新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

ブルマの話

 

 はて、私とブルマのお話はブログでしただろうかと、過去記事の本文を検索してもおおよそ体系のある話はしておらず、twitter上で断片的な話をすることに終始していたに過ぎないことが分かった。

 改めて言うまでもなく、ブルマは好きである。正直に申し上げるとブルマよりは体操服のシャツ、それも特に汗を染み込んだものが好物であるが、とはいえ上半身だけ体操服というのは画竜点睛を欠く。シャツからブルマ、あるいはハーフパンツ、スパッツまでのトータルデザインとしての体操服が好きなのである。

 さらに言えば中身たる美少女の肉体、これがないのに体操服単体が転がっていたところでただの布である。しかし、ブルマが欲しい、いつか彼女ができたら土下座してでも着てもらいたい、などと普段から言っておくと、どういう風の吹き回しか、新品ブルマを買って送ってくれる人が出てくる。

sasamatsu.hatenablog.jp

 

 というのはさておき、私とブルマの出会いは遠く2000年頃まで遡る。21世紀を間近に控えたとある東京の小学校で、入学時に5年生と6年生のお姉さんたちがまだかろうじて着ていた体操服がブルマだったのだ。すでに我々新入生は男女同デザインのハーフパンツとなっており、いわば過渡期であった。衝撃的だった。ぱんつである。そう、どうみてもブルマは紺色のパンツに見えるのだ。下着か。なにがどうしてどういう理屈でえっちなのかは分からないけれどぱんつはえっちなのだ。頭が悪い文章で恐縮だが当時は小学1年生であるからご容赦願いたい。

 小学6年生ともなると、小学1年の子供からすれば大人に等しいわけである。背は高く、胸は膨らみ、腰はくびれ、いい匂いがして、意味もわからないけれど抱きついておっぱいを吸いたい造形をしている。これはもう殆ど大人と同じである、と当時は感じていた。

 

 そういうわけで駆け込みセーフではあるが、実際に運用されていたブルマを観て育ったとも言えなくはない。……そういう歳であることを認める、ということにもなる。

 

 

 さて、西千葉で一人暮らしをしていた間は女体に恵まれず、さりとて中学生を拉致監禁したりせず、県警の世話になったのは16号でオバハンの軽に撥ねられた時ぐらいであるから、私は刑法犯となることなく大学を卒業したが、一人暮らしというのはあれこれ試してみたくなるものだ。当然ブルマに精液をぶっかけてみたりもした。これがなかなか落ちないのだ。洗濯機で洗剤水とかき回すだけでは何やら白いような汚れが残ってしまう。なるほど、これが俗にいう「洗濯が大変だからぶっかけるぐらいなら膣内に出して♡」か。男子大学生が自らの精液が染み込んだブルマやスクール水着を風呂場で手洗いする様はどこか介護の現場を思わせる。息子さんの介護には違いない。やかましいわ。

 

 

 汗だく体操服の美少女と抱き合って気持ちよくなりたい。