新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

バブル・クリスマス

 クリスマスがただ楽しいだけの行事でなくなったのは何歳の頃だっただろうか。思うに、恋愛至上主義に毒されて股間のおしっこ専用ホースにもうひとつ、あるいはふたつみっつ仕事があると気づいた頃ではないかと思う。ちょうど時期を同じくして25日の朝にプレゼント包装された所望の玩具が置かれていることはなくなったし、電車賃を払って*1出掛けるようなことも多くなった。母親の引力圏を脱出した気がするものの、そばから恋愛至上主義に毒されているのでは、いつまでも乳離れできないだけではなく、若い女の乳でなければダメだと、ただただ純粋に注文が増えただけのクソ野郎であることだと自戒を込めて街に出る。

 

 チェーンのメシ屋に入ってもアルトサックスか何かが主旋律を奏でるクリスマスソングがBGMになっており、さりとて先述の理由から憂鬱になってくるかというとそうでもないのが音楽の良いところである。松任谷由実にせよ広瀬香美にせよ、ラジオのトークを聞く限りでは普通の人のように思えるけれど、今日の代表的なクリスマスソングを世に送り出した偉大なミュージシャンだ。

 

 陽気なクリスマスソングでちょっとだけ気分が良くなって店から出てみればそこは寒風吹きすさぶ12月の日本であり、心も身体も急速冷凍だわいとクルマに戻れば、冷え切った車内にはAMラジオから恋人と別れてクリスマスを過ごすタイプのソングが流れてきたりする。泣きっ面に蜂、独り者に傷心ソング。人生は後悔の連続です。あそこでああしてればなあ。人生設計狂いっぱなし、けれど、時計も街も止まらない。鈍行列車を乗り継いでも東京には着くし、なんなら徒歩でも時速4キロという尊い速度で前には進める。けれど立ち止まっていては移動距離がゼロだから少しずつ前を向いて歩かねばならぬ。ノーモア寂しいクリスマス。今年が底なら来年は良くなるしかねえ……。たぶん。

 

 バブルの亡霊に中指立てつつ、創作中なら取材でもせぬ限り贅の限りを尽くしたクリスマスを描いても無料なのだからやらぬ手はないと思う。ヒルトン東京お台場で翌週のコミケの前祝いも兼ねて同人作家が相方と洗濯機で洗えないような服を着込んでコース料理とシャンパンやってたって紙に書くだけなら印刷費しかかからぬ。……ん? 待てよ? 華やかなクリスマスソングに歌われているバブルのバブったクリスマスの過ごし方も最初は紙に書かれただけだったのでは……? なるほどこいつぁ恐ろしいことに気づいてしまった。あるのだ、心の中に。それぞれのバブったクリスマスという虚像が。

 

 架空のイイ男イイ女と架空のクレジットカード決済で架空のスイートルームにて架空のセックス、これが21世紀の最先端ソリューションだったという事実に気づいてしまったので救われた。お前らも救われろ。お前だよ、クリスマスにこのブログなんか読んじゃってるアンタのことだ。ペンを持て。

 

 さよなら現実のクリスマス(二度寝のため布団に潜り込みながら)。

*1:せいぜい高松か、行って岡山、神戸あたりではあるが