新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

手取川にさよならを(1)

 既にご存知の方も多いかと思いますが、石川県を離れ、東京都へ移り住むことになりました。東京都は1997年~2001年にかけて住んでおり、これで2度目の居住となります。

 何のかんのと言いつつ2年半ほど北陸・石川という土地で過ごしつつ、ようやっと慣れた頃にまた転居か壊れるなあと思いつつ、思い起こせばひとつの街で5年以上暮らせたことがなかったのでした。安住の地が欲しい。

 コミコミ37万スタッドレスタイヤ付きの中古車も購入時既に81,000キロであり、そろそろ10万キロでガタが来つつあるなと思っていた頃合いの転勤なので渡りに船ではあるのですが、2年半とこの街を振り返りつつ数回ほど書いてみようと思います。

 

・自動車

 当地に来るまでペーパードライバーでした。2011年の8月に地元・香川の自動車学校で免許を取って以来公道を一ミリも運転することなく、今の会社に移るとともに石川へ引っ越し、すぐにクルマを買うことに。

 カーセンサーで近所の中古車店を探し、公共交通機関で訪問可能な店舗で、なおかつそこそこ安く買えそうな、流通台数の多いクルマを探したところ、自宅から1時間*1のクルマ屋で契約しました。

 転入届を出すと同時に住民票の写し・印鑑登録証明書を発行していたため、普通車・軽自動車のどちらでもすぐに買える状況でしたのでその場で契約し、2003年式・走行距離81,000キロ・4WDの日産キューブ(Z11)を購入し、2週間ほどで納車となりました。自動車買うのカンタン!

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 とはいえ維持費が気にかかるため、翌月から毎月3万円を「自動車関係維持管理費」として別の口座に積立し、日々の出費とは別に管理することになります。これがそこそこ痛い。駐車場代は家賃に含まれるとはいえ、です。

 しかしながら前述の通り、クルマで20分の距離が公共交通機関では1時間かかりますし、バスは1日10往復あるかどうかですから、これが必要経費だということはよほどのマゾでもなければご理解頂けるでしょう。実際、少し維持費が高いのを承知の上で普通車を買っておいたことで少々の距離は苦もなく出掛けられるようになりました。

 真価を発揮するのは荷物が多く・複数人で動く時でしょう。身内で鉄道模型の運転会をする時に姫路へ・淡路へと出掛けました。

 携帯のつながるカーステ・ETC・ドライブレコーダーはそれぞれ自分で取り付けましたが、小学校の豆電球レベルの回路が理解できていて、ボディがぜんぶマイナス極になっているという点さえ抑えておけば取り付けは容易でしょう。

 

 主なトラブルは2回あり、1度目はマフラー(排気管)が破断しました。

破断したマフラー リアピースの接続部でリアピース側が折れた

 クルマの構造に詳しくないので大変恐縮ですが、この状態になると振動とそれに伴う音が大きくなります。2017年の6月にETCを取り付け、試しがてら高速に1区間だけ乗った際に加速車線で「なんか焦げ臭えな」という違和感があり、先行する大型車の排ガスだと思っていたのですが既にそのとき破断し、排ガスの流れが乱れていたようです。10月頃、オーバーパスの上りで同じようにアクセルを踏み、高回転に達したあたりでまた焦げ臭い匂いが漂い、こらあかんわとクルマ屋に入庫。アクセルを踏み込むと焦げ臭いと申告し、持ち上げてもらうと画像の状態でした。中古か新品か選べるとのことで、新品リアピース交換で27,000円ナリ。

 

 次のトラブルは追突事故でした。停車中に追突されたため過失はゼロとなりましたが、修理費が時価を超えているため相手方の保険屋が渋く(この時点で自分の保険の弁護士特約を使えば良かった気がする)、買ったときからお世話になっているクルマ屋さんに、中古パーツをかき集めて頂きなんとか時価以内にて修理してもらいました。マジ感謝。交換となったリヤドアは2WD車のものだったようで、e-4WDのロゴが失われましたが、ブツケたまま修理せず乗ってるやべー奴と思われずに走れるならばなんでもよろしい。

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 ……この話にはオチがあって、修理(2017年12月)してもらってからe-4WDのロゴが失われたと気づくまでに1年ちょいかかりました。ごめん……おれ……些細な変化も気づかないオトコだからさ……ボディが唐突に初音ミクカラーになるとかそういう分かりやすい変化で頼む……。

 

 

 トラブルはそのあたりにしておいてそれ以外はよく走る子です。燃費はまあ……その……普段の生活だと12 km/L出たらいいほうかな……カタログ燃費の15.8 km/Lという数字は白山舞鶴間200キロをずーっとバイパスだけ2,000 rpmぐらいでのんびり走ってると超えられるかなという数字です。モリモリと積もった雪の上を走ると9 km/Lとかになっちゃいましたが仕方のないことと思います。年間走行距離はおおよそ7,000キロでした。この数字には通勤片道2.5キロを含みます。年間7,000キロだと月に1回か2回給油するくらいで、月に50リットル行かないくらいですが、それでもレギュラーガソリンが数円値上がりすると大損したような気分になるのは否めません。数円に50(リットル)を掛けても月あたり1,000円の差が出るようなことは稀です。

 2003年登録の御老体だからか、エネオス以外でガソリンを入れると変な振動が増えるのでそこだけはワガママを聞いてあげました。とはいえ近所に24時間やってるエネオスがあったので可愛いワガママです。

 

 前述の通り維持費として毎月3万円を別の口座に避けておきましたが、1度通した車検までの費用を2で割ると年間おおよそ30万円弱かかったことになります。この数字には年間7,000キロのガソリン代、および夏冬タイヤの脱着工賃とその際にオイル交換をしていた費用が含まれます。車両代は含みませんので、次の車検までどうにか持ったとして37万のクルマに4年乗り、次の車検を通さず、同様に40万円ぐらいの中古車に買い換えると考えての、車両価格を含んだ毎月の費用はおおよそ37,000円でした。案外高いな。当然この値段には駐車場代を含みませんので……。毎月3万円避けておくだけでは次のクルマを買うときに足らんのですわ。ひええ。設備更新のできないジリ貧家計なのであった。

 東京で暮らすと、この37,000円は家賃差に持っていかれ、おまけに電車バスタクシーを都度使うと小銭が出ていくわけですが、それでも東京で暮らし、クルマを、それも新車で所有している人がちらほらと居るのであの街はポテンシャルが高いと錯覚しがちです。貧乏人は身の丈に合った暮らしをしましょう。残念ながらクルマは処分して上京します。

  

 自動車自体の話はこのあたりにしておいて、次回は道路事情でやります。

*1:徒歩と電車での話でありクルマで向かえば20分の距離である

えいがかん

 今日は金沢近郊の映画館事情のお話。歴史じゃなくて現在の、消費者としてのやつです。

 金沢の繁華街と言えば武蔵が辻~香林坊~片町あたりを指します。アニメイトやグレップ等、おたくテナントが入ったビルは片町にほど近い竪町(たてまち)にあり、日銀・三菱UFJ銀行香林坊に、三井住友銀行は武蔵が辻のあたりにあるなど、他所からやってきたオタク*1がとりあえず寄るのはこのあたりでしょう。

 

 映画館はというと、駅前のビル「金沢フォーラス」の中にイオンシネマがあります。金沢駅は、少し繁華街から外れたところにあります(と言っても武蔵が辻交差点から1キロほどですが)。その他の映画館は公共交通機関で行くには不便なところばかりで、クルマを使うことになります。中心市街地・駅近辺は道路も狭く、どこに止めても駐車料金が発生する*2ため、なるべくなら避けて生活したいところ。クルマに乗って生活するなら他の映画館行きゃあええやないか、という話になるのですが、残念ながらイオンシネマ金沢フォーラスでしか上映されない作品が多々あります。そうです。おたく向けの作品は,クルマを持てない中高生でも到達できる唯一の映画館、イオンシネマ金沢フォーラスでしか上映されないのです。これはもちろん、おたく消費者が少ないことに起因しているのですが……。

 たとえばいまだとFate、かつては、ごちうさだったり、リゼロのOVAだったり、ちょっとおたく入ってるタイトル*3は金沢フォーラスでしか上映されません。おたく入ってないタイトルというのはたとえば「レディ・プレイヤー・ワン」「カメラを止めるな!」「累-かさね-」「若おかみは小学生!」あたりで如何でしょう。これらは郊外の映画館でも上映されていました。

 

 郊外型のイオンモールに併設された映画館だって普段から客がバンバン入っているわけではないのです。平日昼間は各スクリーンに5人も入っていればいいほうでしょう。とある平日に昼下がりからレイトショーまで同じ映画館で続けて映画を見ましたが、3タイトル見て客の人数が5人・1人(貸切状態)・8人でした。

 あちこちにイオンモールが乱立し、イオンシネマが併設されてスクリーンの枚数は増え、朝から晩まで遊んでいるスクリーンがない程度にスケジュールが埋まっては居ますが、都心みたいなお客さんの入り方はしないわけです。電気代やらを考えるとイオンによる慈善事業か何かに思えてきます。ありがとうイオン。田舎に映画館が少ないのは需要が存在しなかったからだった。なんちゅうこった。

 

 東京だとシネ・リーブルだったりヒューマントラストシネマだったり、都心の隙間にあるタイプのちいさな映画館でおたく向けタイトルをこまめに上映していたりして、なるほど需要が少しでもあれば上映館が湧くのだと理解できます。フラっと観に行ってタイムラインに目をやれば、直前の回を観賞した知り合いのおたくが居たりして入れ替わりに会えたりするかもしれません。

 

 なんにせよ、上映館がゼロではないので、スケジュールに観たいタイトルが含まれているうちに行こうと思います。ただでさえ少ないイオンシネマ金沢フォーラスのスクリーンを少なくないタイトルの映画で奪い合うわけですから、うかうかしていると東京や大阪まで観に行くハメになってしまう。かつて津山に住んでいた頃はもっとひどかった。津山には映画館がなく、公民館のホールで幸福の科学が作った映画を上映しているのが関の山でしたから……。

 

 映画が観られる環境にあるというだけで幸せなことなのだから、シネコンがどんどんスクリーンサイズの調整をしなくなっているのも甘んじて受け入れるべきなのでしょう。最近だとミント神戸の映画館で予告編が終わってカチャカチャ……と暗幕が動いてくれて感動しましたが、今や貴重なシーンではないでしょうか。

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*1:移住者と旅行者の両方を指す

*2:もちろん、イオンシネマ金沢フォーラスで映画を見れば3時間だか駐車料金は無料ですが

*3:独断と偏見

大国町

 新年明けましてもう11日でございます。遅くなりました。松の内あたりまでにはコミケのお礼と新年の挨拶を書こう書こうとしていたら11日になっていた。1月はいってしまう、2月はにげてしまう、3月は去る、とは良く言ったもので、このままではコミケから帰宅して居間に拵えた同人誌タワーがそのまま雪が溶けて春になり夏コミが来てしまう。あなおそろしや。どうか今年もよろしくお願いします。

 

 縁起のいい年にしたいので商売繁盛のお話をひとつ。ときどき話に出してはいますが、生家はちいさな商店を営んでおりました。毎年1月10日前後になると大阪へ出掛け、浪速区にある、「商売繁盛、笹持ってこい」で有名な商売の神様・今宮戎へと参りに行きます。

 新幹線で新大阪に着き、御堂筋線に乗り換え、あべのハルカスが生えた天王寺方面の電車に乗り、なんばのひとつ先、大国町で降りると今宮戎は目と鼻の先です。人混みの中、テキ屋や土産物屋が並ぶ通りを抜けて境内に入り、まずめいめいが持参した去年の福笹をお返しし、新しい福笹をもらうために並びます。どうも記憶が定かではないのですが、福笹を頂く段階では特にお金を納めなかった気がします。賽銭を入れるところで福笹を頂くような、とにかく人混みで、流れに沿っていけばよろしい。その後、福娘に、笹に御札と、吉兆と呼ばれる俵や小判などの縁起物を模ったものをぶら下げてもらいます。ここで1万円札を出し、「これぐらいつけてや」と頼むとひととおりの御札と吉兆をぶら下げてくれます。15年くらい前だと500円だったか、お釣りを頂いたような記憶があるので、キリよく1万円になる組み合わせはなかったのかもしれません。いまはどうでしょうか。Wikipediaには「参拝者が有償で吉兆を自由に選べる」とありますから、別に1万円でなくとも3千円やら5千円やら、予算に合わせて飾り付けをしてくれるはずです。

 

 そうして福笹にあれこれとぶら下げてもらい、帰路につくわけです。持ち帰った福笹は来年の十日戎まで事務所の神棚等に飾られ、今年一年の商売繁盛を支えてくれます。新しい会社に福笹が飾ってあるところはなかなか見ないのですが、皆様の会社はどうでしょうか。

 

 ……もう11日やんけ、そういう話は早くしろとおっしゃる皆様にご朗報、今日11日まで後宴〈残り福〉ということで十日戎期間です。いますぐ大阪へ急げば大丈夫。で、帰りしなに目と鼻の先にあるポンバシメロンブックスで私の本を買えばバッチリですね(結局宣伝かよ)。

 

 今宮戎ポンバシの距離感は神田明神とアキバに近い、そう思います(無根拠)。

おせんたくするおたく

 服を買えという話がある。何のことはない、ちょいちょい顔を見せてくれる大叔母が勤め先の大手GMSから売れ残った服を持ってきてくれるから数年に渡り服を買っていなかった時期がある、という個人的な事情を差し引いても、おたくは服に金をかけない。なぜならば服を布だとしか思っていないからであり、これは恐らく教育されないと未来永劫認識は変わらないものと思う。

 初めて自発的に服を買ったのはアロハシャツだったと記憶している。楽天かなにかで黄色と水色のアロハシャツを2枚買い、それを来てコトデンに乗り高松へでかけていたのだから中高生というのは何もかも雑だ。親とて止めるほどのセンスはなく(前述の通りスーパーの売れ残りを着ているような家だ)、まあ好きにさせておこうと思ったに違いない。

 

 身体のサイズが固定されると服が合わなくなるということがなくなる。正確にはデブらない限り、という但し書きがつきはするが概ね去年の服は今年も来年も着られるということになる。穴が開くまで着るからだんだん赤い服は日光にヤラれて色素が抜けて汚いピンク色になってくる。するとそろそろ捨てたほうがいいだろうかということになる。赤い服はいい。そうやって明らかにダメな色になるから捨て時がわかる。では他の服はどうなるか。穴が開くまで着るのである。

 そんな時便利なのがあのムカツくグローバル主義者が経営するユニクロとGUである。ユニクロより更に下の価格帯の店を開いてどうなるかと思いきや昨今はワークマンにコストパフォーマンスで押されているらしい。ファストファッションの限界を探っていたらお値打ち価格で実用品を販売する店と競合するようになるとは思いもよらなかったろうに。そういう話を聞いてこの間ワークマンに下着を買いに行ったらユニクロよりゴム部分の幅が2倍くらいある数年持ちそうなパンツがユニクロより安く売られていて本当に笑った。

 

 さて、そんな私ですら時折臨時収入が入ると戯れに千葉そごうの別館に行き、持ってない色の服*1を買ってみたりする。戯れにターボがかかるとユニクロではなく別の専門店に入ってみたりもする。で、ユナイテッドアローズでシャツの値札を見て8,000円とか書いてあるのをみてぶったまげて退店する。オイオイオイユニクロの3倍するやんけ。GUの5倍か。買える服が1/5になる。月曜だけ服着てあとの平日は全裸で出勤せなあかん。そんなアホな話があるかいな。友人の友人がアルカイダ。いやいやそんなわけあらへんわ。アホか。ありゃ道楽モンの店じゃあ、こわ、ちかよらんとこ、とこうなる。

 

 ここで私はスーツとダウンジャケット以外には洗濯できない服を持っていないという事実も明らかにしておきたい。単純に洗濯が儀式化していると自己批判できるが、洗濯できない服を洗濯せずに数日連続して着るのがどうも穢れているような気がしてくるのだ。これでも歳を食ってだいぶマシになったので冬場は肌着以外を5日くらい着るようになったけれど、それでも普段から洗濯できない服を着るのはどこか、こう、数値化・客観化できない不快感のようなものがある。何一つ客観的に説明できないがそういうものであるし、広く理解を求めるものではないが、今後私と共に暮らすとなればこの感覚をうまく言語化出来ないことで壁が生まれてしまうということは危惧している。

 じゃあスーツ着るのは不快なのかと言われると当たり前であり不快である。真冬でも歩けば汗が染みていくのに自宅で洗濯できないのでスーツは気分がよくない。

 汗が染みたのち、一晩放置されたらなんとなく汚れた気がする。水と界面活性剤で洗濯された直後の布しか身に着けたくないというのは一種の潔癖症な気もするのだけれど、果たしてこういう感覚は広くあるものなのだろうか。

 

 大学を出て初任給で買ったのは衣類乾燥機である。ドラム式の洗濯乾燥機の1/4ほどの値段で洗濯機の真上に設置するドラムが真横を向いたあれである。これを買うと衣類への無関心にターボがかかり、硬めの生地でできた襟のあるシャツは着なくなる。なぜなら乾燥機でシワまみれになるからだ。冬場もフリースと長袖のシャツだけ着ていればすべてを無造作に乾燥機にぶちこめる。そう、乾燥機で乾かせない服は買わなくなるのだ。服を買うときから合理化は始まっている。

 洗剤もアリエールジェルボールしかないから消耗品が一種類で都合がよい。近所のドラッグストアやホームセンターで単価を計算して安いときに買っておく。

 

 という話を女性とすると「まかり間違っても私の服は洗濯しないで置いておいてください」とクギを刺される。実家で暮らしていたころも妹の服だけ別に洗っていて、脱水し損ねたみたいな状態で干されていたような記憶が朧げながら存在する。あれがホームクリーニングだったのだろうか。

 

 では汚れが酷い時はどうするか。アリエールジェルボールをひとつ破いて手洗い? アホでしょう。もうちょっと力を抜いて考えてみたれ。あるやろ、家庭に、油汚れに強い、中性洗剤が。台所にせやねん、自転車のチェーンの汚れとかがズボンのスソについたら台所用洗剤でチュッチュと手洗いしてやれば最高にきれいになる。中性洗剤だから洗濯用の洗剤と喧嘩しないだろうし(たぶん)。「油汚れに」というフレーズはダテではなくよく効く。手が機械油まみれになったときもセッケンではなくまず中性洗剤で洗うとびっくりするぐらい綺麗になる。機械油まみれになるタイプの仕事をしていた頃の職場で、手洗い場に置いてあったミスミの緑色のスクラブ入りハンドソープがヒントになった。あれはセッケンではなく中性洗剤に近い成分だ。……たぶん。

 

 洗濯物の中でとりわけ取扱に困るのが靴下である。したがって全く同一の靴下の8足セットを2つ買い、今ある有象無象の靴下はすべて避けて別のところに置いておく。こちらは掃除に使ったり旅行に履いていってホテルのゴミ箱に捨てたりする。同じ靴下しか存在しないのならば神経衰弱ゲームをすることなく2つ拾って2つ折りにすればよろしい。厳密には、15キロ歩いた日とおうちのソファでポテチ食いながらTopGearを垂れ流した日とでは靴下のすり減り方に差異があるはずだが、左右で極端にすり減り方の違うペアが現れたところで片方捨てれば良い。15足もあるのだから。全体的にまんべんなく減ってきたらまた15足ぐらい買ってきて全部入れ替える。

 

 

 そういう感じで身の回りの合理化を進めると、最終的にオナニーすらゴミ箱に直接射精して精液はゴミに吸わせて燃えるゴミで捨てるのが一番よろしいというところに行き着くから、少々小言の多いおしゃれにうるさいタイプの女と一緒に暮らしたほうが人間らしさを失わずに済むのかもしれない。

 

 多少面倒でも膣内射精はしたい。

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*1:服とは下半分:ズボンと上半分:夏はシャツで冬はフリースを指す。

コミックマーケット95のご案内 #C95

 怪文書ばかり書いていても販促にならないぞ、というまっとうな指摘を頂戴したので告知です。三連休の夕方に滑り込みます。ぜひともよろしくお願いします。以下概要。

 

参加日:2日目(2018年12月30日 日曜日)

ところ:西1ホール み-25b (WEBカタログ

サークル名:新スクの淵から

新刊:「能代さんと私」成人向小説文庫版108P

頒布価格:コミケ会場1,000円/メロンブックス1,080円/電子版864円

表紙画像

新刊「能代さんと私」書影

 今回、本文は2018年9月頃からPixiv上で連載した「能代さんと同棲生活」の加筆修正・(続きが上手く書けず急に別のシーンを書いたりしたところの)順序変更を施し、それに表紙絵(1枚)・挿絵(2枚)追加しました。ついに絵を……いやまあお察しの通り、ぶっちゃけクオリティだけなら現段階ではイラストレーターさんにお願いしたほうが良かったのですが、そう言っていると一生絵が描けないままカンオケ入りそうだなってのがあって、あと常々まてつさんが「俺は37歳になってから絵を始めたんだ」と言っている姿に影響を受けて、そんだらばいっちょうやってみっか……絵と小説とデザインとマンガと人によってはコスプレまでマルチにやる人も山盛り居るしな……と思い立って絵筆を取った次第です。締切があると人間は動く。

 

当日持参品のお品書きです。

おしながき 新刊「能代さんと同棲生活」1000円 ほか

 ここには書いてありませんが、神戸に持っていった FANBOX OFFLINE001(300円~)も若干数持参します。基本的にPixiv FANBOXで月100円以上のご支援を頂いた場合に見える記事と同一の内容を印刷しただけですので、決済手段が使える方はこちらをご利用ください。

 

 年末にかけて寒波がやってくるということで、例年よりも寒く、そして人が集まり会場内は暑く、なのに並ぶために寒いトラックヤードへ放り出される過酷なコミケとなりそうですが、元気にお会いできることを楽しみにしています。

バブル・クリスマス

 クリスマスがただ楽しいだけの行事でなくなったのは何歳の頃だっただろうか。思うに、恋愛至上主義に毒されて股間のおしっこ専用ホースにもうひとつ、あるいはふたつみっつ仕事があると気づいた頃ではないかと思う。ちょうど時期を同じくして25日の朝にプレゼント包装された所望の玩具が置かれていることはなくなったし、電車賃を払って*1出掛けるようなことも多くなった。母親の引力圏を脱出した気がするものの、そばから恋愛至上主義に毒されているのでは、いつまでも乳離れできないだけではなく、若い女の乳でなければダメだと、ただただ純粋に注文が増えただけのクソ野郎であることだと自戒を込めて街に出る。

 

 チェーンのメシ屋に入ってもアルトサックスか何かが主旋律を奏でるクリスマスソングがBGMになっており、さりとて先述の理由から憂鬱になってくるかというとそうでもないのが音楽の良いところである。松任谷由実にせよ広瀬香美にせよ、ラジオのトークを聞く限りでは普通の人のように思えるけれど、今日の代表的なクリスマスソングを世に送り出した偉大なミュージシャンだ。

 

 陽気なクリスマスソングでちょっとだけ気分が良くなって店から出てみればそこは寒風吹きすさぶ12月の日本であり、心も身体も急速冷凍だわいとクルマに戻れば、冷え切った車内にはAMラジオから恋人と別れてクリスマスを過ごすタイプのソングが流れてきたりする。泣きっ面に蜂、独り者に傷心ソング。人生は後悔の連続です。あそこでああしてればなあ。人生設計狂いっぱなし、けれど、時計も街も止まらない。鈍行列車を乗り継いでも東京には着くし、なんなら徒歩でも時速4キロという尊い速度で前には進める。けれど立ち止まっていては移動距離がゼロだから少しずつ前を向いて歩かねばならぬ。ノーモア寂しいクリスマス。今年が底なら来年は良くなるしかねえ……。たぶん。

 

 バブルの亡霊に中指立てつつ、創作中なら取材でもせぬ限り贅の限りを尽くしたクリスマスを描いても無料なのだからやらぬ手はないと思う。ヒルトン東京お台場で翌週のコミケの前祝いも兼ねて同人作家が相方と洗濯機で洗えないような服を着込んでコース料理とシャンパンやってたって紙に書くだけなら印刷費しかかからぬ。……ん? 待てよ? 華やかなクリスマスソングに歌われているバブルのバブったクリスマスの過ごし方も最初は紙に書かれただけだったのでは……? なるほどこいつぁ恐ろしいことに気づいてしまった。あるのだ、心の中に。それぞれのバブったクリスマスという虚像が。

 

 架空のイイ男イイ女と架空のクレジットカード決済で架空のスイートルームにて架空のセックス、これが21世紀の最先端ソリューションだったという事実に気づいてしまったので救われた。お前らも救われろ。お前だよ、クリスマスにこのブログなんか読んじゃってるアンタのことだ。ペンを持て。

 

 さよなら現実のクリスマス(二度寝のため布団に潜り込みながら)。

*1:せいぜい高松か、行って岡山、神戸あたりではあるが

ぼくらは社会保障じゃない

 またタイムラインに寿司のようにメンヘラ被害者の会・会員様の様子が流れてきた。なんでも手料理に一服盛られるという、古典的かつ、フィクションであれば目覚めると同時に全裸で騎乗位で絶賛合体中という夢のようなシチュエイションである。……フィクションであれば、である。

 

 当たり前のようにこのあたりでお断りをしておくと、本日の記事は*1医学的根拠に乏しく、科学的なエビデンスもなく、笹松本人による独断と偏見とちょっぴりほろ苦い思い出をふんだんに交えたヨタ話であるから真に受けたりせず大学医学部併設の図書館等へ赴くとかしたほうがよろしい。

 

 メンヘラは甘えである、そう断じる友人がひとり居る。そいつには窮地を救われたためあまり異論を差し挟む気も起きずに頷いておいたが、当の患者本人が置かれた環境は(主観はそれぞれとしても)それなりにハードなものであることが多い。実家自宅大好き布団依存症を公言する私のように、実家とはAボタンを押すことすらせずとも食事が並び、風呂が沸く体力回復施設だと思っている人間には想像し難いが、世には実家で滞在している間は「どく」状態のように時間経過で気力体力が消耗する、という主観の人間も存在する。実家で気力体力を自動回復する人間からすれば宅外のほうが水もメシも有料で、下手すりゃ椅子すらカネがかかり、風が吹き、雨が降り、自宅外の環境のほうが不慣れで気力体力が漸減するものであるというのが一般的*2だと思う。したがって自宅・実家ですら消耗するという主観を持っているとどうなるか。気力も体力も回復しないのである。生まれ持った気力体力から一生ちびちびと減り続けるのだ。……たぶん。残念ながら自宅・実家の居心地が(長期的に)悪くなったことがないため*3これは人生経験の浅い私の甘い想像であるが、かと言え大きく外しているわけでもない、そう思う。

 

 では、自宅・実家ですら気力体力が減る人間はどうするのか。ひとつは家出である。非行少年というとなんだかアレな響きであるが、宅外の溜まり場で夜まで遊び、免許取り立てのパイセンとやらのドライブに同行し、主に気力体力を失う原因である親が寝静まった後で帰宅する。場合によってはそのまま国道沿いのラブホにでも連れ込まれて朝までごゆっくりするのであるが、悲しいかな自宅の環境が主観でアレなので日替わりで違う相手と抱き合ってたほうがマシなのである。ああびっくり。自宅大好き族はラブホと縁がないのであった。そもそもメシの時間も風呂の順番も毎日守ってたら異性と裸で抱き合う時間は生まれないね。なるほど。

 

 それはいいとして、気力体力を漸減させつつ自宅でどうにかいい子してたり、あるいは会社で、学校で「どく」状態になりつつやっていくとやはりどこかで精神科か心療内科の門を叩くことになる。経験者*4は語るが、安定剤やらSSRIやらは諸症状を緩和し、動かなくなった足を前に進める効能はあるが、しかし足が止まり、家、会社、学校等行きたくないもの・ストレス源を取り除く・行かなくていいようにするという根本的な「治療」は本人のチカラで行わねばならぬという。ただでさえ毒状態で疲弊した人間に無理やりおくすりパワーで行動力にバフを与え、家なり会社なり学校なりを飛び出せという。そら不安定になるわな、止まろうと、降りようとする力と飛ぼう、走ろうとする力が同時に掛かり、周りからすれば不安定にターボがかかったような、アクセルとブレーキを同時に思い切り踏んでいるような言動が見られるのもこの頃である。

 

 

 そろそろ人権のアカンところに切り込んでいくのでヨタ話だと思って軽く流して欲しい。唐突に不妊治療の話をする。人々はなぜ自分の遺伝子を受け継ぐ子を成すために少なくなった精子や崩れやすくなった卵子を医学パワーで受精卵にして大金を注ぎ込んで産もうとするのか。養子を取ってはだめなのか。平成も終わりつつあるのに遺伝的な自分の子供というのが如何にして財物として見られているかという観点から長々と語るのは別の人に任せるとして、フィクションにありがちな間男による托卵*5行為を事後にDNA鑑定して不貞行為が存在したと子の養育費を突っぱねることができるのだから、自分の遺伝子を受け継いでいない子供を養育することは負債であり、逆に自分が種付けした子供は財産である。これは法治国家たる我が国の裁判所が下した揺るがぬ判断であり、したがって一般的に血が繋がらぬ子供を自己負担で養育することは慈悲深い行動であり、「あの人は愛人の子供をまるで我が子のように育てていて凄い、私にはできない」「あの人は連れ子もちゃんと育てていて凄い」などという言説のもととなる。テレビドラマで連れ子や親戚に預けられた子が冷たく扱われることを正当なものとするシーンが存在するのも、根底にこのような認識があるから、かもしれない。なお、ヨタ話とはいえ「おれはちゃんと育ての親に大事にしてもらった」という方には大変申し訳なく思う。

 

 閑話休題っぽく挿入された話が長くなったが、ではなぜ人は一服盛るようなメンヘラを社会保障任せにして放り出すことが出来ずに付き合ったり養ったりしてしまうのか。それは前段落のように自分の遺伝子を受け継いだ子供が財産であり、したがって出産適齢期の女性は、女性が持つ子宮は財物を成す存在であるからだ。ハッハ段々人権にうるさい方角から槍でも飛んできそうな言説になってきたぞお。なお本日もシラフでお送りしております。

 ここで脳内の人権派にお越しいただきましたおはこんばんちは。女性は財物じゃないし、あなたは社会保障じゃないからメンヘラだろうと養う必要はありません。そもそも今は労働できる生産年齢人口の人々は全員自分で経済的に自立するべきです。なぜならそのほうが自由だからだ。そして遺伝子を受け継いでいようがいまいが子供も人間であり人権があるから一定の人間を束ねたコミュニティに対し一定の割合で分配する。それが社会のあるべき姿であるから生産年齢人口3人あたり1人子供を養え。ハハァなるほど共産主義っぽくなってきた。思えばそうだな、確かに老齢年金は生産年齢人口の給料から平等(?)に吸い上げて老齢者に分配されているのだから子供に対しても同じことをするべきだ。……べきか?

 

 そこで子供は放っておいてフィールド上に一定割合でポップする存在ではありません、というところにぶつかってしまった。あれあれ。現在の所こどもという存在が出現するためには精子卵子をドッキングさせて着床させねばならず、どうやらドッキングの真似ごとをするためにもチンとマンの合意とやらが必要になってくるようです。あらあら参った。このままでは統一教会のように強制的に合意させてドッキングさせるほかありません。これには反発が予想されます。ぼくは駆逐艦のコスプレで逆レ気味に妖艶な上目遣いでチンをしゃぶってくれないと嫌だ、などという意見は黙殺されそうです。

 

 火に掛けっぱなしにしてうっかり焦がした肉じゃがのように真っ黒で食えない思考にサッっと流れる自己責任・自由恋愛の文字列が清涼剤になります。自由は自由で自由だ。なにしろこんな与太文章を書いていても「はてな」にも「日本」にも怒られが発生しません。でもでも、この文章が後日消えてたら察して欲しい。

 

 なんのかんの言ったって美人のそばに居られるならアッシー君だろうとお財布だろうと肉バイブ扱いされようとハイ喜んで! となってしまうので私はもうダメだ。ダメな街ごと核でこんがりウェルダンにして欲しい。

 

 クリスマスプレゼントはエアロエース一台分の美少女詰め合わせがいい。

*1:本日に限らずすべての記事だが

*2:独断と偏見ぢゃ

*3:そら家族間で喧嘩でもすりゃ数時間のスパンで居心地が悪くなったりはする、にんげんだもの

*4:この経験者とは医療従事者ではなく精神科・心療内科による治療・服薬経験者のことである

*5:託しているのは精子だけでありカッコウの托卵とは異なるが、便宜的によく使われる表現を用いた