない。つまり貴殿は権力を失うのだ。ワッハッハ。地獄か。
貨幣経済崩壊しろ、どうぶつ子作りセックス本位制になれ。