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新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

鎖骨

日記

 今日は鎖骨でお送りします。お題の提供はこちらから。鎖骨というと田舎でいじめられたとき最初に折れる骨という個人的な印象がありますが、どうも鎖骨があるおかげでできるくぼみのことを指すことが多いように思います。くぼんでいるということはトポロジー的に女性器と同値であり、したがって「えくぼ」「へそ」と同じく女性性のシンボルとして扱われ、肉付きがいいせいでくぼみが存在しないことへのコンプレックス等も見受けられます。かくいう私も鎖骨が綺麗にムダ肉で埋まっておりまして、他人の事をとやかく言えるものではないのですが、人間は足りないものを相手に求めることで相互に補完する高度な生物ですので美しい女体を追い求めて行きたいと思います。競争がないと良いプロダクトが供給されないのは旧共産圏諸国を見れば火を見るよりも明らか。一定レベルに達しないプロダクトは消費者からNO!一定レベルに達しない労働者は経営者からNO!一定レベルに達しない男は女からNO!……なんか辛くなってきた。それらの足切りからあぶれた何者にもなれなかったものどもを救うのが行政であり福祉であり医療であり……。適切な再分配が機能していないからこそこの世はつらさで溢れているのです。

 

 閑話休題。鎖骨の話であった。正常位で生セックスをしてそのまま射精ギリギリで引き抜いた際に女性の美しい体に精液がトッピングされてしまうのは万有引力の法則に従えば仕方のないことであり、したがって射出された精液は重力を受けて局所最適解であるヘソや鎖骨のくぼみに溜まるか、あるいは脇腹を滑り落ちてシーツのシミになるわけでありますが、この「くぼみに溜まった精液」というのが大変フェティシズムを刺激するのです。だからこそ鎖骨のくぼみが駄肉で埋まっていると自らの性的魅力の一部分を欠いているかのような錯覚に陥るわけです。本質的なところ、精子を受け取って受精着床して出産できれば最低ラインはクリアなわけで、おっぱいも授乳できればOK……というのは旧共産圏の論理ですから、我々西側諸国の21世紀を生きる人間としてもっと高い水準を求めて日々生きてまいりましょう。

 

 

 女体盛りとくぼみに溜まった精液って本質的に同じだよね。