新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

家庭科の授業

 唐突ですが、私は技術家庭科というコマが非常に気に入っておりました。技術、家庭科、どちらも生活に直結し、他人に頼らず自活するための非常に重要なコマです。とくに家庭科では、調理実習であれば「料理は母親の特権ではない」「レシピ通りに作ればレシピ通りのものが出来上がる」「初心者が作っても食えるものが出来上がる」とか、あるいは裁縫の授業であれば「バイト先の制服のボタンがモゲロンボョwwwしても100均の裁縫道具さえあればなんとかなる」であったりと、中学高校を卒業して5年と経たずに恩恵を受けるわけであります。

 かつては「男子は技術、女子は家庭科」と同じコマでありながら別の授業を受けていたそうです。これはお互いにどこか欠けたところをつくっておけば補いあってくっつくからであろうという国家の陰謀が感じられます。ひしひしと。ロックフェラーとかロスチャイルド一族とか、そのあたりからのトップダウン・アプローチってやつだ。俺は詳しいんだ。

 その思惑通りなのか、高度経済成長期からバブル崩壊まではそれでうまく行っていたようであります。ところがそうは問屋が大根卸してくれなくなったのがバブル崩壊というやつで、共働きじゃないととても・とても子供が養えないという世になりつつあるところで「家事ができない稼ぎも悪いお父ちゃん」を作らないためにも技術家庭科が男女共通科目になったのではないでしょうか。知らんけど。

 ところがですね、家事というのは、地域どころか家が、人間が変わればタオルの交換間隔から流し台のゴミ捨てから、果てはメシ風呂洗濯布団干しまでやり方が異なるわけですわ。おこちゃまはお母さんのなすがままに暮らしていれば良い、家事のできないお父ちゃんもお母ちゃんがやることを邪魔しなければいい、と。では、家事のできる人間が複数(n≧2)迎合してひとつお屋根の下で共同暮らしをすることとなった場合に大変なのが家事諸手続きの分担と基準の明文化なのであります。三洋がパナソニックに買収された時とかJASJALに救済吸収されたときと同じようなことが各家庭で起こるわけです。M&Aです。村上ファンドです。自己資本比率100%対100%のモノ言う株主のガチンコ勝負です。

 そこで企業戦略としては「めんどくさいから合併しない」という道を歩むこともあるでしょう。会社は法人ですから。「法の上では人として扱う」と書いて法人ですから、法から外れようと人である人間でも同じことでしょう。たぶん。

 

 料理ぐらい作るから子供産んでくださいお願いしますそこの綺麗なおねーさん、と、ここまで下手に出てもまったく引き合いが来ない現代社会はつめてぇなあ(当社比)ということですわかりますかわかれわかるだろわかろう。

 非童貞には次々に彼女ができるこの法則はなんだっけほらあれだマルコフニコフ則/ザイチェフ則だ。Hは少ないところから脱水されて多いところにくっつくってやつだ。原子分子レベルで多いところに集まり少ないところから逃げるわけだ。なるほどなるほど。

 

やっぱみんな死んじゃえばいいんだ。