新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

水原涼『甘露』のネタバレを含みます

 一日開けてまたご本読んで感想かよこの猿ゥ!手前で何か生産しやがれこの猿ゥ!……というご批判もあろうかと思われますが、ご本読んで感想垂れてる時期があってもいいではありませんか。というわけで今日は水原涼の「甘露」を読んでみることと致しましょう。と言ってもこの作品、単行本に収録されておらず、雑誌「文學界」2011年6月号に掲載されています。なのでお取りよせることにしました。なんでも、作品を書いたら親には勘当され、恋人は去ったという大変業の深い作品でございますから、覚悟してかかりたいと思いまする。


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以外ネタバレ含み。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 発表時点で、テーマが近親相姦、したがって親には勘当され恋人は去り、あげく作者本人は大学で留年が確定しているという業の塊みたいな紹介をされており、いつか読みたいと思っているうちに5年以上が経過していました。

 

 主人公は北海道大学に通う鳥取出身の男子大学生で……これ作者まんまじゃないですか。盆を外して帰省したところ、ボケたおばあちゃんと両親と、心の具合を悪くして実家に戻ってきている上の姉と、の「よくある田舎の」光景から始まります。遅く起きても朝ごはんが用意されているのが田舎のおうちらしく、伸び切った素麺など、目に浮かぶようです。

 

 姉は鬱病と思われてはいますが、本人は統合失調症であり、鳥取の日赤病院で診察を受け、薬を処方されているようです。母親と、「生理が2か月来ていない、東京の病院にかかっていた頃はこんなことなかった」などと話をします。

 

 主人公が寝泊まりする離れは穴開きふすまを挟んで飼い猫の部屋があり、猫タワーなどが置かれ、猫の体臭が漂ってくるようです。ところが、深夜にトイレへ起きた父親と、合わせて起きてきた姉が飼い猫の部屋へ入り、なんとセックスし始めるのです。なんという。にわかには信じがたい光景でしょう。

 

 とはいえ、生理が2ヶ月来ていない、というやりとりを考えると、統合失調症の症状のせいでセックスしている際の記憶が飛んでいるか、別人格のようなものに格納されているか、どちらにせよ姉はマトモではなく、父もまた、どこか狂気に染まっていることが伺えます。

 

 かつて実家でなんとはなく観ていた昼ドラで、父親が娘に手を出すシーンがあり、更にそれを母親が目撃したシーンを私と母で観ていて「わあ修羅場だあ」と申し上げたところ、母が淡々と「連れ子やねん」と返し、「実の娘かと思うた」「それは鬼畜やがな」と言われました。笹松母としては、近親相姦は鬼畜の集合に含まれるようです。

 

 そして、主人公がどう考えたのか分かりませんが、農作業用の鎌やら、狂気になりそうなものと、姉の薬の個包装などを集め始めます。きっと、先程の会話から既に姉は父の子を身籠っており、そのような狂気が明るみになってはならないと、ふすまを隔てて近親相姦する所で2人を殺害しようとしたのでしょう。姉の薬の個包装をゴミ箱から拾い集め、あたかも自分がオーバードーズして狂っての凶行に見せかけるために。

 

 ところが北海道へ帰る日まで、ふすま越しの近親相姦は行われず、やんごとなく、世は事もなく、That's all things.ということで北海道に帰ることになってしまったので、凶器をもとの場所に戻し、主人公は「何も知らない」という体裁で北海道へ帰るのでした。

 

 2度目の近親相姦シーンがフェラチオ口内射精からの生挿入膣外射精ということからも、姉の妊娠が伺えます。当然、これは主人公の視点で読み進める私の解釈ですから、作者氏が現れて違うといえば違うのでしょう。しかし私はこう解釈したのです。

 

  肝心の芥川賞選考では「書き手の意図が不純」とか「純文学というものを履き違えている」などと大変酷評を受けてはしまったものの、私のようなヘボからすれば、そのおぞましい光景が目に浮かぶような描写でした。

 

 しかしながら、鳥取出身で北海道大学在学(当時)というまるで作者本人のような主人公とその家族を描写しておいて、姉をメンヘラにしてあまつさえ父親に抱かせるという鬼畜な物語を書いてしまうとそりゃあ恋人に逃げられて実家に勘当されても仕方あるめえなあ……と思ってしまうのでした。

 

 別に血がつながってなくていいから架空の姉役をだれかにやってもらって近親相姦ごっこしたい。