新スクの淵から

笹松しいたけの思想・哲学・技術・散文。

文化資本の限界

 何やら昨今、文化資本という語を用いて何かとポジショントークをするのが流行りのようなので自分もポジショントークをすることにする(予防線)。

 

 図書室に入り浸り、自宅で化学実験をやりたがった小学三年生が東京都内に居たとする。選抜のない近隣の公立小学校に通い、サラリーマンの家庭に育ち、賃貸マンションに住んでいる。かつての私である。

 電気に魅入られた小学生、科学は化学へと深化して自宅で電池を作りたがる。本を読み、十円玉と一円玉の間に梅干し汁を染み込ませたガーゼを挟んで電池を作る。ところが、小学校から持ち帰った教材用の豆電球は点灯しないのである。豆電球を光らせるほどパワーはないので「発光ダイオード」とやらが必要である。母は科学が分からぬ。父は帰宅が小学生の就寝より遅い。土曜昼に小僧寿しの持ち帰りを囲みながら笑点を見つつこれこれこうだと説明をすると、翌の日曜には秋葉原電気街を歩く親子の出来上がりである。

 ラジオ街のオヤジに発光ダイオードをくれと言うと何に使うのかと、ぶっきらぼうながら親切に教えてもらって包んでもらい、無事にその実験は成功する。

 ここまでは良い。秋葉原に行けば発光ナニガシは手に入るであろうと踏んだ父親と、親切なパーツ屋の主人にアクセスできた。これは立派な文化資本であり、東京という地の利を活かしたできごとであろう。

 

 ところが、だ。図書室の本には「亜鉛板」と「銅板」と「サンポール」と「過酸化水素水」で「豆電球」を点灯させられるパワフルな電池ができるとある。

 向かう先は東急ハンズである。でも、ないのである。カンのいい読者諸賢はお気づきであろうか。「亜鉛板」だけは一般的な工作材料を外れるのである。今となってはインターネット通販で理科教材の販売店にアクセスできるが、当時の自宅にはインターネットなどなかった。「亜鉛板」を探し求めて、関東一円にお出かけするたび、いちご狩りの帰りに、キャンプの帰りに、釣りのついでに、ホームセンターの金属板売り場を眺める徒労があった。

 過酸化水素水(薄めてオキシドールになる前の濃度のもの)は薬局で、大人でないと買えないことが分かったので最後に回したが、とにかく亜鉛板は手に入らない。代用材料として亜鉛めっき鋼板、つまりトタン板でもよいが、こちらの販売単位は波板で屋根ひとつ作れるようなぐるぐる巻なのである。ほしいのはほんの10センチ四方。東京のマンションに持ち帰るには大きすぎる。

 ミドリ電化、島忠、ジョイフル本田ケーヨーデイツー……亜鉛板はどこにもない……。

 結果として亜鉛板を用いた電池は諦め、両親は私にダイワ科学教材シリーズの手回し発電機を与え、更に、担任教諭は太陽電池工作コンクールのパンフレットを渡してくれた。それはそれで愛知万博に自らの名を記した冊子の頒布コーナーができるなどある程度の成果を見出したがまた別の機会にしようと思う。

 

 では当時、どうすればその電池を作成できたのか。「亜鉛板」とやらが学校に理科教材を納入しているような業者に当たらないと手に入らないことにどこで気づけたのか。学校の教諭を頼るにしても、無用な時間外労働のお願いは慎むべきだろう。あるいはトタンの波板をひと巻買ってきて残りで小屋かカーポートを作れるような田舎に住んでいれば良かったのか。東京都心こそが文化資本の集積地であると疑わない姿勢に対するアンチテーゼと言われればそれまでだ。

 

 翻って成人後である。映画館へのアクセスの話である。ほぼ再掲になるから記事へのリンクを貼っておく。

sasamatsu.hatenablog.jp

 

 岡山県津山市に自動車なしで暮らしていた頃が一番スクリーンと距離があった。最寄りのスクリーンまで1,140円100分の交通費と時間がかかる時代である。ちなみに自宅最寄りまで帰ってこられる最終列車は岡山駅20:30頃。期間限定(大嘘)で田舎の工場に勤めさせされた哀れな新卒が本当に期間限定の約束を信じて自動車を買わずに耐えているとその間に封切りされた映画は泣く泣く見送ることになる。いろいろあってその会社は辞めてしまったが、在籍末期に「そろそろクルマを買おうかなと思うんです」とこぼすと恐ろしく包囲される勢いで先輩社員のみなさまに喜ばれたことが忘れられない。複数人から中古車屋を紹介される勢いであった。なお、新卒同期の皆は親に程度のいい中古車や新車を買ってもらっていた。これだから私大を出られるボンボンは……ゲフンゲフン……。

 

 とまあ恵まれた幼少期に恵まれた両親のもとでできうる限りの科学へのアクセスが開かれていたとて、大学時代に童貞をこじらせて、大学を出る頃には「一番やりたいことは生中出しセックス」と公言するほどの人材が出来上がることを考えると、所詮人間などは遺伝子の乗り物に過ぎないのであるということがわかる(暴論)。ご自身のバカなご子息をサピック○やらに通わせて少年時代をすりつぶしていくぐらいなら、ミニ四駆でもソシャゲでも、読書だろうとマンガだろうと、性欲がにょきにょき生えてくる前の可愛い時期ぐらいお好きにさせてみたらいかがでしょうか。