新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

トランプ

 アメリカの大統領選のお話をしようという気は毛頭ありませんのでカードの方のトランプの話でもしようと思います。一体いつ頃の発祥物かはわかりませんが、13×4の52枚にジョーカー2枚を加えた全54枚で人類は多種多様な遊びを考案しました。ブラックジャック・ポーカー・ババ抜き・神経衰弱・大富豪(大貧民)・インディアンポーカー……などなど。「トランプウノ」なる、UNOがないときの代用ゲームもありますね。人類の想像力というのはどうやらトランプという54枚の世界に制限されていてもその範囲内で大変豊かに発展するようです。

 

 人類の想像力というのは、時として神をも超越します。これが宗教です。神という実際には存在しないものを規定し、架空の存在を祭り上げ、規範とともに行事を執り行う。存在の新しいものは新興宗教と呼ばれ、ときに排斥される傾向にありますが、いずれも"教祖"と呼ばれる人物はある程度のカリスマ性が求められます。なぜならば神を超越せねばならないからです。いえ、神を超越した存在として振る舞えるなら役者でもいいのですが、他人に神の存在を信じさせるためにはまず自分が信じていないと、真に迫る振る舞いは出来ないでしょう。そう考えるとドラマの脚本や台本を書く人々も教祖と同レベルのカリスマ性が求められるのかもしれません。世間様一般の言うところの「クリエイティブな仕事」というやつは、どうやら「いかなる方法かでたくさんの人の心を引きつける能力が求められる仕事」と言い換えてもよさそうです。

 

 皆様お手持ちの想像力でも簡単に神を超越することが可能です。日々の妄想など神が呆れ返ることでしょう。たとえば朝起きたら美人がちんちんをしゃぶってくれないだろうかとか、たとえば朝起きたら美人が全裸で腰に跨っていないだろうか、とか、蓋然性としては西から日が昇るより高そうなレベルではあるものの、あり得ないケースを想定して変化のない日々を乗り越えては居ないでしょうか。私はどちらかと言うとあまり大きな変化を好まず、ただただ平穏に毎日が過ぎていけば良いなあと考えてしまいがちなのですが、それでも美人が自分好みの寒色系、青や緑のひらひらした勝負下着を着て目の前に現れないだろうかと考えますし、そのためならば平穏な日々と少しばかり乖離しても承服するべきリスクかなあとも思います。

 

 とはいえ、まるで自分の想像したとおりの人物がまるで自分の都合のいいように現れた場合は統合失調症かなにかで架空の人物との記憶を自ら作り上げている可能性もありますから、めでたく自分の想像したとおりな美人と毎日中出しセックスするようになれたらまずは信頼できる病んでない友人知人に美人を紹介することをおすすめします。たとえあなたが完璧を自負する人間であっても、脳みそのエラー訂正機能が死んでいる場合には可及的速やかに然るべき医療機関へブチ込まれるべきです。「私の彼女を紹介します」とか言ってみて相手が「えっ居ねえじゃん」みたいな反応をしたら「あっやべえな頭の病院行かなあかんわ」と思うべきですし、「えっそいつは俺のオンナなんだが」みたいな反応をされたら弁護士事務所の扉を叩くべきです。後者だったらついでに性病の疑惑も湧いてくるから泌尿器科にもかかったほうが良いでしょう。

 

 とまあここまで書いては見たものの、統合失調症かなにかで架空の美人を作り出して毎日認知の上では中出し生セックス三昧という暮らしも悪くないのではないかと思い始めました。なにせ、脳内に存在する大変都合の良い中出しセックスし放題の美人概念は隔離病棟にも持ち込めますから、大変ローコストで性的に満たされた暮らしができそうです。……なんか結論が危ない方向に向いてまいりましたのでここいらでやめておきましょう。

 

 写真で観て楽しむならスクール水着は美しいですけれども実際に抱き合ったりするなら素肌面積の多いビキニのほうが気持ちいいと思います。

さくら

 かつては私も華の新社会人であった時期が1週間ほどあり、大阪市営地下鉄で通勤していた。地下鉄車内で4月上旬に放送されるのが「造幣局桜の通り抜け」の案内だ。天満橋大阪天満宮大阪城北詰あたりの駅から歩くのがメジャーな到達方法であろうか。

独立行政法人 造幣局 : 桜の通り抜け(大阪)

 たまたま今日はブラタモリが大阪・天王寺から大阪城のあたりを歩くという内容だったので思い出した。なんでも、大阪城から西に広がる城下町は通りの両側が同じ町になるよう区分けされているというものであった。確かに道修町など、あのあたりは通りを挟んで同じ町の名前になっている。町の境目は建物の裏口どうしが合わさるようになっており、当時からそこに下水道が流れていた由。時代や指向が異なるものの、システマチックな都市づくりというのは大阪もどこかローマに通じるところがあるだろう。通天閣のあたりが北半分だけパリの凱旋門周辺のような区割りになっているのも合わせ、一風変わった大阪見物としてぜひ歩いていただきたい。

 

 大阪といえば長らく通った南は日本橋・電気街が庭みたいなところである。共立電子・デジット・トーカイ等の電子部品を扱うショップ、怪しげなジャンク電子機器を破格で販売する露店のような店、なん店舗あるのかソフマップ、今はなきニノミヤ……。「西の秋葉原」と呼ばれることもあれど、なんとなく街の雰囲気というのは秋葉原とも大須とも違う感じがする。個人的には堺筋の歩道に屋根がついているのがありがたい。当時使っていたノートパソコンのメモリを増設しようと「ノート用のEDO RAMはあるか」と尋ねると「一番南のソフマップにある」と調べてくれたなんばのソフマップとかたいへん思い出深い店の集まりである。

 

 大阪といえば淀川である。大阪の街を訪れるためにはどうにかして北から淀川を渡る必要がある。淀川は生態系が豊かなワンドと呼ばれる淀みがあり、天然記念物のイタセンパラ等、大変貴重な生物の宝庫となっていることも特筆したい。水の都として発展を遂げた大阪は生態系も豊かなのだ。

 

 あとはまあ飛田新地とかそういうの好きな向きは行ったらええんちゃう(適当)。青春通りはまあいいとして"妖怪通り"という名前が凄い料亭街もあることですし、何より歩くだけならタダですから。ぜひとも社会科見学の一環として。

 

 というのをブラタモリ観ながら思い出しました。

 

 黒潮ちゃんみたいな関西弁娘とスケベしたい。

電子制御

 昨今の自動車は電子制御とやらが進んでいるらしいという話をどこかで聞いた。電子部品メーカー各社はその電子制御とやらに一枚噛もうとどこも必死であるという。はて、生まれてこの方、カローラとミラとハイゼットとパイザー、それにキューブぐらいしかクルマというものを知らずに生きては来たものの、"電子"とやらが噛んでいそうなのはカーステか、シガーソケットに刺す各種コンソールか、あるいはエンジンの燃焼用コンピュータぐらいしかピンとは来ないのである。どうも、昨今の自動車業界はこぞって電子制御とやらにご執心だそうな。今日はそんな電子制御の話。

 

 久方ぶりに東京へ出て、新宿まで友人にクルマで迎えに来てもらうことにした。混雑するわ道は狭いわの都心部まで迎えに来いとLINE1本でたいへん横暴なことを言ったにも関わらずワーゲンのゴルフに乗って現れるのがたいへんナイスガイな友人である。さて、そんなゴルフに乗って東京を西へドライブするのであるが、ハンドルにたくさんボタンがある。首都高に乗り、渋滞にハマるとなにやらボタンを操作している。なんでも、ポチポチと操作すると車間距離を児童で保ちつつ、車線からはみ出ないように半自動で運転してくれるというのだ。「ほらいまアクセル踏んでない」「すげえ」などと言いつつクルマは進む。渋滞を抜けると今度はオートパイロットを有効にする。すげえ。アクセル=燃料噴射量の調整、というのが頭にあると、そのあたりを肩代わりする電子制御の真髄を見た気がする。

 

 そこで頭だけ前職時代へ戻してみる。前職はどことは言わないしどんなとも言わないが、電子部品メーカーであった。御存知の通り国内家電メーカー・パソコンメーカー・携帯端末メーカー各社は瀕死の状態で、散っていった三洋・シャープの他、部門ごとに撤退していき縮小したメーカーは数知れず。一縷の望みが「自動車の電子制御」であるという。とはいえ、働く人間の脳みそはアップデートされず、「なにやらよくわからん『自動車の電子制御』なるブラックボックスが弊社を儲けさせてくれている」というぼんやりした印象であった。むしろ、某業界最大手T社の求める過剰なまでの品質管理に嫌気が差し、もう自動車関係の仕事はしたくないという空気すら現場には漂っていた。そらそうだ。なにせ、それまで私の頭には「自動車というのはゴーカートに車体が乗っていてシガーソケットがついている」程度の認識であり、前述の最新式ワーゲン・ゴルフのようにポチポチっとするだけで車間距離を保ったりオートパイロットしたりしてくれる快適便利機能、ひいてはそのまま自動運転化まで地続きであるような技術のことを『自動車の電子制御』であるとは認識できなかったわけだ。電子制御とはクラシックなクルマにも載っているであろうエンジン燃焼用コンピュータを想像するのが関の山だ。

 

 なぜこのような貧困な認識になってしまったのだろうか。簡単である。そんなに電子制御てんこ盛りのクルマをローン組んでまで買えるほどの稼ぎがなかったからである。毎月の手取りで毎月東京へ出て(諸般の事情)やら趣味活動やらをして仕事をし、会社で倒れないようにまともなものを食べると手元にお金が残らないのだ。電子制御てんこ盛りの新車を買うどころか軽自動車の維持すら無理で、前職の先輩がタダで軽自動車をくれるという話も断ってしまった。その軽自動車は別の同僚がもらい、あとの同期の皆は親に車を買ってもらって、そのうえ自動車保険まで親の負担であったという。さもありなん。そうでもなければあの給料で一人暮らししたら足が出る。とうぜん、買って貰うとはいっても電子制御てんこ盛りの新車ではなく、ゴーカートに雨風しのげる車体が乗ったタイプの「ふつうのクルマ」ではあったが、こちとらそれすらなく自転車と2時間に1本の汽車で暮らしていたのだから羨ましい限りであった。

 

 とはいえ、会社の屋台骨ともなろうかという『クルマの電子制御』がどのようなものか分からぬままに、過剰な品質を要求されるというのは大変に士気が下がる。辞めてしまった会社にあれこれ言っても届くかどうか怪しいけれど、社員ひとりひとりが主力製品群の使用用途をブラックボックスだと思うか、昨今の自動車価格が上がっているけれどもその分運転がラクになって、しかもゆくゆくは自動運転へと発展していく心臓部で使われる、故に高品質でなくてはならないと認識できるかで、多分に営業活動・製品製造・生産管理への熱意というのは変わってくるように思う。

 

 結局のところワーゲンの新車をローン組んで買えるぐらいの給料を寄越せという要旨をなるべく正当な理由っぽく書き連ねることになってしまった。当然、給与というのは労働者が使途を自由に使うものであるから、パソコンを買おうが、テレビを買おうが、ゲーム機を買おうが、パチ屋でスろうが、風俗で膣内射精するのに使おうが自由ではある。しかしながら、自社の屋台骨を理解するために必要な金額というのがあろうと思われる。結局のところ法人というのは個人の集まりであって、これからの時代は特に家族を抱えているわけでもなく生活残業をしてくれるわけでもなく、個人にどれだけ報いるかが同業間競争の有効な一手となるように思われるので、会社に不満を持たれてはいけないのである。

 

 毎月50万ぐらい手取りがあったら軽率に膣内射精するのになあ(反語)。

脳内担当者

 最近とみに寒くなってまいりまして皆様いかがお過ごしでしょうか。厚着と足元のヒーターでどれだけ持つか頑張ってみたいと思いますが当方寒冷地*1住まいにつきいつか限界が来てしまうものと思われます。

 

 最近ようやく気づいたのですが、世の小説家、とりわけ登場人物の心情描写が細やかで味わい深い作家さんというのは恐ろしい才能をお持ちだと言うことです。普通は自分の心境すら色鮮やかに文章で綴ることすら難しいのに、あろうことか架空の登場人物の心情をすらすらと文字列で鮮やかに成し遂げてしまう。まさに人間離れした才能です。そもそも自分という人間の思考すら理由づけしたり論理的かどうか、合理的に行動しているかどうかなど深く考えたことのない凡才にはなかなか羨ましい限りであります。なんでこんなことに気づいたかというと先日twitterにて次のようなやりとりをしたからであります。

 

 

 詳細は各位リプライチェーンを辿っていただくとして、このやりとりでは当初、鈴谷のぱんつを食べて軽く怒られるシーンを想定していました。でまあそのままなんだかよくわからないままセックスするんだろうなあと考えてリプライを投げたわけであります。

  ところが和泉氏返して曰く「鈴谷はこうだ」というわけです。ここで既に思考の摩擦が生まれている。ところが思考の摩擦というのは一概に不快かというとそうではないわけでむしろ心地よいわけです。私は鈴谷のぱんつを食べて怒られると想定した。ところが和泉氏はもっと食べるか鈴谷が聞いてくると言った。このやりとりはもうセックスと言っても過言ではない。成人男性2人がtwitter上で架空の女を介して事実上のセックス。たいへんに業が深い。

 

 そもそもどこかの図書室かなにかで見たセックスの書物には「摩擦を楽しみましょう」と記されていた。これがどういう意味か。愛液での濡れ方が不十分だと確かに摩擦が生じるがそれは不快感、やもすると痛みを伴うのではないかという恐れすらある。ところが当時小学生の私は「物理的な摩擦」以外のものを想定していなかったのだ。人生経験が浅いから仕様のないことである。

 

 そこで時が15年ほど進んで先日のやりとりである。ハっとした。「摩擦」とは「心が擦り合わされるときの摩擦である」と気づいたからだ。そしてそれは自分自身の中にある「相手」像とのすり合わせで生じる心の擦れ合いなのだと気づいてからは30分くらい愉快になった。だから人は容易にセックスするし心をすり合わせるのだ。なぜって、架空の人格・思考をない頭でウンウン唸って産み出して架空の心をこすり合わせるより目の前の人間との心の摩擦を楽しんだほうが圧倒的にラクで気持ちいいからであろう。

 

 そこで再びベストセラー小説家が凄いというハナシに戻ってくる。奴らはキチガイである。事実上のセックスと言っても過言ではない登場人物どうしの心の擦れ合いを文字列で繊細に描いてしまう変態だ。私にはとてもとても無理であろう。そして、この大原則を知っていればたとえ登場人物が兄妹であろうと「それはもうセックスなのでは」という感じの描写が可能となり「家族愛」だのなんだのと広告屋が陳腐な広告をつけるまでもなくベストセラーとなりうる。心のセックス、本質的な心の摩擦を楽しむ素養が備わっている大多数の人間にとっては描かれた心の摩擦であっても快感であるから売れるのだ。

 

 誤解のないように弁明しておくと和泉氏ほか変態成人男性ズとは握手程度はするもののそれ以上の性的な接触を持とうとは思わないと付け加えておく。でも、この場合は"鈴谷"であったが、共通の架空キャラクタを媒体に事実上のセックスと言っても過言ではないやりとりをすることは可能であるし、このままエロ同人のプロットとして出荷しても悪くはない。

 

 今度彼にあったら夕雲型駆逐艦のぱんつの色の議論でもしようと思う。

*1:赤道と比べたら日本って寒冷地だよね

J-POP

 しばらくブログの更新する気力が留守であった。寝耳にケルヒャーで高圧洗浄された際に脳みそが少々どこかへ飛び出てしまったようだ。ブログがお留守になっている間に高速バスで東京へ行ったり栃木の中華料理屋でデカ盛りを食ったり友人宅に泊まって日本酒をじゃぶじゃぶやったり人生の不遇さを説いたりツタヤでリーガル・ハイを全巻借りてシーズン2のスペシャルまで全部観たりした。人生に不要な物事はひとつとして存在しない、というのが最近得た貴重な知見である。このあたりは文字で語るより堺雅人風の顔芸を交えてお聞きいただきたいのでブログでは書かないこととし、今日のネタはJ-POPとしてみようと思う。

 

 J-POPとは。"とは"と言うほどの語りをするような能書きを垂れるつもりはなく、単に今日の日本人歌手が歌う歌のことであろう。とりわけ"懐メロ"と区分されるものが好みであるが、何度となく聴くと自然にプレイリストへ放り込む傾向にある。従って持ち歩く携帯電話とカーステに刺さっているUSBメモリのプレイリスト名は「ごった煮」「Yuming my best」のおおむね2つがメインである。

 

 「ごった煮」とはそのままである。90'sアニソンやら80'sJ-POPやらが雑多に入っている。

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 208曲の一番上と一番下(最新)をお見せすることにした。KOTOKOCooRieClariSあたりが居たかと思えばMy Little LoverやらSPEEDやらが居るし、最後の方は懐メロのデレマスカバーで埋まっている。つまるところ節操が無いのだ。リーガル・ハイ1stシーズンのOPがちょこっと入っていたりとか、グリザイアの果実のOPが入ってくるとか、追加した当時に耳に焼き付いたサウンドを手当たり次第にTSUTAYAで借りたり、ダルければiTunes Music Storeでポチったりして追加する。

 

 Yuming my bestのほうはベスト盤「日本の恋と、ユーミンと。」の内容がほぼそのまま、それにベスト盤に入っていない一部楽曲が個人的に追加してあるだけである。

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 主に家の車で掛かってたアルバムから思い出深いナンバーが並ぶ。

 

 つまるところ結局複数回聴いて耳に馴染んだらCD借りるわけでどんなアーティストもCMソングになるかドラマかアニメの主題歌にしてもらったら強いよねっていう身も蓋もないおはなしなのでした。

 

 だったら更新サボってないで毎日なにかしら文章を書けというハナシでもあってたいへんお耳が痛い。

魔の季節

 平均的北半球の東経135度と申し上げても差し支えのない感じである国のどこかにある当地もいよいよ寒くなってまいりました。こうなると味方が敵となります。何の話でしょうか。お布団です。やつは冷たい空気から我々の身を守るとともに、毎朝なんとか我々を出勤させまい、登校させまいと必死です。夜迎え入れるときのエビス顔、寒い朝のエンマ顔、なんということでしょう。まるでサラ金です。貸すときはニコニコ、返すときは耳揃えて返さんかいとまあお行儀の悪いこと悪いこと。

 

 そんな魔のお布団ですがとあるものと共通している部分があります。それは、特別な手段を使わない限り暖かさはかつて自分の体温だったもの、ということです。では、その、"あるもの"とはなんでしょうか。おわかりですね、オナホールです。シリコン製で女性器の膣口から子宮口までを模したちくわ状のアレです。あれだって最初は室温に冷えたローションを流し込んでペニスに冷たい思いをさせるものの、自らの体温で温まってきてだんだん気持ちよくなってくるのです。つまるところ布団は巨大オナホールと言っても差し支えない。しかも昨今の政治的に正しい感じに男女分け隔てなく気持ちよくしやがる。お布団は巨大オナホ、これが今日からの最新の学説です。

 

 では、最初っから暖かくなる特別な手段とはなんでしょうか。お布団のほうは簡単ですね。電気毛布や電気アンカを使えばよろしい。オナホールのほうも専用の棒状ヒーターや古典的に湯煎という方法もあるにはありますが、ローションがほとんど水であることを利用して、家庭にたいていある水分子を効率的に加熱するマグネトロンを使うとたいへんラクです。つまりオナホにローションを注いで電子レンジで数秒チンすれば良いのです。このとき、電子レンジというのは水分子を効率的に揺さぶる2.4GHz帯を使いますので、オナホ本体のシリコン部分はまったく暖まらないことを留意しましょう。つまり、注いだローションしか加熱されないのです。量にして数十 mL、重さにしても数十 gとなりますから、500 Wでめいっぱい加熱すると数秒で沸騰します。したがって、電子レンジからオナホールを取り出し、外は全然熱くなっていないからと、いきなりペニスを挿入すると亀頭が真っ赤に火傷をするということになりかねませんから、ペニスよりは皮の厚い手の指でもって適温かどうかを確かめましょう。お風呂の湯船ぐらいが適切と思われますがそのあたりはお好みでしょう。

 

 とはいえ文明では人肌に抗えませんからやっぱり生膣がナンバーワン。

逆・裏・対偶

 きょうは軽めの数学を。

 

 とは言え真面目にやる必要はまったくないわけだから適当にやりましょう。

 

 一般的に「AならばB」が成り立つ時、その対偶である「Bの否定 ならば Aの否定」は成り立つが、「Aの否定 ならば Bの否定」という命題は成り立たない。

 

 したがって

i)「頭がおかしい」ならば「結婚できない」が真であると仮定すれば、

 i)の対偶である

ii)「結婚できない」の否定 ならば 「頭がおかしい」の否定、つまり

「結婚できている」ならば「頭がおかしくない」は真であるが

 i)の裏である

iii)「頭がおかしい」の否定 ならば 「結婚できない」の否定、つまり

「頭がおかしくない」 ならば 「結婚できている」は真とは言い切れない(真かもしれない)。

 ではiii)の対偶を取ると

iv)「結婚できていない」 ならば 「頭がおかしい」、これが成り立てばiii)は真であるから、結婚していないけど頭がマトモな人間を探してくればiii)が成り立つ。

 

※こういうアホなことを真に受けないように

※意外と夫婦や家族って何処かが歪んで成り立っているものですから

※結婚に必要なのは数学じゃなくて算数だと思う